平安時代を舞台にした挑戦的な大河ドラマ『光る君へ』が最終回を迎え、数日が経過したのに未だ熱が冷めやらない。
誰かと語り合いたい――そんな方は少なくないようで、関連記事にせよSNSにせよ、まだまだ番組を堪能したい!という気持ちが伝わってきます。
皆さんの印象に残った場面はどこでしょうか?
なんて問われたところで、数え上げたらキリがないでしょうから、本記事では、名場面や小道具、海外の反応など、ドラマに関連するトピックを雑多に取り上げさせていただきました。
もう一度『光る君へ』を堪能したい!
そう望んでいる方に楽しんでいただければ僥倖……というわけで、早速、本題へ進んでまいりましょう!
・まひろと三郎が河辺で出会う
『源氏物語』における紫の上と光源氏が出会う場面のオマージュとされています。
第1回でこの場面が流されることで、この作品は『源氏物語』へのオマージュを捧げながら展開していくという方向性が示されました。
放送前から物議を醸していた、紫式部と藤原道長の関係性もここが始点――この世界観についていけなければそこまでだと示す。
藤原道兼によるちやは殺害と並ぶキーポイント。
振り落とされた視聴者は、それまでということでしょう。
・打毱とロッカールームトーク
2023年の大河ドラマにはVFX乗馬シーンが出てきて物議を醸しました。
「動物愛護」という観点から擁護する意見もありましたが、それでは他の年の大河では、馬を虐待していたとでもいうのでしょうか。大河がこれまで培ってきた乗馬技術を侮らないでいただきたい。
NHK大河チームに、そのぼやきが耳に入らないわけがないでしょう。
通常の乗馬よりも難易度が高い「打毱」を入れることで、昨年の雪辱を果たしました。
近年、エンタメを鑑賞する上でジェンダーに配慮しているかどうか、ここが重要視されます。
打毱後の男たちの本音トークと、『源氏物語』の「雨夜の品定め」を重ねることで、ジェンダーについても配慮があると示しました。
序盤における定番の名シーンと言えるでしょう。
・直秀の死
衝撃的だった直秀の死――この悲劇は後々、まひろと道長の関係に暗く長い影を落としてゆきます。
なんせこの悲劇は、道長の欠点である、詰めの甘さが一因となりました。
しかも政権の頂点に立ったというのに、検非違使の改革など全く気にも留めていない様子であり、結局、それがなされていないことも最終盤で明かされます。
さらには最終回で、この直秀の死がまひろと道長を繋いでいたことも明かされました。
貴族社会が平民の命を軽んじていること。この作品に貫かれた価値観も、この死が象徴しています。
・まひろ、道長の妾となることを断る
逢瀬と対比となる場面です。
まひろは道長の妾になることは嫌だと強硬に断りました。これには、温和な道長ですら怒りを見せるほど。
さらにまひろは道長に、陶淵明の『帰去来辞』を書いて渡しています。これは政治の世界から身をひき、隠遁生活を送ることを示唆したものと言える。
結局、道長はそれができませんでした。出家しても政治に介入するからこそ「太閤」として一目置かれ続けます。
この二人が結ばれる世界は、物語の先にある、この世ではないどこかでのこととなります。オープニングで示される反転した世界がその場所なのかもしれません。
・『源氏物語』誕生秘話と出仕
どのような経緯で『源氏物語』を書くに至るか――このポイントが、紫式部を描く上でもっとも重要であることは、言うまでもありません。
『源氏物語』にせよ『紫式部日記』にせよ、紫式部は面倒でややこしく、陰気な性質ではないか?とはよく指摘されるところ。
映像としても、和紙が降ってくる場面が幻想的で美しいものでした。VFXを過剰に使っておらず、手作業で処理をする場面が多いことも、本作の長所といえます。
ドラマはこの紫式部のややこしい性格を、丸めるどころかさらにエッジをきかせてきました。
まず、執筆順序を「桐壺」からとしました。
『源氏物語』の執筆順序は諸説あるものの、本作ではそのまま「桐壺」からとしたのです。
これに道長が一条帝を惹きつけるために書かせたとする説を組み合わせたことで、作家としてのまひろはとてつもなく気難しくなりました。
桐壺帝と桐壺更衣の悲劇は、どうしたって一条帝と定子の悲運と重なります。
それを本人に読ませるとは、炎上してもおかしくないのではないか?
道長はそう困惑するものの、まひろは一切妥協しません。
紫式部が出仕後に自宅へ戻ってしまうことは、職場に馴染めなかったのではないかと解釈されることも多いですが、本作では、職場で作品を書き続けようにもストレスが溜まるため、リモートワークにしたいと願い出る設定にされました。
専用の局も与えたのに、どういうことだ?
さすがにこのときの道長はそう苛立っています。
妥協を許さないまひろの気難しさが際立つ描き方です。それでもなんとなく許せてしまう、吉高由里子さんは本当にすごい役者です。
吉高さんは朝の連続テレビ小説『花子とアン』で主演を務め、作家を演じていました。
しかしあの役はモデルとなった女性を相当丸め、愛されるゆるふわキャラにしていて、惜しいことだと思っておりました。
吉高さんは無茶苦茶なヒロインを丸めるどころか、さらにきつくしても演じ切れる――そんな稀有な才能があると証明されました。本当に素晴らしいことです。
・ききょうの椿餅
このドラマでは、実際に顔を合わせているとも思えない紫式部と清少納言を友人関係にするという大胆な設定をしております。
では、なぜ、紫式部は清少納言のことをああも苛烈に批判したのか?
それを説明するように、ききょうがまひろの主君である彰子に対し、無礼な態度をとる場面がありました。
ききょうには、定子とその遺児への忠誠心がある。
まひろには、彰子への忠誠心がある。
そのためにああした批判になったのだと説明する場面となりました。
もちろんこれは創作です。しかし、そうした場面にこそ、このドラマの主張したいこともあるのでしょう。
紫式部がああも清少納言を批判したのは、夫である藤原宣孝のことをおもしろおかしく書いたとする解釈もあります。
いや、定子サロンに郷愁を募らせる者たちに警戒すればこそ、そうしたとも解釈されます。
ドラマのアレンジでは、二人の才女がゆずれない忠誠心を持っていたためと誘導している。よいアレンジだと思いました。
・一家三后
道長が「望月の歌」を詠んだ場面です。
肝心の三后は誰も微笑んでいない。政略の駒にされたことに対する苛立ちすら滲んでいました。
道長の権勢とは、結局、子を産み育てた倫子あってのことではないか?
運が良かっただけではないか?
そう示す皮肉な場面です。
しかも、月の光に輝く道長を見た後、まひろは旅立ちを決意してしまう。
なんと非情なドラマなのかと恐ろしいものを感じました。
・道長の出家
まひろは旅立ち、道長は出家を決意する。実に残酷極まりない場面です。
あれだけの栄誉をもたらした源倫子が止めても出家を断行する道長は、なんと冷たい男なのかと呆れました。
出家したあとも政治には口出しする。
しかも出家した後の方が政治センスがあがっているように思える。
自らの仏道のために寺まで建てる。
ここまでわがまま全開なのに、飄々としていて、憎めないうえに脂ぎっていないあたり、柄本佑さんはさすがだと思います。
ほんとうに髪を伸ばし、そして剃髪する――これほどの覚悟がある役者はそうそうおりません。
まさに伝説となる場面でした。
※続きは【次のページへ】をclick!