平安時代を舞台にした挑戦的な大河ドラマ『光る君へ』が最終回を迎え、数日が経過したのに未だ熱が冷めやらない。
誰かと語り合いたい――そんな方は少なくないようで、関連記事にせよSNSにせよ、まだまだ番組を堪能したい!という気持ちが伝わってきます。
皆さんの印象に残った場面はどこでしょうか?
なんて問われたところで、数え上げたらキリがないでしょうから、本記事では、名場面や小道具、海外の反応など、ドラマに関連するトピックを雑多に取り上げさせていただきました。
もう一度『光る君へ』を堪能したい!
そう望んでいる方に楽しんでいただければ僥倖……というわけで、早速、本題へ進んでまいりましょう!
・まひろと三郎が河辺で出会う
『源氏物語』における紫の上と光源氏が出会う場面のオマージュとされています。
第1回でこの場面が流されることで、この作品は『源氏物語』へのオマージュを捧げながら展開していくという方向性が示されました。
放送前から物議を醸していた、紫式部と藤原道長の関係性もここが始点――この世界観についていけなければそこまでだと示す。
藤原道兼によるちやは殺害と並ぶキーポイント。
振り落とされた視聴者は、それまでということでしょう。
・打毱とロッカールームトーク
2023年の大河ドラマにはVFX乗馬シーンが出てきて物議を醸しました。
「動物愛護」という観点から擁護する意見もありましたが、それでは他の年の大河では、馬を虐待していたとでもいうのでしょうか。大河がこれまで培ってきた乗馬技術を侮らないでいただきたい。
NHK大河チームに、そのぼやきが耳に入らないわけがないでしょう。
通常の乗馬よりも難易度が高い「打毱」を入れることで、昨年の雪辱を果たしました。
近年、エンタメを鑑賞する上でジェンダーに配慮しているかどうか、ここが重要視されます。
打毱後の男たちの本音トークと、『源氏物語』の「雨夜の品定め」を重ねることで、ジェンダーについても配慮があると示しました。
序盤における定番の名シーンと言えるでしょう。
・直秀の死
衝撃的だった直秀の死――この悲劇は後々、まひろと道長の関係に暗く長い影を落としてゆきます。
なんせこの悲劇は、道長の欠点である、詰めの甘さが一因となりました。
しかも政権の頂点に立ったというのに、検非違使の改革など全く気にも留めていない様子であり、結局、それがなされていないことも最終盤で明かされます。
さらには最終回で、この直秀の死がまひろと道長を繋いでいたことも明かされました。
貴族社会が平民の命を軽んじていること。この作品に貫かれた価値観も、この死が象徴しています。
・まひろ、道長の妾となることを断る
逢瀬と対比となる場面です。
まひろは道長の妾になることは嫌だと強硬に断りました。これには、温和な道長ですら怒りを見せるほど。
さらにまひろは道長に、陶淵明の『帰去来辞』を書いて渡しています。これは政治の世界から身をひき、隠遁生活を送ることを示唆したものと言える。
結局、道長はそれができませんでした。出家しても政治に介入するからこそ「太閤」として一目置かれ続けます。
この二人が結ばれる世界は、物語の先にある、この世ではないどこかでのこととなります。オープニングで示される反転した世界がその場所なのかもしれません。
・『源氏物語』誕生秘話と出仕
どのような経緯で『源氏物語』を書くに至るか――このポイントが、紫式部を描く上でもっとも重要であることは、言うまでもありません。
『源氏物語』にせよ『紫式部日記』にせよ、紫式部は面倒でややこしく、陰気な性質ではないか?とはよく指摘されるところ。
映像としても、和紙が降ってくる場面が幻想的で美しいものでした。VFXを過剰に使っておらず、手作業で処理をする場面が多いことも、本作の長所といえます。
ドラマはこの紫式部のややこしい性格を、丸めるどころかさらにエッジをきかせてきました。
まず、執筆順序を「桐壺」からとしました。
『源氏物語』の執筆順序は諸説あるものの、本作ではそのまま「桐壺」からとしたのです。
これに道長が一条帝を惹きつけるために書かせたとする説を組み合わせたことで、作家としてのまひろはとてつもなく気難しくなりました。
桐壺帝と桐壺更衣の悲劇は、どうしたって一条帝と定子の悲運と重なります。
それを本人に読ませるとは、炎上してもおかしくないのではないか?
道長はそう困惑するものの、まひろは一切妥協しません。
紫式部が出仕後に自宅へ戻ってしまうことは、職場に馴染めなかったのではないかと解釈されることも多いですが、本作では、職場で作品を書き続けようにもストレスが溜まるため、リモートワークにしたいと願い出る設定にされました。
専用の局も与えたのに、どういうことだ?
さすがにこのときの道長はそう苛立っています。
妥協を許さないまひろの気難しさが際立つ描き方です。それでもなんとなく許せてしまう、吉高由里子さんは本当にすごい役者です。
吉高さんは朝の連続テレビ小説『花子とアン』で主演を務め、作家を演じていました。
しかしあの役はモデルとなった女性を相当丸め、愛されるゆるふわキャラにしていて、惜しいことだと思っておりました。
吉高さんは無茶苦茶なヒロインを丸めるどころか、さらにきつくしても演じ切れる――そんな稀有な才能があると証明されました。本当に素晴らしいことです。
・ききょうの椿餅
このドラマでは、実際に顔を合わせているとも思えない紫式部と清少納言を友人関係にするという大胆な設定をしております。
では、なぜ、紫式部は清少納言のことをああも苛烈に批判したのか?
