「漢文なんて勉強の必要ないでしょ。何でやらなきゃいけないの?」
近年、そうした漢文不要論が聞かれます。
中には「なぜ中国語を習う必要があるのか?」と飛躍する声まで聞かれ、さすがに悲しくなると同時に危うさも感じてしまいます。
なぜなら漢文は日本語の成立に深く関与していて、昔から現在の国語に至るまで常に影響を及ぼしてきているからです。
その最たる例が今年の大河ドラマ『光る君へ』でしょう。
本作は、漢文の意図が読み取れると面白さがグッと上がるはずですが、さすがにそこまで突っ込まれた記事はあまり見受けられません。
特にドラマの中で開かれた「漢詩の会」からは藤原公任の性格や当時のポジションなどが浮かび上がってきて、非常に示唆的な場面となりました。
主人公・まひろ(紫式部)との逸話から連想される関係性も見えてきて、とにかくワクワクするのですが、このままでは「何を言ってるのか?」と言われてしまうことでしょう。
いささか長くなりますが、「平安貴族にとっての文字とは?」というテーマを踏まえつつ、藤原公任と紫式部の興味深い関係について思いを巡らせてみます。
中国の言葉と法律と制度で日本を作る
人類が生まれ、発展してゆく過程で、道具と言葉が生まれました。
「向こうに行けば、たくさん獲物が取れるぞ」
「あの川は深くて危ない」
こうした情報を交換することで、人類は進歩を遂げてゆき、その過程で話し言葉はどの地域と文化でも生まれました。
しかし、書き言葉となると、また別の話。
日本という国が成立するうえで、巨大なロールモデルは海を経た場所にありました。
中国大陸です。
【遣隋使】や【遣唐使】を派遣し、律令はじめ様々な制度を学び取り入れる――東洋で「倭」として認識されていた国家が日本となる過程が始まる、その最中で文字が認識されました。
中国から文字を取り入れて日本語を書き記すことで、文明は次の段階へ進んだのです。
ただし、事はそう簡単ではありません。
中国語が【シナ・チベット語族】であるのに対し、日本語は【アルタイ語族】とされる(※諸説あり)。
文法としては韓国語に近いとされ、この時点で中国語の文字を入れることには、かなりの力技が発揮されることになります。
他に方法はなかったのか? 流石に無理があるだろ……とも言いたくもなりますが、それが現実、日本語の歴史です。
日本に限った話ではありません。
漢字文化圏は、中国大陸を中心として、以下の地域が含まれます。
中国語(簡体字)
香港(繁体字)
台湾(繁体字)
日本(簡略化した漢字を使用)
韓国(漢字はほとんど用いていない)
北朝鮮(漢字廃止)
ベトナム(漢字廃止)
これだけの広範囲で漢字は受け入れられていた。
その中でも、中国語圏以外では最も漢字を残し、かつ漢文も生きているのが、日本語であり日本史なのです。
「文章経国」文章こそ国家を作る
文章を書いてこそ、国家が成立する――そんな思想が日本史にも登場します。
【文章経国】(もんじょうけいこく)です。
文章ハ経国ノ大業、不朽ノ盛事ナリ。
文章こそ国家をなす大事業であり、決して衰えることのないものだ。
魏文帝『典論』
父・曹操、弟・曹植と並び「三曹」称される、魏文帝の思想です。
日本では桓武天皇以来、この思想を取り入れ、全力で国家の体裁を整えようと突き進みました。
書いて、書いて、書いてこそ国家が成立する。
中国の文書を自分たちで書く――それを目指して、日本人が自分で考えた漢文を書くことになりました。
とはいえ漢字だけで文章を書くのは簡単ではありません。
そこに【訓点】(ヲコト点・返り点・送り仮名・振り仮名)をつけ、書き下し文を作ります。
漢文の授業でおなじみの過程ですね。
『光る君へ』に登場するエリート貴族ならば漢文が書けて当然でした。
