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【光る君へ名場面を振り返る】
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・未成年への配慮
まだ『ゲーム・オブ・スローンズ』の話を続けます。
ポリコレを無視した作品の代表格とされるこのドラマですが、配慮がないわけではありません。
メインヒロインであるデナーリスの児童婚と出産を避けるため、原作では初登場時13歳であった年齢を、5歳上乗せして18歳にしています。
人を生きたまま焼き殺すほど過激な作品だろうと、児童を性的対象と見なす描写はできません。
そうはいっても、時代劇では現代の視点からすると未成年結婚は出てきてしまいます。
さて、どうするべきか?
その一つの答えが『光る君へ』では示されています。
まず、未成年同士の恋愛描写は抵触しません。幼いまひろと道長の逢瀬は問題ありません。
問題となるのは、彰子の入内です。
このとき、道長と倫子はかなり抵抗を示したように描かれています。
一条帝が彰子の幼さに失望する様も描かれました。
彰子が思い余ってやっと一条帝に告白した時、彼は困惑して去ってゆきました。
せっかくだから抱きしめちゃえよ! 反応しようよ!
視聴者はそう盛り上がったものですが、これもコンプライアンス対策にも思えます。
まだ性的なことが理解できない相手に対し、ムードに流されて踏み込むことは、配慮がありません。
一旦持ち帰ってでも、どうアプローチするのか考える。一条帝は現代の基準で見ても、紳士の中の紳士といえます。
時に史実に準拠しつつ、時に逸脱しながらも、コンプライアンスをしっかり守っているのがこのドラマです。
そしてこの作劇からは、コンプライアンスやレイティングを守ることは足枷となるだけでなく、表現を磨き上げる砥石となることも示しているのです。
なお、これも2023年からのリカバリといえる細やかさです。
あの作品では子役の茶々が秀吉に対し、色目を使う場面がありました。国際基準では子役には性的なシチュエーションを演じさせません。若作りした成年役者を起用します。
・東アジアの双系制
日本史上、近世到来と共に薄れたものとして【双系制】があります。
男系か、女系か、どちらか一方を重視するのではなく、両方を尊重する制度のことです。
『光る君へ』のストーリーを掴んでいく上では、この制度を理解する必要性がありました。
物語の重要な舞台として、源倫子が所有する土御門邸があります。
倫子は無力ではなく、大きな権力を有していたのです。
この時代に【双系制】を示し、日本史における男女のあり方をドラマで見せていくことは、啓蒙として大いに意義があります。
本作はそのことを成し遂げました。
・政略結婚の残酷さを描く
イギリス王室のヘンリー王子自伝のタイトルは『スペア』です。
兄のスペアとして生まれてきた己の人生をあらわすタイトルといえます。身分制度とは、なんとも残酷なものです。
『光る君へ』では、姫たちが政略結婚の道具にされることに、嫌悪感と拒否感を見せる場面が随所にあります。
文字で読むだけでなく、血と肉をもつ役者が演じることで、生々しい嫌悪感が伝わることはある。
身分で、生きる道が決まることは果たしてありなのか?
それを示す強い意識を感じさせます。
・女性識字率の低さとその弊害を映像化している
『光る君へ』の魅力は、多彩なオリジナル・キャラクターにもあります。
子役であり、出番が短いながらも、その中に“たね”という少女がいました。
彼女にまひろが文字を教える場面があります。
なぜ文字を教えようとしたのか? その動機として、文字が読めない女性が我が子を買われ、連れ去られてしまうシーンも出てきました。
まひろたち文人は、自己実現や宮中政治のために筆をとりました。
しかしそれだけでは全く足りない。女性が学をつける根本的な意義、福祉としての重要性も示す場面です。
繰り返しますが、フェミニズムには語る人の数だけ定義があります。
『光る君へ』は個性が強烈なヒロインでもあり、こんなかわいげのない女の語る「フェミニズム」なんて認めたくないという意見は、女性からも当然あるでしょう。
けれども、自分の定義と異なるからと、全否定することはよくありませんね。
『光る君へ』の制作者は用意周到なので、フェミニズム批評で加点される要素をクリアしています。
なお、フェミニズム批評については、北村紗衣先生の著書をおすすめします。
大河としての改善点
『光る君へ』から大河を見始めた平安文学ファンが、口をきわめて本作を罵倒する姿はしばしば見られました。
そんなとき、私はこう思ったものです。
「いや、2023年からの問題点をリカバリしていてむしろえらいと思う。今年が史上最低大河だと思うなら去年を見ていただきたい」
あるいは、こんな意見もありました。
「こんな駄作しか作れないなら、大河なんてもうやめれば」
いや、それをすると、浮世絵のように日本から時代劇が消えかねないので私は断固反対です。
『SHOGUN』が日本史時代劇の代表になっていまったら、文化の大損失。