それを説明するように、ききょうがまひろの主君である彰子に対し、無礼な態度をとる場面がありました。
ききょうには、定子とその遺児への忠誠心がある。
まひろには、彰子への忠誠心がある。
そのためにああした批判になったのだと説明する場面となりました。
もちろんこれは創作です。しかし、そうした場面にこそ、このドラマの主張したいこともあるのでしょう。
紫式部がああも清少納言を批判したのは、夫である藤原宣孝のことをおもしろおかしく書いたとする解釈もあります。
いや、定子サロンに郷愁を募らせる者たちに警戒すればこそ、そうしたとも解釈されます。
ドラマのアレンジでは、二人の才女がゆずれない忠誠心を持っていたためと誘導している。よいアレンジだと思いました。
・一家三后
道長が「望月の歌」を詠んだ場面です。
肝心の三后は誰も微笑んでいない。政略の駒にされたことに対する苛立ちすら滲んでいました。
道長の権勢とは、結局、子を産み育てた倫子あってのことではないか?
運が良かっただけではないか?
そう示す皮肉な場面です。
しかも、月の光に輝く道長を見た後、まひろは旅立ちを決意してしまう。
なんと非情なドラマなのかと恐ろしいものを感じました。
・道長の出家
まひろは旅立ち、道長は出家を決意する。実に残酷極まりない場面です。
あれだけの栄誉をもたらした源倫子が止めても出家を断行する道長は、なんと冷たい男なのかと呆れました。
出家したあとも政治には口出しする。
しかも出家した後の方が政治センスがあがっているように思える。
自らの仏道のために寺まで建てる。
ここまでわがまま全開なのに、飄々としていて、憎めないうえに脂ぎっていないあたり、柄本佑さんはさすがだと思います。
ほんとうに髪を伸ばし、そして剃髪する――これほどの覚悟がある役者はそうそうおりません。
まさに伝説となる場面でした。
・刀伊の入寇
【刀伊の入寇】を強引にでもドラマの中に入れたかった理由はわかる。そんな場面です。
武器甲冑の変遷については実に興味深いものがありました。
恩賞対応まで含めて、摂関政治の問題が凝縮されたような意義のある描き方。
さらには周明の遺骸が、海岸に無惨に放置されたところにも、このドラマの冷酷な誠意を感じました。
周明があんな目に遭うなんて信じたくない。そう願う視聴者は生存ルートを妄想したほど。
しかし、都の貴族は民の命を虫ケラのようにしか思っていない。
対比の残酷さが際立っています。
・倫子の問い
最終回へ向かう場面で、投げかけられたまひろと道長への問いかけ。
倫子としては最大限の恩恵を施したつもりだったのかもしれません。
かつての道長もそうでした。
しかし、それに感謝されるどころか、まひろから次から次へと衝撃的な事実を突きつけられ、困惑していく倫子の様があまりに哀れに思えました。
これだとまひろと道長が悪役に思えてくるのに、そうはならないところで着地する。
なんというバランス感覚のドラマなのかと驚いたものです。
・まひろの旅立ち、武士の台頭
没年すら不明である紫式部。その結末をどう描くのか。
乙丸と二人で旅立つまひろは、死へ向かい歩いてゆくようにすら思えました。
作中では人生最期の選択肢として、出家が示唆されています。
為時も、道長も、公任もそうしました。乙丸だって小さな仏像を彫っています。『源氏物語』からも、紫式部自身が出家を人生の終着地点ととらえていた価値観が見えてきます。
しかし、このドラマはそうなりません。
壊れた鳥籠を映し、まひろがまるで鳥のように羽ばたき、呪縛から出ていくのです。
鳥籠で生きてきた小鳥は、出た途端、猛禽類に出くわすこともある。その危険性を理解していると思える重要な要素がここで示されるのです。
まひろは旅に出た先で、騎馬武者たちの姿を見ます。そこにはかつてまひろの元で食事を平らげていた双寿丸もいました。
まひろと双寿丸の対比は、これから訪れる「武者の世」を示している。
歴史の変貌を描きたいという、そんな野心が詰まった刺激的なラストでした。
『光る君へ』はフェミニズム大河ドラマなのだろうか?
2024年前半期・朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、フェミニズムを中心に据えた意欲作として話題をさらいました。
では、大河ドラマはどうか?
これは意見が分かれているようです。
『源氏物語』をテーマと言いつつ、女性文学を軽視しているなどなど。
この手の「こんなものはフェミニズムじゃないんだ」鑑定論争は、私としてはごめん被りたい。時間と労力の無駄です。
フェミニズムはじめ、権利闘争の基準は時代によって変わります。
津田梅子からすれば、平塚らいてうら後進のフェミニズム運動は邪道でわがままに思えたとも言います。
歴史は何度でも繰り返します。
「昔は女性参政権で満足していたのに、今のフェミニストはわがまますぎる!」
「こんなものは私が思うフェミニズムじゃない!」
こういう意見はいちいち反論すると本当に無駄でしかありません。権利の要求は、万人が万人の解釈を持つものともされがちですので、そこで消耗してもいられません。
とはいえ、フェミニズム批評とはすでに確立されておりますし、そこを基準とすればある程度の判定ができます。
一例として、2010年代に世界的なヒットを果たした『ゲーム・オブ・スローンズ』に注目しますと。
フェミニストは『ゲーム・オブ・スローンズ』を見ても良いのだろうか?
