紫式部と藤原公任の関係について

画像はイメージです(紫式部日記絵巻/wikipediaより引用)

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

紫式部と藤原公任の関係性も匂わせる『光る君へ』漢詩の会に潜む伏線

「漢文なんて勉強の必要ないでしょ。何でやらなきゃいけないの?」

近年、そうした漢文不要論が聞かれます。

中には「なぜ中国語を習う必要があるのか?」と飛躍する声まで聞かれ、さすがに悲しくなると同時に危うさも感じてしまいます。

なぜなら漢文は日本語の成立に深く関与していて、昔から現在の国語に至るまで常に影響を及ぼしてきているからです。

その最たる例が今年の大河ドラマ『光る君へ』でしょう。

本作は、漢文の意図が読み取れると面白さがグッと上がるはずですが、さすがにそこまで突っ込まれた記事はあまり見受けられません。

特にドラマの中で開かれた「漢詩の会」からは藤原公任の性格や当時のポジションなどが浮かび上がってきて、非常に示唆的な場面となりました。

主人公・まひろ(紫式部)との逸話から連想される関係性も見えてきて、とにかくワクワクするのですが、このままでは「何を言ってるのか?」と言われてしまうことでしょう。

いささか長くなりますが、「平安貴族にとっての文字とは?」というテーマを踏まえつつ、藤原公任と紫式部の興味深い関係について思いを巡らせてみます。

 

中国の言葉と法律と制度で日本を作る

人類が生まれ、発展してゆく過程で、道具と言葉が生まれました。

「向こうに行けば、たくさん獲物が取れるぞ」

「あの川は深くて危ない」

こうした情報を交換することで、人類は進歩を遂げてゆき、その過程で話し言葉はどの地域と文化でも生まれました。

しかし、書き言葉となると、また別の話。

日本という国が成立するうえで、巨大なロールモデルは海を経た場所にありました。

中国大陸です。

【遣隋使】や【遣唐使】を派遣し、律令はじめ様々な制度を学び取り入れる――東洋で「倭」として認識されていた国家が日本となる過程が始まる、その最中で文字が認識されました。

中国から文字を取り入れて日本語を書き記すことで、文明は次の段階へ進んだのです。

ただし、事はそう簡単ではありません。

中国語が【シナ・チベット語族】であるのに対し、日本語は【アルタイ語族】とされる(※諸説あり)。

文法としては韓国語に近いとされ、この時点で中国語の文字を入れることには、かなりの力技が発揮されることになります。

他に方法はなかったのか? 流石に無理があるだろ……とも言いたくもなりますが、それが現実、日本語の歴史です。

日本に限った話ではありません。

漢字文化圏は、中国大陸を中心として、以下の地域が含まれます。

中国語(簡体字)

香港(繁体字)

台湾(繁体字)

日本(簡略化した漢字を使用)

韓国(漢字はほとんど用いていない)

北朝鮮(漢字廃止)

ベトナム(漢字廃止)

これだけの広範囲で漢字は受け入れられていた。

その中でも、中国語圏以外では最も漢字を残し、かつ漢文も生きているのが、日本語であり日本史なのです。

 

「文章経国」文章こそ国家を作る

文章を書いてこそ、国家が成立する――そんな思想が日本史にも登場します。

【文章経国】(もんじょうけいこく)です。

文章ハ経国ノ大業、不朽ノ盛事ナリ。

文章こそ国家をなす大事業であり、決して衰えることのないものだ。

魏文帝『典論』

父・曹操、弟・曹植と並び「三曹」称される、魏文帝の思想です。

日本では桓武天皇以来、この思想を取り入れ、全力で国家の体裁を整えようと突き進みました。

書いて、書いて、書いてこそ国家が成立する。

中国の文書を自分たちで書く――それを目指して、日本人が自分で考えた漢文を書くことになりました。

とはいえ漢字だけで文章を書くのは簡単ではありません。

そこに【訓点】(ヲコト点・返り点・送り仮名・振り仮名)をつけ、書き下し文を作ります。

漢文の授業でおなじみの過程ですね。

『光る君へ』に登場するエリート貴族ならば漢文が書けて当然でした。

例えばロバート秋山さんが演じる藤原実資の日記『小右記』は、漢文で書かれています。

藤原実資
『光る君へ』でロバート秋山演じる藤原実資とは一体何者なのか?

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原文を書き下してみましょう。

東塔常行堂ニ於イテ修法セシム。事々、鄙乏ニ依リ、常童子ニ行香セシメズ。

東塔常行堂で亡妻の周忌供養を行う。何事につけても貧しいため、常童子に行香(ぎょうごう)を行わせなかった。

この一文だけでも、日本語と中国語の文法が混在しています。

「行香」は「香を行う」という意味です。焼香を行わせることとなると、日本語の文法ならば「香行」になってもおかしくない。

それなのに中国語のように、動詞+目的語の順番になっています。

漢文を取り入れた時点で、日本語の文法と表記が乖離するというややこしさが生じている。

日記なんて日本語で書けばいいだろ……そう言いたくなるかもしれませんが、実資本人からすれば、目をカッと見開いて反論したくなるかもしれません。

「この私が漢文で日記を書けないわけがない、侮るな!」

なにせ実資は、藤原道綱のように勉学が苦手な貴族を「一文不通」(文字もろくに知らんヤツ)とコケにするほどでした。

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官僚として行政に関わらない女性であれば、漢文を用いる必要はありません。

では、そんな人たちは、どうやって日本語を書いていたのか?

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