悪いものは悪い。よいものはよい。
具体的かつ可能な改善案を踏まえつつ、分析するのが重要だと私は踏まえます。
そこを踏まえまして、去年ああも罵詈雑言を書き連ねておいて、今年も同じことをしたら、私は不誠実な愚か者に成り下がると痛感しました。
『貞観政要』を読んでおいて、そんなことはできないなと。
本作の世界観なら「貴殿は噛み付くことしかできぬ。まるで狗だな!」と実資にでも罵倒されることでしょう。
昨年大河で実現できておらず、今年は著しい改善どころか進歩が見られた要素をチェックしておきます。
・書道
昨年、私は家康が「お千」と崩字を用いずに書いた場面で、呆れていました。
当時は絶対にああいう文字にはなりません。そもそもが書道担当者と役者が書いた文字の落差が大きすぎて、見ているだけで気が遠くなりました。
他にも筆を鉛筆持ちする場面が頻出したため、そのたび「筆の持ち方がなっとらん!」と憤激してしまいました。
それが今年はどうなったか。
書道についていえば、『光る君へ』は、大河史上最高水準に到達したでしょう。
かな書道の神である藤原行成を出す上で、そこを怠ったら話にならない。
根本知先生の題字はからして、大河史に残る美しさです。書家による大河の題字は定番とはいえ、かな書道専門の字は貴重です。
そんな根本先生が付きっきりで指導して、演じる側も実によく応じました。
本来は左利きでありながら右手で筆を持ち、かな書道をこなした吉高さんには、賞賛しかありません。
藤原行成を演じる渡辺大知さんのことは、ずっと心配でハラハラしていました。
神を演じるわけですから、かな書きは彼をジッと目を凝らして見ている。その圧に折れないか。私までもが不安になってしまったのです。
しかし彼は、柳が風を受けるように、すずやかにこなしているように見えた。
もちろん相当な練習をしたと思います。それがそんなことを感じさせない。指導することで根本先生もインスピレーションを得ているようでした。
書には天意が宿ると言われています。それはこういうことかと、神秘の世界にまで到達してしまった感があります。
かな書きの方と、話も盛り上がりました。
根本先生は働きすぎではないか。心配だけど、彼自身が生き生きしているからよかった。
文房四宝がいかにも良いもので、垂涎ものだ、などなど。書道についていえば天意すら得た、空前絶後の作品だと思います。
道長の悪筆を断固として保持したい強い意志も感じました。
根本先生に指導を受けても上達しなかったという、柄本佑さんの嘆きが実に素晴らしい。
・所作
昨年の大河では、家康たちが座る場面が極端に少ないことに苛立ちを覚えました。たまにあったにせよ、立って座る動作ごと映ることはない。そんなにスタンディングばかりしていて、立食パーティでもするつもりかよ!と憤激したものです。
今年はまるで違いましたね。
女性は、重い装束を着て、歩くだけでも疲弊したことでしょう。それでも背筋が伸びているのだから、すごいことだと思いました。
男性は、スタスタと歩いていきて、脚を組んで座る。袖を翻す。こうしたキビキビした動きから、スタミナが尽きて柱に寄りかかるところまで、見応えがありました。
畳すらない床では、男女ともに、どれほど脚が痛かったか……本当に大変なことでした。
ただ所作をこなしているだけでなく、個々人の性格まで滲んでいたようにも感じます。
まひろはどこか気まぐれでわがままそうに見える、憂鬱そうな顔で筆を弄ぶ。
隆家は貴族でありながら、活力のありそうな動きで袖を翻す。
安倍晴明は、これなら確かに龍神を呼べるのではないかと思うほど、説得力がある神秘的な動きでした。
疲れ切った道長をみていると、そういえば『源氏物語』ではやたらと寄りかかる動作が多いことも改めて気付かされました。
指導されたからそうしているのではなく、平安人として生きている。そこまでこなれた美しい所作でした。
・滑舌と語彙力
昨年の「慈愛の国」というワードチョイスセンスに、私は悶絶しておりました。
自分に対して「腹を召す」と敬語を使うとか。堕ちるものである「地獄を背負う」とか。チェックが足りないのではと思うこともありました。
大河ドラマは、年ごとに語彙力や難易度の差があると思います。
『麒麟がくる』に続き、今年も難易度が高いと感じました。
日常生活ではまず出てこない、凝った言い回しも大河の魅力です。
ここは手抜きせずに突き進んで欲しいものの、伝わりにくいとなると、それはそれで困りますよね。
このドラマは、まひろ、実資、公任あたりは、本当に難しいことを持論展開するので、辛かっただろうと思います。
ロバート秋山さんは実資のセリフに四苦八苦したと明かしておられます。それでも彼の言う通り、編集や演出で立て板に水としか思えない。大きな進歩があったことが伝わってきます。
発声や滑舌もよい。
ヒロインであるまひろは性格が暗く、ボソボソと話す場面が多いものでした。
それでも聞き取れないことがなかったので、これは役者の演技だけでなく、音響はじめとするスタッフもかなりの手練だと思う次第です。
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