この問いかけは散々されてきています。女性に対する悪質な性暴力描写があるため、こんなものはフェミニストの敵だという評価は当然のことながらあります。
フェミニストの希望であったデナーリスが暴君となった挙句、非業の死を遂げたことも批判の対象です。
一方で、サンサ、アリア、ブライエニーといったキャラクターは、十分フェミニズムをふまえた描写であるとされます。
要するに、これに対して決着をつけるのは相当大変だということです。
それでもあえて『光る君へ』は紛れもなくフェミニズム大河だと定義します。
・「ベクデル・テスト」を通過する
古典的すぎるという批判はありますが、作品のフェミニズム要素を判定する基準として「ベクデル・テスト」があります。
最低でも二人の女性が登場する。
その人物に名前がついている。
その二人の会話において、男性以外の話題が登場する。
大河ドラマは長いので、まずこのテストをクリアできないことはないかと思います。
とはいえ、女同士が男のことで延々とキャイキャイしている大河もたまにあるといえばそうですが。
『光る君へ』はむろん、簡単に合格しています。
紫式部と清少納言に該当する人物が、文学談義で功績を誇る場面が最終回に登場する。
この時点で、フェミニズム的には先頭を駆け抜けてやるという気合をビリビリと感じさせます。
・スタッフの女性比が高い
今年は制作統括として、内田ゆきさんが先頭に立っていました。
脚本、音楽、衣装デザインはじめ、ここまで女性が多い大河ドラマは革新的だと思えます。
組織内の女性比率を高くすることは、ジェンダー問題解決への基礎中の基礎。それがちゃんとできています。
ここまできて、この難しい題材を説得し、作り上げる。
それだけでもよくぞやった! 私も大河ドラマを作る側に回りたい!
視聴者にそう思わせたら、その時点で勝利です。今年は勝ちました。
・脚本家が大石静さんである
大石さん本人が乗り気でなかったにも関わらず、説得したと語られています。
今になってみると、むしろ大石さん以外はありえない人選であったと思います。
実力はもちろんあります。
まひろと道長のインモラルな恋愛関係から、毒を抜いてああも甘くできるのは、大石さんでなければできないでしょう。
大河の執筆経験もあり、この難しい題材をこなせるだけの歴史への理解度、スタミナもむろん特筆すべき点です。
それだけでなく『功名が辻』を手がけた彼女だからこそ、このドラマを書いたことには大きな意義があると感じる。
『功名が辻』は、昭和から平成にかけての女性像を反映した作品といえます。
男性ベストセラー作家の原作がある。良妻賢母路線を称揚する。戦国時代を描いているようで、実は第二次大戦後の家族像や男女観を象徴する作品ともいえます。
そんな良妻賢母や専業主婦を閉じ込めるような檻を書いた脚本家に、あえてその檻を破壊する作品を描かせる。
大石さんのキャリアの大輪の花を咲かせ、世の中を変えるだけの力があると示す、実に見事な策ではないですか。
この人選の時点で見事です。完璧です。
・同意を得ていない性行為がない
今年のドラマに投げかけられる定番の酷評として、こういったものがあります。
どうあがいても『源氏物語』には遠く及ばない。素直に『源氏物語』をドラマにしろ。あるいは劇中劇で『源氏物語』を入れるべきだ、など。
これは無理です。
キャストが増えすぎることや予算もありますが、そうではない決定的な理由があります。
あの物語は、根底に同意を得ていない性行為があります。
紫の上。藤壺。女三宮。浮舟などなど。こうした女君をカットして話を説明することはまず不可能です。
性的、暴力的な描写と異なり、レイティングをクリアする作品でも、不同意性行為は問題視されます。
前述した『ゲーム・オブ・スローンズ』でも、フェミニズム観点で最も問題視された場面に、サーセイとジェイミーの不同意性行為があります。
『光る君へ』では、不倫も不義の子も出てきます。プロットの根幹としても出てきます。
それでも性行為はあくまで同意を得てのものであり、この点ははみだしておりません。
『源氏物語』を映像化すべきだという意見を読むと、本人としてはよいことを語っている前提なのかもしれないけれども、コンプライアンス面でのアップデートが必要なのではないかと、少し心配になってしまいます。余計なお世話でしょうが。
・未成年への配慮
まだ『ゲーム・オブ・スローンズ』の話を続けます。
ポリコレを無視した作品の代表格とされるこのドラマですが、配慮がないわけではありません。
メインヒロインであるデナーリスの児童婚と出産を避けるため、原作では初登場時13歳であった年齢を、5歳上乗せして18歳にしています。
人を生きたまま焼き殺すほど過激な作品だろうと、児童を性的対象と見なす描写はできません。
そうはいっても、時代劇では現代の視点からすると未成年結婚は出てきてしまいます。
さて、どうするべきか?
その一つの答えが『光る君へ』では示されています。
まず、未成年同士の恋愛描写は抵触しません。幼いまひろと道長の逢瀬は問題ありません。
問題となるのは、彰子の入内です。
このとき、道長と倫子はかなり抵抗を示したように描かれています。
一条帝が彰子の幼さに失望する様も描かれました。
彰子が思い余ってやっと一条帝に告白した時、彼は困惑して去ってゆきました。
せっかくだから抱きしめちゃえよ! 反応しようよ!
