徳川家光と徳川吉宗(右)/wikipediaより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

NHKドラマ10大奥で描かれた「家光~吉宗将軍期」は実際どんな時代だった?

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率先垂範、先憂後楽

吉宗が食事をとる場面があります。質素で、シンプルなものです。吉宗は着物すら木綿で、ワンポイントで刺繍が入っているだけのものでした。

男女逆転していても、吉宗の質素倹約ぶりは史実に即しています。

吉宗は徳川家康への回帰を掲げ、自らが手本となることで、民衆までの引き締めを狙いました。

「まァ、上様も、うまい飯は食ってねえからな」

江戸っ子たちはこう思うことで、不満は抑制されていたのです。

当時の政治規範として「先憂後楽」があります。

先んじて憂い、皆が楽しめるようになったら自分もそうする。そんなストイックな政治理念があれば、民衆の支持も得られます。

この将軍自らが規範となる姿勢は、後継者選びにも表れています。長幼の序を守り、家重を指名することで、儒教規範を示したのです。

ただし、それも良し悪しはあります。

吉宗のライバルとして有名なのは、尾張家の徳川宗春です。

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彼は質素倹約をあてつけるように、派手で華やかな統治を実現しようとしました。

その結果、失脚してしまい、偉大なる名君・吉宗と比較されるために、後世では厳しい評価が与えられた人物となります。

しかし経済という点からみれば、華やかな暮らしは金の流れを活性化させることは確か。

吉宗はそういうセンスがないという問題提起であれば、その通りです。

そんなド派手セレブな宗春を誰が演じたらよかったか?と、想像しつつ、経済について思いを馳せてみてもよいかもしれません。

 

民の生活は向上したが

ドラマでは、オリジナルの疫病である赤面疱瘡との対策がクローズアップされていました。

赤面疱瘡そのものはなくとも、江戸時代には幾度もおそろしい疫病が流行しています。

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こうした疫病は、医療体制の確立や衣食住環境の改善で抑制できるため、吉宗の改革により、生活の底上げは実現できていました。

その顕著な例が朝鮮人参の国産化成功でしょう。

中国大陸や朝鮮半島のごく一部に自生するだけであった朝鮮人参は、その特性のため輸入超過――これを克服すべく、吉宗は栽培に取り組んだのです。

ただの薬草栽培だけではありません。各地に栽培を教えるとともに、政治体制の確認も行います。

民衆が医療へアクセスできるかどうか、確認しつつ底上げをしたのです。貧しい民でも医療から取りこぼさないことに、吉宗は取り組んだのでした。

こうした民衆の生活向上のあとは、時代劇にも残されています。

吉宗編の主要人物は、時代劇でお馴染みです。

それだけ善政を行ったがゆえに、フィクションで取り上げられた結果といえます。

ただし、限界までも描かれています。

 

近世の完成は、それでも限界がある

吉宗時代は全盛期であり、上り詰めた時代です。

新田開発も頭打ち。人口増大に食糧生産が追いつかない。悪天候の影響を受けやすい米を経済の指標としていると、年貢の負担が大きくなってしまう。

米本位制からの脱却が必須となります。

赤面疱瘡にせよ、限界に到達しました。

薬草採取、感染の予防、解剖による症状の把握。ここまではできました。さらに一歩踏み込んだ予防および治療が残されます。

東洋医学ではない、西洋医学が必要です。

その入り口を開ける役目を、吉宗と家重が担っています。

蘭学を解禁すること。

サツマイモ栽培を広め、飢饉対策とすること。

家重の意を汲んだ田沼意次に、経済対策の案を託すこと。

近世から近代へ、時代はシーズン2へ向かうのです。

◆吉宗編まとめ

親:特になし

側近:加納久通。吉宗を名君の器と見定め、将軍とするために謀殺も辞さない。穏やかなようで断固たる決意を秘めた忠臣

吉宗の女性としての悩み:自覚しているかどうかわかりにくいが、情緒を理解し、優しく振る舞う「女性らしさ」の欠如はある

最愛の人である大奥総取締:杉下。恋愛感情ではなく、側近から家族愛へ。タイトルにある水野祐之進ではない

 