例えばロバート秋山さんが演じる藤原実資の日記『小右記』は、漢文で書かれています。
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原文を書き下してみましょう。
東塔常行堂ニ於イテ修法セシム。事々、鄙乏ニ依リ、常童子ニ行香セシメズ。
東塔常行堂で亡妻の周忌供養を行う。何事につけても貧しいため、常童子に行香(ぎょうごう)を行わせなかった。
この一文だけでも、日本語と中国語の文法が混在しています。
「行香」は「香を行う」という意味です。焼香を行わせることとなると、日本語の文法ならば「香行」になってもおかしくない。
それなのに中国語のように、動詞+目的語の順番になっています。
漢文を取り入れた時点で、日本語の文法と表記が乖離するというややこしさが生じている。
日記なんて日本語で書けばいいだろ……そう言いたくなるかもしれませんが、実資本人からすれば、目をカッと見開いて反論したくなるかもしれません。
「この私が漢文で日記を書けないわけがない、侮るな!」
なにせ実資は、藤原道綱のように勉学が苦手な貴族を「一文不通」(文字もろくに知らんヤツ)とコケにするほどでした。
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官僚として行政に関わらない女性であれば、漢文を用いる必要はありません。
では、そんな人たちは、どうやって日本語を書いていたのか?
「仮名」で広がる書く世界
全く異なる言葉を書くとなると工夫が必要になります。
日本語の音を表現するために【カナ】文字が生まれました。
この表記は漢字では【仮名】となります。
【真名】に対する【仮名】であり、漢字の音を借用した【万葉仮名】がまず成立。
表意文字の【真名】で日本語を書くとなると、画数が多くて大変です。
これをもっと簡単に書けないか?
そう考え、漢字の一部を省略して記す【片仮名】が生まれ、この【片仮名】は漢文を書き下した際に使われてきました。
さらに筆を用いて【草書】で書き付けていくうちに、字体が崩れます。
「安」が「あ」になっていくような変化ですね。
こうして崩れていくうちにできた字体が【平仮名】ですが、「あ」といっても、元が「安」なのか「阿」なのかで形は異なります。
それではあまりにややこしい!ということで明治33年(1900年)に「一音一字」と定められました。
たとえば「あ」の場合、「安」由来の字のみとされます。
それ以外、たとえば「阿」を崩した文字は【変体仮名】と呼ばれます。
こうした教育を受けてきた結果、現代の日本語話者にとって、【変体仮名】まじりの書状解読は難しいものとなったのです。
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【仮名】の使い方も異なります。
当時の行政文書といった堅い文章は【漢字+片仮名】になります。
それに対し、女性が書く日記や、物語の文体は【漢字+平仮名】となります。
以下の文章をご覧ください。
その後は、この猫北面に出ださず、思ひかしづく。
その後は、この猫を北の部屋にも出さないようにして、大切にお世話しました。
女性貴族・藤原孝標女による『更級日記』の一文です。
藤原実資の日記『小右記』より、内容だけでなく、文体からしてカワイイでしょう。
ビジネス文書と、プライベート文書の差がそこにはあります。
漢文教育を廃止するということは、かつて日本にあったビジネス文書の読解を捨てるということ。
ロバート秋山さん扮する藤原実資が、驚愕する様をイメージしてみてください。
「そんなのありえん、日本史理解も、日本語への愛着もない! 現代語だって漢文の影響は残っているんだぞ! なんなんだ、“一文不通”って罵倒されたいのか?」