視聴者はそう盛り上がったものですが、これもコンプライアンス対策にも思えます。
まだ性的なことが理解できない相手に対し、ムードに流されて踏み込むことは、配慮がありません。
一旦持ち帰ってでも、どうアプローチするのか考える。一条帝は現代の基準で見ても、紳士の中の紳士といえます。
時に史実に準拠しつつ、時に逸脱しながらも、コンプライアンスをしっかり守っているのがこのドラマです。
そしてこの作劇からは、コンプライアンスやレイティングを守ることは足枷となるだけでなく、表現を磨き上げる砥石となることも示しているのです。
なお、これも2023年からのリカバリといえる細やかさです。
あの作品では子役の茶々が秀吉に対し、色目を使う場面がありました。国際基準では子役には性的なシチュエーションを演じさせません。若作りした成年役者を起用します。
・東アジアの双系制
日本史上、近世到来と共に薄れたものとして【双系制】があります。
男系か、女系か、どちらか一方を重視するのではなく、両方を尊重する制度のことです。
『光る君へ』のストーリーを掴んでいく上では、この制度を理解する必要性がありました。
物語の重要な舞台として、源倫子が所有する土御門邸があります。
倫子は無力ではなく、大きな権力を有していたのです。
この時代に【双系制】を示し、日本史における男女のあり方をドラマで見せていくことは、啓蒙として大いに意義があります。
本作はそのことを成し遂げました。
・政略結婚の残酷さを描く
イギリス王室のヘンリー王子自伝のタイトルは『スペア』です。
兄のスペアとして生まれてきた己の人生をあらわすタイトルといえます。身分制度とは、なんとも残酷なものです。
『光る君へ』では、姫たちが政略結婚の道具にされることに、嫌悪感と拒否感を見せる場面が随所にあります。
文字で読むだけでなく、血と肉をもつ役者が演じることで、生々しい嫌悪感が伝わることはある。
身分で、生きる道が決まることは果たしてありなのか?
それを示す強い意識を感じさせます。
・女性識字率の低さとその弊害を映像化している
『光る君へ』の魅力は、多彩なオリジナル・キャラクターにもあります。
子役であり、出番が短いながらも、その中に“たね”という少女がいました。
彼女にまひろが文字を教える場面があります。
なぜ文字を教えようとしたのか? その動機として、文字が読めない女性が我が子を買われ、連れ去られてしまうシーンも出てきました。
まひろたち文人は、自己実現や宮中政治のために筆をとりました。
しかしそれだけでは全く足りない。女性が学をつける根本的な意義、福祉としての重要性も示す場面です。
繰り返しますが、フェミニズムには語る人の数だけ定義があります。
『光る君へ』は個性が強烈なヒロインでもあり、こんなかわいげのない女の語る「フェミニズム」なんて認めたくないという意見は、女性からも当然あるでしょう。
けれども、自分の定義と異なるからと、全否定することはよくありませんね。
『光る君へ』の制作者は用意周到なので、フェミニズム批評で加点される要素をクリアしています。
なお、フェミニズム批評については、北村紗衣先生の著書をおすすめします。
大河としての改善点
『光る君へ』から大河を見始めた平安文学ファンが、口をきわめて本作を罵倒する姿はしばしば見られました。
そんなとき、私はこう思ったものです。
「いや、2023年からの問題点をリカバリしていてむしろえらいと思う。今年が史上最低大河だと思うなら去年を見ていただきたい」
あるいは、こんな意見もありました。
「こんな駄作しか作れないなら、大河なんてもうやめれば」
いや、それをすると、浮世絵のように日本から時代劇が消えかねないので私は断固反対です。
『SHOGUN』が日本史時代劇の代表になっていまったら、文化の大損失。
悪いものは悪い。よいものはよい。
具体的かつ可能な改善案を踏まえつつ、分析するのが重要だと私は踏まえます。
そこを踏まえまして、去年ああも罵詈雑言を書き連ねておいて、今年も同じことをしたら、私は不誠実な愚か者に成り下がると痛感しました。
『貞観政要』を読んでおいて、そんなことはできないなと。
本作の世界観なら「貴殿は噛み付くことしかできぬ。まるで狗だな!」と実資にでも罵倒されることでしょう。
昨年大河で実現できておらず、今年は著しい改善どころか進歩が見られた要素をチェックしておきます。
・書道
昨年、私は家康が「お千」と崩字を用いずに書いた場面で、呆れていました。
当時は絶対にああいう文字にはなりません。そもそもが書道担当者と役者が書いた文字の落差が大きすぎて、見ているだけで気が遠くなりました。
他にも筆を鉛筆持ちする場面が頻出したため、そのたび「筆の持ち方がなっとらん!」と憤激してしまいました。
それが今年はどうなったか。
書道についていえば、『光る君へ』は、大河史上最高水準に到達したでしょう。
かな書道の神である藤原行成を出す上で、そこを怠ったら話にならない。
根本知先生の題字はからして、大河史に残る美しさです。書家による大河の題字は定番とはいえ、かな書道専門の字は貴重です。
そんな根本先生が付きっきりで指導して、演じる側も実によく応じました。
本来は左利きでありながら右手で筆を持ち、かな書道をこなした吉高さんには、賞賛しかありません。
