光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ 光る君へ

『光る君へ』を読み解くカギである「漢詩」は日本にどう伝わりどう変化していった?

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実質、漢詩だって日本のモノ?

日本では徳川家光の時代に【明清交替】という大事件が起きました。

漢族の明が滅び、夷であったはずの【女真族】が清朝を立てたのです。

【女真族】は清のあとは【満洲族】とされます。時代を遡りますと、【刀伊の入寇】の「刀伊」はこの【女真族】です。

となると朝鮮や日本はこう考えます。

「中華の盟主たる漢族の明は滅びたのだ。もう、我々こそが実質的な中華になるのではないか?」

中国側からすればわけがわからない話でしょう。

朝鮮であれば【科挙】もあるし、官僚の朝服も明朝に似ているから、まだ理解ができるかもしれません。

しかし日本は全くそうではない。

にもかかわらず日本型の【中華思想】が江戸時代にはジワジワと根付いてゆきます。

もうこうなると、もはや【漢詩】は中国のものではなく、日本のものと思っても無理のないところではあります。

こうした発想の本拠地は、朱舜水ら亡命明人を積極的に受け入れた水戸藩でした。

ここで大河ドラマが関係してきます。

日本人と漢詩といえば、大河ドラマ『青天を衝け』は渋沢栄一の漢詩からタイトルがとられました。

渋沢栄一は水戸藩が発祥の【水戸学】信奉者です。

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江戸時代後半ともなると、日本では豪農層にまで教育が浸透し、渋沢のような階級でも、教養の一環として【漢詩】を詠めるようになっていた。

幕末には、こうした漢籍教養が身分の差を示していることもわかります。

江戸時代後期以降、こう呼ばれている人物が見受けられます。

「あの人は頭は切れるが、教養がない」

漢籍理解力が低いという意味で、あの平賀源内ですらそう評されています。

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新選組に当てはめてみると、局長の近藤勇は豪農出身で、武士に近いカリキュラムで学んでいたことが伺えます。筆跡は力強く、漢詩も詠んでいる。

一方、副長の土方歳三は、町人としての教養にとどまりました。筆跡は当時のかな文字に適した柔らかいものであり、和歌で志を詠んでいます。

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こうした状況を踏まえると、漢詩を詠んでいた渋沢栄一は、彼の教養が高かったといえる。

そんな積み重ねがあればこそ、上海の高杉晋作も筆談でコミュニケーションが取れたといえるのです。

しかし、日本人が身につけた漢籍教養は、良い点ばかりではありません。

悪いところもあります。

近代とはナショナリズムが高まり、国家に利用されていった時代です。

ヨーロッパでは【フランス革命】あたりから文明のルーツとして、古代ギリシャ・ローマを打ち出すようになりました。

日本の場合は江戸時代の【国学】以来、天皇を頂点とするナショナリズムだけでなく、【華夷変態】のロジックを混ざるため、より混沌としてきます。

【脱亜入欧】を掲げて国づくりをしながら、西洋が日本を受け入れないことがわかってくると、ますますこじれてゆく。

アジアの盟主として君臨することを目指した日本は、アジア全体のものを自分たち独自のものとする、文化的なジャイアニズムを振り翳します。

例えば『三国志』でおなじみの諸葛亮や、南宋の忠臣・文天祥(ぶんてんしょう)が、大和魂を鼓舞する英雄と見なされました。

漢籍由来の語句も、戦意高揚に用いられてゆきます。

「攘夷」「碧血」「玉砕」といった言葉も、元を辿れば漢籍由来なのです。

中国には、今も日本兵の遺品が大量に残されています。そこに残された漢籍由来の言葉を見ると、現地では困惑が広がるそうです。

日本と中国の不幸な関係を象徴するものといえるのでしょう。

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山川域を異にすれども 風月天を同じうす

話を現代へ進めましょう。

日本では学校の授業で漢文を習いますが、そこで生じそうな疑問を考えてみましょう。

まず、中国人は漢詩を読めるのか?という疑問です。

簡単に読めるわけではありません。なんせ古典です。日本人が『源氏物語』を原文で読むようなものと言いましょうか。

簡体字を導入したのならば、繁体字は書けないのか?

