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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第48回「物語の先に」】
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彰子は政を動かす女人となる
長元元年(1028年)、頼通は後一条天皇にはまだ皇子がいないと踏まえ、新たな女御を迎えるべきだと提案しています。
彰子は「ならぬ」と一喝。
他家を外戚としてはならない。入内できる高貴な姫が、皇子を産めばそちらに権力が移行しかねない。そうなっては我が家をしのぐかもしれない。
後一条天皇の后も、東宮の亡き后も彰子の妹である。その東宮には皇子がいる。それで十分だと断言します。
さらには、今まで二つあった皇統が一条のみになった、これを守り抜くべきだと帝を諭し、頼通のためにもなると言います。
彰子は「玉座のゲーム」のプレイヤーとして、頼通の上になりました。
おなごが政に口を挟めぬと泣いていた彰子は遠くなったものです。
しかし、外戚が一つの家に集中する弊害は、政治停滞を招きます。
彰子も、詮子、道長、倫子と同じ政治ゲームに参戦した――これは栄誉なのか、果たして呪縛なのか。
小鳥は籠を飛び出す
まひろが空になった鳥籠を下ろします。
乙丸から「どうなさったのか?」と問われ、鳥になって見知らぬ所へ羽ばたいてゆくと言い出すまひろ。
置いていかないで欲しいと乙丸が訴えると、もう乙丸に遠出は無理だとまひろが難色を示します。それでも乙丸は、置いていかないで欲しいと訴えるのです。どこまでもお供したい。
いとがここで「姫様」とまひろに語りかけ、「若様はどちらにいるのか?」と尋ねてきます。
「そこよ」
と、為時を指し示すと、「もう内裏に行く時間だ」といとが出発を急かす。彼女も年老いてきました。為時は「今日は休みだ」としております。
果たして、いとの言う若様とは為時か。それとも惟規なのか。なんとも切ない場面です。
まひろは賢子に和歌を集めた『紫式部集』と呼ばれることになる作品を託します。
めぐりあひて
見しやそれとも
わかぬ間に
雲隠れにし
夜半の月かな
そう百人一首にもとられた歌を読む賢子。
「幼友達を詠んだ歌なのね」
「ええ」
少し目が揺らぐまひろ。その幼友達とは三郎のことも含んでいるのがこのドラマです。
「母上にも友達がいたならよかったわ! フフ……」
そう母親の難ありな性格をからかう賢子です。確かに友達は多くないですね。
東から嵐がくる
まひろは都大路を抜け、乙丸とともに旅に出ます。
かつて鳥籠のような都を出ていかないか?と直秀に誘われたまひろ。道長という籠が壊れ、羽ばたく自由を手にしました。
気ままな旅のようで、音楽にはどこか緊迫感があります。
するとけたたましい馬の蹄の音が背後から聞こえ、数騎の武者たちが駆け抜けてゆきます。
一団の中には双寿丸がいて、まひろを見つけて戻ってきました。
「おう。何をしているんだ、こんな所で」
「何も縛られずに生きたいと思って。あなたこそ」
「東国で戦が始まったんだ。これから俺たちは、朝廷の討伐軍に加わるのだ」
「気をつけてね」
「そっちこそな」
そう言葉を交わし、双寿丸は去ってゆきます。彼の後ろ姿を見て、まひろは心の中でつぶやきました。
道長様……。
そして、こう口にします。
「嵐が来るわ」
安倍晴明が雨の気配を感じて始まったこの作品は、武者の馬蹄の響きに嵐を感じるまひろの顔で幕を閉じたのでした。
完
MVP:まひろ、道長、そして倫子
一年間見続けて、なんて珍妙なものを作り上げるのかと感嘆するばかりです。
視聴率をリアルタイムで計る意味が薄れたとはいえ低迷したことは納得できますし、刺さる人には刺さっても、外れる人には何が何だかわからない作品だとも思います。
このドラマは意図的に捻じ曲げているような箇所があり、かつ、対比にしている――そこを許せるか、許せないかもあるでしょう。
浮舟が出家したように、紫式部自身も信仰心に安らぎを見出していたと推察できます。
道長、公任、為時は出家しました。乙丸も仏像を彫っています。
ならばまひろ、そしてききょうもそうしてもよさそうなのに、敢えてなのか、まひろは何にも縛られない自由を頑なに選び、旅に出ました。
これも素直に描くならば、亡き人への愛を示すために出家するのも一つの手でしょう。まひろが大宰府から離れ難かったのは、周明への追悼の意味もあったように思えますから、その意識がないとも言い切れない。
話としてはそちらのほうが綺麗かもしれないし、歴史的にみても整合性がとれそうです。
ところが本作では、旅に出て、双寿丸の姿に嵐を覚えるのだから、とんでもない終わらせ方ではないでしょうか。
まひろはあくまで自由に羽ばたく一方で、倫子は底なし沼に沈んでいくようにも感じました。
倫子は当時の女性として最高とも言える立場にある。子どももいる。老後の心配も無用。
しかし彼女はずっと自分を押し込め、抑圧していて、怒りすら表に出せません。
彰子が皇子を出産した後は、道長に怒り、席を立って猛然と出ていくこともできた。今の彼女はそれすらできない。
まひろが目を通していたのは白居易の『長恨歌』。
倫子のもとに結果的に残されたであろう漢詩は陶淵明の『帰去来辞』。
まひろは道長の手をとる。
倫子は布団の中にしまってしまう。
これでもか、これでもかというほどに、まひろと倫子の明暗が示され、正しい道をゆくのはまひろだと示されます。
政治の道としても、まひろと倫子ならば前者が正しいのに、後者が優先されることで嵐が来るという示唆もなされています。
まひろは大宰府で、戦の惨さと泰平の尊さを知った。だからこそ、隆家のような人物のことを惜しむ。
一方、倫子に代表されるような、内向きな連中は、結局、己のことばかり考えている。倫子は、彰子が心を開いたのはまひろだったと嘆きました。
それでも彰子の政治路線は倫子なのです。外戚政治を硬直化させる道を選び、嵐に耐えられない木を育てることにつなげてしまう。
あらためて思います。
倫子に何の罪があったというのか?