もしも漢文が要らないなんて言おうものなら、激怒されてもおかしくない。
大河ドラマ『光る君へ』では、漢文教育廃止論に対して、異論を唱えそうな人は大勢います。
藤原公任にも注目。
町田啓太さん扮する彼ならば、
「俺の知性のほどがわからなくなるが、いいのか?」
とかなんとか苦笑しながら呆れ果てることでしょう。
『光る君へ』には、公任の漢文能力が光る場面も出てきました。
貴公子たちの中で漢文を扱う場面となると、彼が頭一つ抜きん出ている。彼が得意とする漢文が理解できないと『光らない君』になりかねない。
そしてそれこそ、ドラマの大きな伏線になっているのかもしれません。
「漢詩の会」にみる漢籍教養マウンティング
『光る君へ』の第6回で非常にこのドラマらしい場面がありました。
漢籍教養を使い、各人物の個性を浮かび上がらせたのです。
舞台となったのは漢詩の会。
そもそもは「花山天皇の側近・藤原義懐(よしちか)が貴公子たちを配下にしようとしている」と弟の道長から聞かされた藤原道隆が、妻・高階貴子の提案により開催したイベントです。
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漢籍知識の豊かな藤原為時もこの会に誘われたとき、息子の藤原惟規も連れて行こうとしました。
すると惟規は駄々を捏ね、絶対に嫌だ!と暴れ、姉のまひろ(紫式部)が参加することになる。
イベントが「和歌」ではなく「漢詩」という時点で、為時以外にも顔色を変えたであろう人物がいます。
藤原公任です。
血筋もよく、賢く、才能に満ち溢れた自信家の公任。
彼は現代風に言えば「意識が高い」系です。
当時は、文学にもジャンル分けがあり、和歌ならばちょっとした自然を愛でる心や、切ない恋心を詠むものでした。
一方で漢詩となれば、大志や己の政治意識を詠むものであり、いわばエリートの象徴ともいえます。
そんなノリノリの公任と比べて、意識が低い参加者もいました。
藤原道長です。
当初は誘われても気乗りがしない様子で遅刻もしてきた道長。
一人遅れてきた道長と、それに気づいたまひろの交わす目線は、とてもときめくものでした。
けれども公任からすれば「なぜ遅刻するんだ!」と突っ込みたい話になりかねません。
漢詩の会のお題は「酒」です。
酒とは、酔っぱらってウェイウェイするだけではありません。ましてや漢詩のお題となれば、心を高揚させながらも訴えるような作品としたい。
参加者は四名。
彼らが何を選んだのか?その時点で意識の高さも示しています。具体的に見ていきましょう。
◆藤原行成:白居易「独り酌し微之を憶(おも)う」
平安貴族の定番であり、人気ナンバーワンである白居易『白氏文集』より。
この行成の作品を皮切りに、他の参加者も白居易の詩人をあげてゆきます。
確かな才知で周囲を助ける行成らしい、堅実な選択であり、かつ今後の展開へと繋がってゆきます。
◆藤原斉信:白居易「花下自ら酒を勧む」
平安貴族の間で人気ナンバーワンの白居易作でも、出世が頭打ちになる焦りを詠んだもの。
妹の藤原忯子が花山天皇に入内し、寵愛される女御となったものの、それが出世に直結しない焦りを感じさせます。
開催者から見ると、斉信が政治に対する不満を抱いているのが察知できます。
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◆藤原公任:自作詩
参加者のうち唯一、白居易の引用ではなく自作詩を披露しました。
しかも「貞観の治」を持ち出しています。
自分に政治を任せれば、素晴らしい善政を敷くと熱心にアピールし、自信を見せつけているんですね。
開催者からすれば、高い意識と自信を察知できます。
これが面接試験ならば模範回答。自作というところも高得点でしょう!