藤原行成を演じる渡辺大知さんのことは、ずっと心配でハラハラしていました。
神を演じるわけですから、かな書きは彼をジッと目を凝らして見ている。その圧に折れないか。私までもが不安になってしまったのです。
しかし彼は、柳が風を受けるように、すずやかにこなしているように見えた。
もちろん相当な練習をしたと思います。それがそんなことを感じさせない。指導することで根本先生もインスピレーションを得ているようでした。
書には天意が宿ると言われています。それはこういうことかと、神秘の世界にまで到達してしまった感があります。
かな書きの方と、話も盛り上がりました。
根本先生は働きすぎではないか。心配だけど、彼自身が生き生きしているからよかった。
文房四宝がいかにも良いもので、垂涎ものだ、などなど。書道についていえば天意すら得た、空前絶後の作品だと思います。
道長の悪筆を断固として保持したい強い意志も感じました。
根本先生に指導を受けても上達しなかったという、柄本佑さんの嘆きが実に素晴らしい。
・所作
昨年の大河では、家康たちが座る場面が極端に少ないことに苛立ちを覚えました。たまにあったにせよ、立って座る動作ごと映ることはない。そんなにスタンディングばかりしていて、立食パーティでもするつもりかよ!と憤激したものです。
今年はまるで違いましたね。
女性は、重い装束を着て、歩くだけでも疲弊したことでしょう。それでも背筋が伸びているのだから、すごいことだと思いました。
男性は、スタスタと歩いていきて、脚を組んで座る。袖を翻す。こうしたキビキビした動きから、スタミナが尽きて柱に寄りかかるところまで、見応えがありました。
畳すらない床では、男女ともに、どれほど脚が痛かったか……本当に大変なことでした。
ただ所作をこなしているだけでなく、個々人の性格まで滲んでいたようにも感じます。
まひろはどこか気まぐれでわがままそうに見える、憂鬱そうな顔で筆を弄ぶ。
隆家は貴族でありながら、活力のありそうな動きで袖を翻す。
安倍晴明は、これなら確かに龍神を呼べるのではないかと思うほど、説得力がある神秘的な動きでした。
疲れ切った道長をみていると、そういえば『源氏物語』ではやたらと寄りかかる動作が多いことも改めて気付かされました。
指導されたからそうしているのではなく、平安人として生きている。そこまでこなれた美しい所作でした。
・滑舌と語彙力
昨年の「慈愛の国」というワードチョイスセンスに、私は悶絶しておりました。
自分に対して「腹を召す」と敬語を使うとか。堕ちるものである「地獄を背負う」とか。チェックが足りないのではと思うこともありました。
大河ドラマは、年ごとに語彙力や難易度の差があると思います。
『麒麟がくる』に続き、今年も難易度が高いと感じました。
日常生活ではまず出てこない、凝った言い回しも大河の魅力です。
ここは手抜きせずに突き進んで欲しいものの、伝わりにくいとなると、それはそれで困りますよね。
このドラマは、まひろ、実資、公任あたりは、本当に難しいことを持論展開するので、辛かっただろうと思います。
ロバート秋山さんは実資のセリフに四苦八苦したと明かしておられます。それでも彼の言う通り、編集や演出で立て板に水としか思えない。大きな進歩があったことが伝わってきます。
発声や滑舌もよい。
ヒロインであるまひろは性格が暗く、ボソボソと話す場面が多いものでした。
それでも聞き取れないことがなかったので、これは役者の演技だけでなく、音響はじめとするスタッフもかなりの手練だと思う次第です。
・小道具
昨年、私はニコライ・バーグマン調のフラワーボックスに愕然としました。
もはや時代劇ですらない、オーパーツの出現、SFなのか?と困惑した次第です。
今年は小道具を見るだけでも至福のときでした。
まひろと三郎を描いた檜扇は中でも出色の出来でしたね。
実資が眺める春画もよい味を出していました。
その道の専門家が手掛けるだけに、間違いのない品と申しましょうか。
一つ一つの出来がよいだけではなく、登場人物の個性や性格、資産の程度も示しています。
兼家の背後にずらりと並べられた磁器。
妍子が夢中になる唐物。
どれも素敵でした。
繊細な磁器で酒を飲む場面は眼福です。博物館で酒器を眺めても、実際に飲む姿は見られません。
大河ドラマの意義を感じたものです。
藤原伊周の呪詛は強烈でした。まさか木の人形を噛み締めるとは想定外です。
この呪詛道具は、本物を完全には再現しておらず、効果は発動しないようにされています。演者を気遣う優しさがあります。
呪詛対策までバッチリ、まさしく小道具担当者の鑑といえる配慮です。
・衣装
昨年の衣装について、例えば大久保忠世は「まるでスイカバーのようだ」と嘆いたものでした。
決してあのデザイナーさんが嫌いなわけではありません。他の作品では素晴らしい衣装だと思いました。
しかし『平清盛』の時も昨年も、日本の時代劇に求めているのはこういうものではないと感じたものです。
一方で批判が多かった『麒麟がくる』の衣装は、私は違和感は覚えませんでした。
確かに鮮やかだし、江戸時代中期以降のものとは異なるけれども、特に違和感がなかったのです。
昨年は「東洋色彩のパレットではない」という結論に落ち着いています。使っている絵の具が、東洋の色彩ではないと感じたのです。
今年はこの「パレット」が正しいと思いました。