むしろ、まひろが極悪ではないか?
まひろは大河ドラマ史上最も腹黒い主人公ではないかと思っています。
『鎌倉殿の13人』の北条義時? 彼は根はまっすぐな青年でしたよね。
一方でまひろは、子役時代からすらすら嘘を並べていた。先天性のどこかおかしな性質が浮かんでくる。
まひろの難ありな性格は、接する時間が長い相手ほど、諦めているようにも見えます。
為時は、頑固で言い出したら聞かないと諦める。
乙丸も、結局は諦めることが多い。
賢子は、自分の母親には友達ができないと確信している。
ききょうは、もう全てを水に流し、相手の難については考えることをやめたようにすら思えた。
あれほどまひろのことを好きな彰子ですら、言い出したら聞かずにはっきりしていると認めている。
そして倫子も、はじめこそまひろの言葉に衝撃を受けているようで、心が麻痺していったようにすら思えます。
母が殺されただの、散楽の者が死んだだの言われ、何をどうしようというのか。
最終回でまひろと倫子の対峙が描かれたとき――そこにあったのは、ただひたすら困惑する倫子の姿でした。
まひろが「重荷を下ろしたぞ」とさっぱりして見えたのがますますおそろしい。
治世の能臣、乱世の奸雄
最終回のまひろを見ていて、曹操を評したこんな言葉が脳裏をよぎりました。
治世の能臣、乱世の奸雄――。
まひろは泰平の世はよかったとしみじみと口にします。周明の命を奪った戦乱に恐怖を見出すことは当然と言えます。
ただ、まひろが乱世にいたらどうなるか?
平安中期に生きているときは、仕事のできる才女として人生を終えた。
けれど、もしも嵐に遭遇したら、それはそれで水を得た魚のようにいきいきしていたかもしれない。その場合、惨劇や陰謀の香りも漂ってきます。
このドラマは、変革しない、現状維持志向の者に冷たいと感じます。
顕光や道綱のように、努力もせず、地位にだけ執着するものに向ける視線は厳しい。
公任と行成の【刀伊の入寇】恩賞対応では、彼らを冷たく突き放すようなものすら感じさせた。
あれだけ丁寧に、細やかに描いてきた彰子だろうと、外戚政治の維持に動く様は禍々しさすら滲ませる。
何よりも、道長の治世は実績がないと言わんばかりの場面には震えました。
一方で、実資に対しては大体いつも好意的であり、隆家はさっぱり爽快した風雲児になった。
ききょうは、椿餅の場面ではヒールターンしたようで、ここにきて素晴らしい女性として描かれる。
政治を動かす野心を滲ませていたききょうは最高です。
定子への敬愛だけでない。世を動かす喜びを認めたからこそ、輝いたようにも思えます。
そして最後の最後、双寿丸は嵐を背負ったおぞましさだけではない、新時代の活発な空気も運んできています。
まひろは己に改革志向、乱世適性があると薄々わかっているからこそ、改革を志す者に好意的なのかもしれません。
何よりも、このドラマそのものが改革を背負っていると思えました。
2023年はともかく、2022年と2024年は、大河ドラマを変えた作品と評されることでしょう。
視聴率は低いけれども、視聴者数基準を導入し、こちらは高水準でした。
出版社は『源氏物語』の関連書籍が売れたと喜んでいる。
このドラマでブレイクした役者もでた。
関連イベントも大盛況。
変えようとしないことは悪。変えてこそ、前に進める。そう踏み出した勇気あるドラマです。
出来と結果も大事だけれども、変えていくという志こそ大事――そう熱く主張するような、雅なようで実は勇気もある。
素敵なドラマを見ることができ、満足できた一年間でした。
なお、本作を総括する総論レビューについては後日あらためて公開しますので、よろしければ最後までお付き合いください。
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【参考】
光る君へ/公式サイト