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◆藤原道長:白居易「禁中九日菊花酒に対し元九を憶う」
もともとは白居易が、親友である元稹を思い詠んだもの。
主催者かつ兄である道隆からすれば、弟は適当に思いついたのか、それとも誰かと悲しい別れでもあったのかと訝しみたくなるところ。
弟のことが気になって仕方がない道長の姉・藤原詮子ならば、しつこく交友関係を聞き出そうとするかもしれません。
この道長の漢詩は、まひろを思いながら選んだものでした。
まひろが思い詰めた瞳になるところは、ドラマとしては最高に盛り上がりました。
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しかし、公任がその意図を知ったら鼻で笑いそうな話でもある。
整った顔を歪めて
「漢詩という大志を披露できる場で、身分の低い女への恋心を詠むとは……」
とでも言いそうな選択であるのです。
道長の意識が際立って低いことがわかります。
三人はそれぞれ個性的な字を書いています。
柔らかい藤原行成。
元気そうな藤原斉信。
端正な藤原公任。
筆を持つ姿勢も整っている、そんな中、道長だけが緊張感が薄い。
若干猫背で、筆を寝かせて持ち、文字は癖が強いうえに、墨が薄い。
現代の日本では薄墨は弔事用くらいでしか使いません。
かつては今のような墨汁はなく、磨ったうえで濃度を調整します。使う紙や湿度を考えながら、きちんとした色を出すように工夫するのです。
それがどうにも道長だけ若干薄い。あまり深く考えず、適当に磨って書いたため、悪筆が目立っているように思えます。
詩のチョイスにせよ、筆跡にせよ、どうにも脇が甘い。
この「漢詩の会」では、ききょう(清少納言)がまひろに対し、マウントを取っていると話題をさらいました。
二人とも、父が博学であるため誘われ同行していました。ききょうの父・清原元輔も、まひろの父・藤原為時も、中流以下ながら学識は優れていたのです。
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公任の詩を「白居易のような作風だ」と指摘したまひろに対し、ききょうがカットインして「むしろ元稹のような作風!」と評しました。
あの場面では紫式部と清少納言の個性に興味が集中したかもしれません。
しかし実は、そもそも作風を発揮できる自分こそ、貴公子の中でもナンバーワンだとしてマウントを取る公任が控えている、そんな高度な構図だったとも言えるのではないでしょうか。
エリートならば恋と仕事は分けるモノ
藤原公任のマウントは第7回放送でも続き、いわば前後編とも言える構成でした。
「漢詩の会」でききょうのことを気に入った藤原斉信は、打毱観戦に彼女を誘います。
といっても、ききょうだけ誘うのは下心が露骨かもしれない――そう考え、地味でどうでもいい藤原為時の娘・まひろもアリバイとして誘った。
打毱を楽しく観戦した後、まひろは偶然、貴公子たちの会話を立ち聞きしています。
そこで公任はこう言います。
「俺たちにとって大事なのは恋とか愛とかじゃないんだ。
良いところの姫の婿に入って、おなごを作って、入内させて、家の繁栄を守り次の代につなぐ。
女こそ家柄が大事だ。そうでなければ意味がない」
斉信もそうだと返します。
「家柄の良い女は嫡妻にして、あとは好いたおなごのところに通えばいいんだよな」
この会話に、まひろも視聴者も衝撃を受けました。
しかし考えようによっては、公任とは極めて真面目で、高い意識を持っているともいえる。
一貫性があるのです。
公任は、打毱の際にうまい策を出していたとも語られます。
たかがゲームでも勝ちを狙いに行く。自己アピールする機会は逃さない。そんな聡明さがあらわれています。
恋だの愛だの恋愛事情にかまけず、よい政治を実現し、家を守るために割り切る。なかなか志が高いことでしょう。
何よりも聡明である。まひろだって、そのことは頭ではわかります。
善政を敷いていた唐玄宗が、楊貴妃との熱愛にかまけた結果、世が乱れてしまった。そう父が弟に語るところを、彼女が聞いていないはずがありません。
知っていたからこそ『源氏物語』「桐壷」では、帝と更衣を玄宗と楊貴妃に例えている。
愛に溺れた花山天皇の失墜を見ることで、まひろは実感を込めて感じられたことでしょう。
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でも、でも……それだけでいいの?