東洋には独自の色彩があります。それを知り尽くし、キャラクター像にあわせてアレンジしつつ、楽しみながらデザインしていると伝わってきます。
日本の伝統色はこんなにも美しく、可愛らしく、素敵なのだと、弾むような楽しさまでもが伝わってきたのです。
デザイン画も、衣装そのものも、目にしたものは鮮やかで美しいものでした。
デザイナーの諫山恵実さんは日本画を学んだ方で、それならば納得できると思いました。中でも安倍晴明の衣装は、歴代大河でもトップクラスの見事な物だと思います。
宋人衣装も見事でした。
昨年の唐人医衣装は「横光三国志でも参考にしたのか!」と頭を抱えたものです。
それが今年は、あの細かい『清明上河図』を参照し、職業ごとに再現したというのですから、驚くばかり。まさかそこまでするとは脱帽です。
・音楽
昨年はオープニングテーマから辛いものがありました。
曲そのものは悪くない。でも、体育祭ぽいというか。コンセプトが曖昧なまま動き出しちゃった感があるというか。
今年の冬野ユミさんは、軽やかで自由自在だと思いました。
平安時代でこれなのか。そう戸惑うこともありましたが、当時の楽器だけにするわけにはいかないのだから、これはこれでよいものだと思いました。
場面ごとにちゃんと合っていて、時に荘厳、時に軽快で、ストレスがなかったものです。
音響も気配りがあって、うるさすぎると思うことがありませんでした。
・実写映像
昨年のVFXは一体何だったのか。
日本というよりMMOかと思わせる謎めいた景色には言葉を失いました。
南に虹が出る世界観だったし、戦国時代ではない、別の世界を目指していたのかもしれません。
これは『SHOGUN』でも感じました。
VFX全盛の時代とはいえ、そればかりにすると画面が見ていておもしろくない。どうしたものかと思わされます。
これは大河チームもそうなのか。
スタジオ撮影が多いとされる本作ですが、肝心なところで日本の景色の美しさが堪能できました。
鳥辺山の鬱蒼とした景色。琵琶湖の湖面。筑前の浜。どれも実写でなければ出せない光と影がありました。
VFXに頼りすぎる弊害は、昨年ではなく一昨年の『鎌倉殿の13人』でもありました。
ウクライナのVFXスタジオに外注していた結果、仕上がらないというハプニングがあったのです。
むろんVFXを一切使わないことはありえないにせよ、使い方の加減を考えつつ、映像を作り上げていくことはよいと思います。
・乗馬
昨年のVFXメリーゴーランドじみた乗馬は何だったのか……。
「打毱」の項目でも触れましたが大河ドラマに乗馬シーンは欠かせません。
出演が決まり、乗馬もあるのかとワクワクする俳優の方もいると思います。極上の体験にもなります。
それをタイムパフォーマンスだか何だか知りませんが、VFXで済ませるとは何事か。しかも品質は最悪でした。
そう思っていたら、今年は打毱までしました。
ただの乗馬ではない、本当に高度な技術が要求される。
乗馬を毎年することは技術の継承としても重要です。
今年は平安大河なのに乗馬が昨年より充実していて、本当に眼福でした。
・殺陣と武器考証
昨年はウケ狙いだかなんだかしりませんが、プロレス技を入れていましたよね。
そういうものは求めてないんですよ。
死ぬ間際の信長の無双も、現実世界を超越していたし、岡田准一さんの身体能力無駄遣いにもほどがありました。
現実社会を超越しているといえば、火器考証もおかしいですよね。
「慈愛の国」構想では空鉄砲を撃ち合っていましたが、その火薬にせよ輸入抜きにしてはできない。
装填を考慮していない発射速度の火縄銃。火縄の扱いが無茶苦茶な茶々。そしてレーザーバズーカのような射程距離の大砲。思い出すだけで憤激させられます。
一方、平安大河で殺陣を求めても仕方ないか。
そう思っていたら、双寿丸がキレキレのキックで悪党を倒したものだから、驚かされました。
さらには【刀伊の入寇】です。
なんとマニアックな武器考証でしょうか。
中国の影響下から抜け出してゆく甲冑の変遷。
素朴な長柄の武器。
補強がそこまでされていない当時の和弓。
そして刀伊側のみが用いる弩。
刀伊側は日本とは異なる中国の特徴が出ていて、比較も実に興味深いものがありました。
こんなにマニアックな武器が見られるなんて……感無量です!
・ジャニーズ問題後のキャスティング
この問題は終わっておりません。
局内でも昨年の大河は問題視されているのではないでしょうか。
10月20日放映の『ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像』では、2023年度大河決定時、理事を務めていた若泉久朗氏の姿も映っておりました。
この番組放映後、昨年に続き、今年も紅白歌合戦へのジャニーズ出演はなくなったと報じられております。
この問題は大河ドラマはじめ、朝の連続テレビ小説等、他のNHKドラマにも影響を及ぼすことでしょう。
ジャニーズが出なくなった今年の大河ドラマにおいて、若手男性俳優に注目が集まらなかったら、批判は避けられない状況になりかねません。
しかし、今年は大河を契機にブレイクする若手男性俳優がおります。
一条帝、三条帝、伊周、隆家など、みな輝きがあった。
ジャニーズに頼らなくても日本はちゃんと個性あふれるイケメンを用意できると証明できましたね!