これも日本人と同じものだと思いましょう。現代人の多くは、そうそう旧字体で漢字は書けませんよね。書を趣味とするような人ならばできます。

筆談で日本人と中国人はコミュニケーションを円滑に取れるのか?

というと、漢字そのものの意味が変わっています。

明治時代、魯迅はじめ、多くの清人が日本に留学し、彼らは驚きました。

本国では消えたモノが生きている!

例えば『水滸伝』などがそうで、本国では後半をカットした金聖嘆版が定番となり、完全版が消えていました。

『白蛇伝』も、馮夢龍の書いたものはなくなっていました。

こうした通俗小説の場合、意図的に消されたのではなく、後に出たベストセラーに上書きされて消えたのです。

それが日本には原版が残されていて、再発見されたのでした。

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漢字も同様です。

中国では古代にしか使っておらず、日常からは消えた語句が日本では生きて使われていた。

わかりやすい例で言えば「兄」がそうで、中国では「哥」に替わりました。『三国志演義』のころには、張飛の台詞のようなくだけた言い回しでは、すでにそうなりつつあります。

「兄」というのは、現代中国では時代ものでしか使わないか、かなりかしこまった言い回しになります。

「大師兄」(ものすごく尊敬できる頼りになる兄上)といった特殊な使い方です。

そういう日本にあるタイムカプセルとなった文化に驚き、敢えて和服を身につける清人もいました。

「今の服は満洲族のものだ。日本の和服は、元を辿れば漢族が呉から伝えたものじゃないか」

このように考え、むしろ漢族への敬愛を示すものでもあったのです。

秋瑾/wikipediaより引用

それから時は流れ、日本では「漢文教育否定論」がしばしば取り上げられるようになりました。

しかし、ここまで読んでいただいた方には、漢文を禁じるべきではない理由がわかると思います。日本人が自らを否定してしまうような現象と言えるでしょう。

実は近年も【漢詩】を通した日中交流がありました。

2020年のコロナ禍が広まる中、日本から中国へ送られた支援物資ののラベルにこう記されていたのです。

「山川異域 風月同天」

長屋王が鑑真に贈った詩でした。

当時の日本では、受戒できる僧侶がいません。

そこで仏僧の覇権を願い、千の袈裟に【漢詩】を添えたのです。

山川異域

風月同天

寄諸仏子

共結来縁

山川域を異にすれども

風月天を同じうす

諸の仏子に寄す

共に来縁を結ばん

山と川が別の場所にあっても、風と月は同じ天の下にある

これを仏教とに送る、共に来縁を結ぼうではないか

国はちがっても思いは同じだ――そんな気持ちが伝わる素晴らしい気配りであり、中国でも感動を呼びました。

【漢詩】とは国と国を結ぶ大切なものなのです。

『光る君へ』でも、登場人物が【漢詩】を詠むと、海を超えて盛り上がっています。

藤原為時が自作【漢詩】を詠む場面も、そうした中に入ります。

為時が越前に向かうとき、まひろも父に付いてゆき、宋人の医者である周明(ヂョウミン)に出会い、宋の言葉を習うとか。

これにより、まひろはさらに大きな可能性を秘めることになります。

都にいる貴族では実現しない、中国語発音のネイティブチェックを受けることができるのです。

そんなまひろからすれば、ききょう(清少納言)の韻なんて話にならないと思ってしまうのかもしれませんね。

日本と中国の歴史に思いを馳せながら見ると、『光る君へ』はさらなる楽しみ方が広がることでしょう。

今も若い日本人が漢詩を詠んでいます。日中の架け橋となる伝統が続いて欲しいものです。

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文:小檜山青
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【参考文献】
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加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』(→amazon
八鍬友広『読み書きの日本史』(→amazon

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