彼らの言葉に衝撃を受け、雨の中を走ってゆくまひろの姿からは、割り切れない情があふれています。
そしてこのとき道長は、公任と斉信の語る言葉に納得していません。
道長は公任の才に感服していた
意識が常に高く、恋愛よりも出世を考えているエリート・藤原公任。
マイペースな三男で、ちょっと抜けているところもある、『光る君へ』ではそんな設定の藤原道長。
単にドラマだけの話でもなく、『御堂関白記』が癖の強い悪筆であることからの着想もあるようです。
果たして二人は、ライバルとして出世を競うことになる。
「漢詩の会」と「打毱」と下劣な会話はその前哨戦であり、この時点では、公任が政治家としての資質においてマウントを取っています。
大河ドラマやフィクションでは、いわゆる“おなじみの場面”とも言えるかもしれません。
【石橋山の戦い】で敗北し、潜んでいる源頼朝とその一行とか。
大大名の嫡男である今川氏真に対し、じっと耐え忍んでいる松平元康とか。
【安政の大獄】による一橋派の敗北で、島津斉彬の無念に薩摩藩士が悔し涙を流しているとか。
序盤ならでは、道長「屈辱の敗北」であり、勝利と栄光の前振りですね。
公任は当代随一の才人であり、道長も認めていました。
『大鏡』にこんな話が収録されています。
道長が川遊びをしたとき、船を三艘用意した。
漢詩の才。
管弦の才。
和歌の才。
さぁ、どれでも得意なものに乗ってくれ、という気遣いだ。
道長はワクワクしていた。
「あの公任はどれに乗るのかな?」
「和歌の船にするか」
公任は乗り込み、歌を詠んだ。
小倉山嵐の風の寒ければ 紅葉の錦着ぬ人ぞなき
小倉山から嵐の風が吹きつけ、寒いほどだ。その風が紅葉を散らすものだから、まるでみな錦の衣を着ているように見えるではないか。
そしてこう言った。
「漢詩の船でも同じくらい、よい詩を詠めただろうに。惜しいことだよ」
公任は道長がどれを選ぶのかと聞かれて浮かれたんだって。一つの才能を極めるのも大変なのに、全部できちゃう公任はスゴイよね!
と、まぁ、道長も、才能ではかなわない相手であると公任のことを思っていました。
しかし、平安中期とは、実力よりも外戚政治がモノをいう時代です。
公任が語る通り、娘を天皇に入内させ、天皇の外祖父となることが権力への近道。
様々な運にも左右される中、兄二人の死という出来事もあって、勝利を収めるたのは道長でした。
さらに道長は、娘である彰子が一条天皇の確たる寵愛を得るため、ある秘策を用います。
道長の秘策
一条天皇が寵愛したのは、道長の兄・家隆の娘である藤原定子でした。
定子のサロンには清少納言をはじめ、才知あふれる女房が集い、とにかく華々しい。
道長は自分の娘である藤原彰子を入内させるものの、一条天皇はこうぼやきます。
「あの幼い人といると、朕はまるでおじいちゃんになったような気分になってしまうよ」
定子よりもずっと若い彰子は、帝にとって子どもにしか思えない。
これではいつ、彰子が寵愛を受け、皇子を産むのか……悩んだ道長は、漢籍教養あふれる藤原為時の娘のことを思い出します。
なんでもまひろは、えらい評判となった物語を書いているそうじゃないか。
まひろを彰子の家庭教師にして、帝が読みたくなる物語を書かせよう。文房四宝もどんどん支給するぞ!