さらに彼らは事務所の力に頼らず、己の演技に賭けているのか。時代考証担当者が著書を差し出すと、既に読んでいる人も多かったそうです。
実に希望に溢れる展開です。頑張った分だけ皆光っておりました。
このドラマは『スカーレット』から再登板する俳優も多いものでした。
中でも一際重要な再登板となったのは伊藤健太郎さんでしょう。
彼は『スカーレット』で幅広く知られるようになりながら、不祥事で活動が停止状態になってしまった。その再登板といえば賛否両論あることは間違いありません。
それでもこのドラマは彼の再起に賭け、重要で個性を引き立てる双寿丸に起用しました。この義侠心はあっぱれだと思います。
2019年大河ドラマは、朝の連続テレビ小説『あまちゃん』からキャストとスタッフの続投が目立ちました。ファンダムそのものも、同窓会のような様相を呈していたものです。
しかし、私はそれがかえって気持ち悪かった。肝心の主演俳優が再登板されていないのに、そのことを見ないような明るさで盛り上がるとは、なんと残酷なのだろうと。
『スカーレット』組の伊藤さんがこのドラマに再登板しなかったら、私はまたあのときと同じ苦い思いを噛み締めていただろうと思います。彼が戻ってきて、本当に嬉しく思います。
大河の伝統として、役者のキャリアを伸ばすこともあります。今年はその原点にも回帰したでしょう。
2023年の激動後、今年はかえってキャスティング面において大きな進捗がみられました。雨降って地固まるとはこういうことですね。
なお、大河ドラマでは基準があるようです。
ジャニーズ出身であっても、事務所を移籍すれば採用されるようで『べらぼう』には移籍済俳優が起用されます。
2023年大河ドラマについていえば、再放送枠から外しているのではないかと私は推察します。局内でも不快だと思っている人はいることでしょう。
私が蒸し返さなくとも、誰かがこの作品についてはこれから何度でも蒸し返すものと予測されます。
・労働環境の改善
『鎌倉殿の13人』では、主演の小栗旬さんが先頭に立ち、大河チームの環境改善に取り組んでいたと報道されました。
それが2023年には週刊文春でスタッフの苦境が告発される事態にまで陥った。
いくら2023年大河の良いところを指摘されようと、私はこの一点で断固支持できません。
パレスチナ問題を踏まえて、スターバックスやマクドナルドでの食事を避けるように、パワハラが文春砲で暴かれるようなドラマを誉めることも避けたい。
スタッフが苦しみ抜いて作り上げるものなんて、とてもじゃないけれども肯定できません。
そういう意味では昨年の大河、2019年大河(脚本家が消耗し、無理矢理作らされたと暴露した)2024年下半期朝ドラ(劣悪な環境だと文春で明かされた)は出来が悪くて助かります。
もっとも、スタッフがいやいや作ったドラマが面白くなるはずもないとは思います。
そこを踏まえて、今年です。
まず、主演の吉高さん以下、顔色が大変よろしい。
楽しんで撮影していることが伝わってきます。空気が澄み切ってとてもよいと思えます。
昨年大河関連番組では、主演の話を聞いているスタッフは具合が悪そうな顔色で、とても心配だったものです。
出演者だって誰かが文春に台本を流出させたからには、不満が充溢していたのでしょうね。
今年は職場環境がよくなって、ほんとうによいことだと思います。澄み切った水で、綺麗な花が咲く。そんな大河チームでありますように。
こんなに改善点があるのに、昨年と今年をまとめて「どっちもどっち」とするとすれば、それはおかしいと思います。
それこそ玉と石の区別がつかないようなもので、鈍感だと告白するようなもの。私としては避けたいところです。
海外進出できるか? 実はもうしている
『源氏物語』は国際的に人気もあります。
海外進出しないかな?
と、ファンであれば考えることでしょう。
前述の通り、このドラマはジェンダー観点、コンプライアンスの点でも問題ありません。
成年向けレイティングになることは考えられますが、放送できないとは国際的基準からみても考えにくい良質な作品です。
なお、2023年の場合、ジャニーズ主演という時点でこの点は絶望的でしょう。
実は大河ドラマは、本作のみならず、既に海外でファンがいる国もあります。そして今年は、その海外ファン層へのアピールが際立っていました。
ききょうはまひろが物好きだと、呆れるような、面白がるようなことを言っておりましたね。
私も『光る君へ』には「まあ、物好きな!」と言いたくなる珍妙な特徴があると思います。
それは中国語圏へのアピールが突出しているということです。
日本以外の国で、最も大河を熱心に見ている国はどこなのか?
というと、中国語圏は確実に入ります。Wikipediaでも大河ドラマ作品は、日本語に次いで中国語が充実しています。
西田敏行さんの訃報の際、中国でも多くの大河ファンが悼んでおりました。
彼は大河常連ですので、コメントの多くは大河での熱演を懐かしむものでした。
中国語圏大河ファンのベテランともなると、ほぼ確実に『葵 徳川三代』を熱く語りだすものです。
今年の場合、『葵』について熱く語りだす中年以上男性ではなく、幅広い層に向けて刺さる作品となっていたことが伺えます。
留学して大河ドラマを見始めて、どんどん見逃せなくなってしまった。
吉高さんと松下洸平さんのケミストリー目当てで見始めて、まんまとハマってしまった。
最終回ではめっちゃ泣いた……そんな比較的若く、女性と思われるコメントも見られました。
『光る君へ』は、中国人大河ファンを虜にする、ありとあらゆる仕掛けがありました。その要素を見てまいりましょう。
・打毱、曲水の宴、抹茶……中国由来の日本文化
打毱放送後、こう話題をふられました。
「大河で見たんだけど、打毱ってまだ日本にはあるんだね。うちの国は保存していないのに、残してくれてありがとう」
この言葉には頭が真っ白になりました。
中国で廃れたものや文化が日本に残る現象があることは、知識として理解しています。
しかし、そのことで中国人からしみじみと感謝されるなんて、想定外のことで感動しました。ありがとう、『光る君へ』!そう思ったものです。
なんとも贅沢なことに NHK BS放映中の『三国志 皇帝の秘密』と比べることで、この行事の日中比較ができます。こんなことが起こるものなのかと、驚かされるばかりです。
・朱仁聡と周明、宋人たち
宋人が出ることも、もちろん惹きつける要素です。
朱仁聡を浩歌さんが演じるとなると、中国でも納得の声があがりました。
中国語圏で絶大な知名度と人気を誇る浩歌さんは、名誉中国俳優のようなもの。あいつの中国語なら全く問題ないな! そう受け入れられていたものです。
