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【藤原道綱】
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実資、道綱の出世に苛立ち記録に残す
藤原兼家たちの息子や孫たちが、次から次へと騒動を繰り返す中、藤原道綱は脇役として連なることとなります。
道長が権力を把握すると、一条天皇の母である藤原詮子も政治に介入する姿勢を見せました。
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詮子は弟の道長を高く買っており、姉と弟による政治体制を構築。
二人の異母兄となる道綱は、そこで中納言へ出世します。
この人事は、藤原実資を超えるものです。
「賢人右府」と称されるほど頭が切れる実資にとってみれば、道綱は「ろくに字もしらんヤツ」「自分の名前くらいしか書けない」と酷評したくなるような人物。
人事の先例を引いてまで「ありえんからな!」と憤っています。
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怒りの矛先は、当然のことながら道長や詮子にも向きます。
彼の日記『小右記』には、道長一族への羨望と憤りに溢れているのです。
それだけに、もしも道綱が調子に乗って何かやらかしていれば、その様は『小右記』に記録されていたでしょう。
しかし、具体的なやらかしの描写はなく、「あいつはバカ」「出世が早くて色々舐めてる」程度の文句にとどまっている。
そうした状況から、道綱は意外と無難に政局を乗り切るタイプだった人物像も浮かんできます。
大河ドラマ『光る君へ』は、実資が道綱に苛立つ姿が映像化されるまたとない機会。
そこでどんな風に道綱が描かれ、藤原実資にとってはどんな愚か者に見えるのか?
物語のスパイスとして期待が募ります。
穏やかな人物だった
藤原道綱は、大権力者である藤原道長からすれば異母兄に過ぎません。
道長自身の子が成人すれば、その方を優先させるのは当然のこと。
よって道綱の地位は、甥である道長の子を超えない程々のものに終始しました。
というより、道綱自身もさほどの野心は抱いていなかったのか、その地位で満足していたようです。母が感じていた通り、おっとりとした性格だったのでしょう。
そして寛仁4年(1020年)、病に斃れて出家すると、ほどなく没しました。
享年66。
身の程をわきまえ、穏やかに生きた人物でした。
母ほどの才知を発揮しなり、何か気の利いたことをしていれば他に逸話もあったのでしょうが、それもないため、藤原実資による「無能」の評価が際立ってしまう。
道綱は、絶世の美女とされる母に似た美男子だった可能性もあります。
家柄もよく、美貌も兼ね備えていながら、際立った恋物語もないとすれば、それだけ当時は才知が求められていたということかもしれません。
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文:小檜山青
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【参考文献】
橋本義彦『平安貴族』(→amazon)
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(→amazon)
藤原実資『小右記』(→amazon)
他