――かくして藤原道長は、夫に死に別れ、一人娘を抱えたまひろを出仕させることが、今後の『光る君へ』に待ち受ける展開です。
紫式部が、彼女一人だけで『源氏物語』を書けたはずはありません。
あれだけの長い物語となれば、大量の紙が必要。
当時は相当な高級品ですから、ハンパな財力では到底賄えない。要は、大手スポンサーあってこそできた作品です。
紫式部が愛用したという伝説の硯(すずり)が、石山寺にあります。紫瑪瑙(むらさきめのう)を用いた最高級品です。
もしも彼女の持ち物だったとしたら、こんな高級品を気軽に買えたとは思えません。
ドラマではこの硯の実物ではなく、精巧な模造品が登場するでしょう。
それが道長からの前金扱いだったとすれば、断るのは難しくなるはず。
「まひろ、ものすごくいい硯を用意した。これで墨を磨っていれば、構想が浮かんでくるよな? 断るのはありえないぞ」
こう言われたら、どうするまひろ! そんな選択がつきつけられます。
意識が高い藤原公任がこの作戦を知ったら、どう思うのか……。
◆よみがえる “紫式部のすずり” | NHK | WEB特集(→link)

月岡芳年『月百姿 石山月』/wikipediaより引用
物語なんて女子どものものなのに…
紫式部が『源氏物語』を書いていた頃、藤原公任はすでに藤原道長の後塵を拝していました。
だとすれば
「へえー、あの道長が選んだんだね、じゃあきっとスゴイものを書いているかも!」
と、ウキウキワクワクしながら読んでいるかもしれません。
あるいは全く違う反応も考えられますね。
「物語」は女子どもの読み物。平仮名で書き付けてあって、政治の話なんて出てこない。
その女にせよ、唐(から)の班昭や謝道韞(しゃどううん)に匹敵するほどの才女とは思えんがね。
そもそも物語など、荒唐無稽で暇つぶしに読むようなもの。実際に起きたことではなく、政治理論も思想もない、その程度のものではないか?
ただし、帝も「作者は教養がある」と誉めていたというし……どれどれ、ちょっと読んでやろうか。
こんな風に鼻で笑いつつ、半信半疑で読み進めた方が面白いのではないかと思えるのです。
結果的に公任は、この物語を気に入ったようです。
寛弘5年(1008年)のこと。
藤原彰子が敦康親王(のちの後一条天皇)を産み、道長の邸にいました。
女房たちが控えていると、公任が中を覗き、こう声をかけてきたのです。
「失礼、このあたりに若紫殿がおられませんか?」
紫式部は黙ったまま。光源氏がいないのに、若紫殿=紫の上がいるわけないでしょう。そう冷たく思ったと書き記しています。
しかし、果たしてそれだけだったのか?
公任のかけた言葉は、唐代の伝奇小説『遊仙窟』を踏まえています。
この作品は遣唐使が買い求める定番で、日本でも普及していました。藤原為時にせよ、藤原公任にせよ、読んでいてもおかしくはありません。
日本は漢籍がお手本ですので、本国ではライトノベルのような書籍でも、教科書代わりとなります。
時代がずっと降った『三国志演義』が典型例でしょう。
本国では挿絵付きラノベ扱いなのに、江戸時代の藩校では教科書とされることもありました。作文も学べてプロット作りのネタにもなる本といえます。
ともかく……『遊仙窟』の内容はなかなかロマンチックで、神仙と恋をする物語です。
張文成という青年が神仙の住むとされる山を訪れると、そこにいた美しい崔十娘(さいじゅうじょう)と、その兄嫁の五嫂(ごそう)と、ロマンチックな愛を交わすという話。
このように日常から離れて、山を訪れた才子(才能ある若い男性)が、佳人(美女)と愛を交わす話は定番です。
そして『源氏物語』の光源氏も、この伝統に沿った行動をとります。
光源氏が瘧(おこり)療養のために訪れた北山で、可憐な少女を見かける――その出会い方が『遊仙窟』をふまえているのです。
公任の問いかけも、張文成が「失礼、神仙の住処はありませんか」と問いかける言葉をふまえています。
つまり公任は、こう語りかけてもいるのです。
『源氏物語』の「若紫」は、『遊仙窟』のプロットを基にしていますね――。
『紫式部日記』にはそっけない塩対応をしたことが記されていますが、作者の紫式部としては「お気づきになりましたか」とニヤリとしたくなったのではないでしょうか。
そしてこの言葉から、公任の感嘆が想像できます。
物語なんて……そう思いつつ読み始めたけれども、あちこちに漢籍由来の逸話や言葉が重ねてある。バカにして悪かった。この作者は漢籍を実にうまく読み込んでいる。
すごい話だ、これほどのものを作らせた道長にはやはり敵わない!
