奔放な性格の花山天皇や、主人公まひろの母をいきなり刺殺した藤原道兼など。
個性際立ったキャラクターで話題の大河ドラマ『光る君へ』で、またもや注目の人物が登場しました。
上地雄輔さん演じる藤原道綱です。
劇中、いかにもノーテンキな人物として登場しましたが、史実の彼には大きな特徴があります。
母が「本朝三美人」の一人に数えられる美女であり、しかも『蜻蛉日記』を記した“藤原道綱母”として後世にその名をよく知られているのです。
劇中では財前直見さん演じる藤原寧子(やすこ)がその母であり、藤原兼家の妻でもある。
では、二人の息子である藤原道綱とは一体どんな人物だったのか?
その生涯を振り返ってみましょう。
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兼家から見れば次男の道綱
藤原道綱は天暦9年(955年)生まれ。
前述の通り、父は藤原兼家で、母は藤原道綱母(ドラマでは藤原寧子)となります。
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兼家といえば『光る君へ』の劇中で、たびたび息子三人に向かって「我が一族こそ!」と気合を入れていましたが、そこに道綱はいませんでしたよね。
これは一体どういうことか?
『青天を衝け』の渋沢栄一のように明治時代の有力者であれば、妻妾が同居して、異母きょうだいが揃うシーンもおかしくないかもしれません。
しかし平安時代はまだまだ【双系制】の時代。
嫡妻とそれ以外の妻では大きな差がありました。
以下のように兼家の子供は、長男の道隆が953年に生まれ、道綱はその2年後(955年)に生まれています。
◆藤原兼家の子供(青は男)
953年 道隆
954年? 超子
955年 道綱※
960年 娘※
961年 道兼
962年 詮子
962年? 兼俊 ※
生年不詳 道義 ※(母は藤原忠幹の娘)
966年 道長
974年 綏子
※が非嫡出子
つまり、本来なら道綱は次男になるのですが、母が嫡妻ではないため、兼家が息子たちを鼓舞するドラマの場面には出されなかったんですね。
嫡妻以外の生まれとして
考えてみれば『光る君へ』では道長の幼名が「三郎」と設定されることからして、藤原道綱と母にしてみれば悲しい話です。
本来は五男とされる道長が「三郎」ということは、嫡妻・藤原時姫の男児しか数えていないということ。
時姫と道綱母(他の妻)は同時進行で兼家から寵愛されながら、非常に大きな差があるのです。
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そもそも時姫と道綱の母は、血筋として格段の差はありません。
だからこそ、美貌と才知に大きな自信を持っていた道綱母は、『蜻蛉日記』にそのモヤモヤを記したのでしょう。
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そんな彼女は我が子・道綱をどう思っていたのか?
というと「おとなしすぎる、おっとりとしている性質」のように思えたようです。
第三者からは「母譲りの文才に乏しい」と指摘されることもあります。
歌合せで道綱が詠むと「あれは母の代作だよな」と囁かれたこともあるほど。
特に『小右記』で知られる藤原実資(劇中:ロバート秋山さん)に
「文才がない」
と言い切られたのは、実際に光るものがなかったのかもしれません。
しかしそんな道綱にも、父の出世を決定づける場面で意外な働きがあったとされます。
一体どんな働きなのか?というと……。
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