周明は日本人が演じるのか……と当初は困惑されたものの、対馬生まれという正体が明かされると納得されていました。
吉高さんと松下さんのケミストリーにはファンが多く、この二人のために大河を見続けることにしたという人もいます。
周明とまひろが浜辺を歩いている場面を見ているうちに、涙が出てきたというコメントも見かけました。
こうやって中国人が日本にいて歩いていたのかと思うと、泣けるのだと。日本で暮らす中国の方にはジンとくる場面であることでしょう。
日中間の比較もなされています。
衣服や監修が映像化されていて、知識が動きだすような刺激があったと思われます。
吉高さんと松下さんが中国語で話す様子も「かわいい、微笑ましい〜」と興味深く見守られたようでした。
これも昨年からのリカバリになります。あのときは中国語セリフの字幕が間違っていて失笑されたものですが、今年の中国語はむしろチャームポイントになりました。
朝の連続テレビ小説『虎に翼』では、ルーツと役が一致するキャストが画期的とされました。
『光る君へ』でもこれが実現しています。恵清役の王偉さんはじめ、中国人俳優が中国人を演じたことは歴史的なことです。
宋人の所作指導も京劇俳優がつとめ、日中間の交流という点でも大きな一歩となった作品。役名が日本語読みでなく、中国語読みとされたことも重要です。
「周明」と書いて「ヂョウ・ミン」と読めるようになったこと。これもまた小さなようで大きな一歩です。
・書道
書道も注目を集めています。
書道を嗜む中国人も、日本を代表する書家である藤原行成には興味津々でした。
それぞれ特徴的な筆跡に納得する一方、衝撃的だったのが道長の悪筆のようです。
「漢詩の会」での筆跡を見て「なんか一人だけおかしいのがいるぞ!?」と衝撃を受けていたのは、思わず笑ってしまいました。
ドラマでも言及されていたように、中国では科挙があります。科挙の採点基準には筆跡もあるため、官僚でありながら悪筆であることはまずないのです。
なお、日本人と中国人では筆の持ち方が異なります。それも本作では再現されています。
・漢籍
まひろや為時が漢籍を読むと、日本でも学んでいるのかと興味津々のようでした。
中国では唐代の詩人といえば李白が頭一つ抜けて有名です。
しかし日本では白居易の人気が高いことが意外なようです。
・小麻呂
猫好きは国境を越えるもの――そう片付けられない関係が日中間にはあります。
日本猫のDNA解析の結果、その先祖は中国から来た猫だと確定しました。
源倫子の愛猫である小麻呂の子孫が、今も生きているというわけです。
このドラマに出てくる猫は、平安時代にいた毛色のものだけを起用しておりました。
偶然かもしれませんが、小麻呂がキジ白ということが中国からみればたまらない要素となります。
日本猫の先祖となる中国土着の猫は「中華田園猫」と呼ばれています。
この中でもキジトラは「狸花猫」と呼ばれ元祖とされ、格上の扱いなのです。
日本猫の先祖が「中華田園猫」であると説明するとき、倫子と小麻呂の画像でも使えば、抜群の説得力がある。キジトラという格別な要素がその力をさらに増しているのです。
日本の猫の歴史を説明するうえでも、中国人ファンを惹きつけるうえでも、『光る君へ』は実によいことをしてくれたものです。
・中国風建築
これも昨年からのリカバリ要素といえます。
昨年の清洲城は「紫禁城のようだ」と言われたものです。
いや、中国風の建物はこんなモノクロではない。そう説明したかったものの、面倒なので諦めました。
それが今年、報われた思いがします。
中国風の朱塗りの柱と開放感のある空間は、日本と違うとおわかりいただけたことでしょう。
日中間の建築の違いが可視化されるとは、なんと贅沢なことか。建物ひとつでも、こうした日中比較ができることこそが大河の魅力です。
・刀伊の入寇にジャッキー・チェンがいる!
【刀伊の入寇】の場面で、モノマネタレントで俳優の“ジャッキーちゃん”がいることを中国人視聴者もめざとく発見していました。
なぜ時空を超えて成龍(ジャッキー・チェンの中国語表記)がいるのか!と困惑する反応もありました。
この反応まで見越しての器用だとすれば、どこまで策をめぐらせたのかと感嘆するほかありません。
好悪や偏見でなく、現実を見れば、中国人大河ファンにアピールするのは至極真っ当ではないか。私はそんな確信を抱いたものです。
母国のドラマで目が肥えている中国人は、大河なんて見向きもしないのではないか。こんな誤解もありますが、実際はそうじゃない。
日本のコンテンツ愛好者は、日本人からすると欠点に思える点でもそこに魅力を感じていたりします。
そこを理解し、日本らしさを活かしつつ、惹きつける要素も持ち出す。今年の大河はこの点でかなりの手練といえます。
中国史考証の正しさなんて、いちいちうるさいのはよくないのか――そう思ったりしたこともありますが、そうではないと証明された気がします。
なお、中国語圏では近代史もの大河は題材の時点で受け付けられないこともあります。
近年では2015年、2018年、2019年、2021年は、テーマ選択の時点で忌避されかねないものです。
2024年は日中関係が悪化しているとされます。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
なんのかんので中国産ソーシャルゲームを遊ぶ日本人は多い。放映される中国ドラマも増えている。『三体』や『両京十五日』を読む人も増加中。
これは逆もまた然りと言えそうで、NHKはそこを踏まえていると思います。
『作りたい女と食べたい女』や『大岡越前』には、中国人役が登場。そして大河ドラマでも、盛りだくさんで画期的なほどに中国要素がありました。
偏見を抜きにして、歩み寄る努力だって必要じゃないか。お互いを比較してみることで、自分たちの個性や強みもわかるのではないか。私はこの取り組みに賛意しかありません。
海外でも『光る君へ』が見られるといいな。誰かがそう言っていたら「既にファンはいますよ!」と伝えてあげましょう。
なお、ドラマを総括した総論レビューは、後日あらためて掲載の予定です。
次回をもって私の『光る君へ』最終回とさせていただきますので、よろしければ最後までお付き合いください。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
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文:武者震之助(note)
【参考】
光る君へ/公式サイト