時代とともに変わるフェミニズム

ドラマ『大奥』は江戸時代をなぞるようで、フェミニズムの流れを辿るようにも思えます。

◆家光時代:第一波フェミニズム 1840年代〜1920年代

はじめに断っておきますと、現代のフェミニズムの流れは英語圏、英米を起点とするため、それ以外の地域を無視することもしばしばあります。

ともあれ、まとめますと、第一波フェミニズムとは、女にも市民権があることを確認する運動です。

参政権獲得がひとつも目標でした。

家光編のフィナーレは、

「誰かわしが女将軍になることに異存はあるかえ!」

と宣言する場面です。

女にだって、政治決定権がある――そこが彼女の到達点でした。

◆綱吉編:第二波フェミニズム 1950年代~

1950年代後半からアメリカで起こり、70年代前半に最盛期を迎えたとされます。

特徴としては、女性らしさへの押し付けの反発があり、この時代は冷戦時代と重なります。

第二次世界大戦が終結し、冷戦を迎えると、東側の男女平等に対して、西側はあたたかい家庭像をロールモデルとしました。

マイホーム、マイカー、家事育児と夫の愛を求める専業主婦――これぞ西側の理想だ、あんな化粧もしない女どもが働いている東側は哀れなもんだ――と、すり込んでいったのです。

当時の東側女性については「かわいげがなくて化粧もしていない器量の悪い女」というステレオタイプがありました。

こうした東側に対抗する西側女性ロールモデルとして、知性が否定され、愛くるしさと美しさを求められる動きが起きてくるとどうなるか。

例えば、戦時中に暗号解読に活躍した女性たちは、その活躍がなかったことにされ、家庭の主婦となるよう社会に押し付けられました。

それに対して、知性を求め、才能を発揮し、女らしさに対抗する運動が第二波フェミニズムです。

学問が好きな綱吉は、父から学問をすると器量が悪くなると言われていました。いくら知識を身につけても誉められず、女としての美しさや愛だけを求められることが内心は不満だったのです。

だからこそ、彼女は知性を磨き合う右衛門佐を求めた。

そんな綱吉編の解放は、右衛門佐の台詞に現れています。この言葉を聞いた後、綱吉は、父の前で打ち掛けを脱ぎ捨てて解放されます。

「上様、生きるということは、女と男ということは、ただ女の腹に種をつけ、子孫を残し、家の血を継いでいくだけのことではありますまい!」

女性性の過度な押し付けから解き放たれる――そんな象徴的な場面でした。

◆吉宗編:第三波フェミニズム 1990年代〜

1980年代の終わり頃、フェミニズムは時代遅れとされました。

女の権利は十分に保証されたではないか――そう思われていたのです。

でも、本当にそういうものなのか? 母親世代の「女とはこうあらねば」という押し付けも不満を生じさせます。

専業主婦もダメだけど、女としての役割は残されているような。そういう押し付け、型にはめることがともかく窮屈だ!

そんな中、アメリカやイギリスのガールズバンドが、自分らしさを求める運動を始めると、当時のポップカルチャーとも結びつき、ムーブメントとして広まってゆきました。

象徴的な言葉が「ガールパワー」。

女性の中にある、独立独歩精神を示しています。

吉宗は、少女時代から既存の女らしさからぶっ飛んだ規格外の存在でした。

どうなったらああなるのかと、綱吉は驚いていたほど。まさにこの上様はガールパワーの持ち主ではないでしょうか。

とはいえ、それが情緒にあまりに無頓着であると、藤波が諌めにかかります。

吉宗は自由に見えます。我が子の父も無造作に選び、さっさと政務の合間に世継ぎを作ってしまう。

家光と綱吉と比べると、いきいきと解放されているように思えます。

そうは言っても、ぶっちゃけすぎれば、それはそれで課題が残ることが示されている。

吉宗は自由であるし、ロマンチックな恋愛から解放されてもいます。

彼女はそれで十分幸せそうではあるけれども、皆がそうできないことは家重を見ていると伝わってきます。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
清水晶子『フェミニズムってなんですか?』(→amazon

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