そう完敗宣言を心中でしていても、無理もないところといえます。
当の本人の気持ちはわからないにせよ、『光る君へ』の序盤では、公任とまひろに接点があります。
そこでまひろは公任に打ちのめされています。
しかし、あれほどの才人であり、マウントを取ってきた相手に、まひろがそう呼びかけられれば、勝利ではないでしょうか。
ヤッターーーー!
と、それぐらい叫び出したいけれど、実際は、堪えたがゆえの黙殺かもしれません。
まひろはききょうと比べて、当意即妙の受け答えをするタイプではありません。
「香炉峰の雪はどう見るの?」
そう定子に問われ、咄嗟に御簾を掲げる清少納言のような才知は発揮できません。
しかもそっけない態度が多く、夫である藤原宣孝とも、藤原道長とも、和歌のやりとりが冷たいと言われます。
彼女の性格ゆえかもしれません。
しかし、内心勝利だと確信し、ニヤリと笑う姿が見られるかもしれません。
意識が高い公任が、マイペースな道長に敗北する。
そんな公任が、まひろに声を掛ける――そんな状況と、名場面のために、『光る君へ』は極めて高度な伏線を張り巡らせてあるのだとすれば、どうでしょう?
合戦がなくとも、宮中で教養を張り合うだけでも面白い。
そんな緊迫感がこのドラマにはある。
公任の前振りを理解するためにも、漢籍教養は必須であることも、ご理解いただけるのではないでしょうか。
★
戦がない女性主人公。だからつまらない。
そんなことも言われてしまう大河ドラマ『光る君へ』。
大石静さんも、紫式部が主役だと発表されたとき、シーンと静まり返ったと回想しています。
では、実際のドラマはつまらないのか?
歴史劇としておかしいのか?
そうでないと証明できれば、このドラマはある意味、成功を収めるといえます。
近年の大河ドラマでは、漢文教育廃止論を先行して実現してしまったかのような描写がありました。
2021年『青天を衝け』の渋沢栄一は、『論語と算盤』という著書があるとはいえ、漢籍読解を専門としたわけではありません。
にもかかわらず、あのドラマ周辺は渋沢栄一こそ儒教の達人のような扱いをしていました。
渋沢栄一の問題ある解釈をそのまま肯定するような描写も多々見られました。
2023年『どうする家康』では、今川義元と徳川家康が「王道」と「覇道」を対比させます。
中国史ならばこの対比はありだとしても、日本では天皇が「王道」であり、武士は「覇道」です。
漢籍を理解していれば、ありえない問いかけでした。
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そんな近年大河のような過ちをせず、確かな知識を伏線として組み込み、爽快感ある仕上げにするのであれば、『光る君へ』はひとつの到達点へのぼることができます。
視聴者に漢籍教養の重要性を再認識させ、「漢文教育不要論」こそ不要だと思わせれば、輝かしい成功を収めるといえます。
視聴率だけではない何かを掴むことを期待しましょう。
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【参考文献】
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(→amazon)
八鍬友広『読み書きの日本史』(→amazon)
加藤徹『漢文の素養』(→amazon)
大津透『律令国家と隋唐文明』(→amazon)
ビギナーズクラシック『小右記』(→amazon)
ビギナーズクラシック『更級日記』(→amazon)
他
















