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【紫式部と藤原公任の関係性】
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道長の秘策
一条天皇が寵愛したのは、道長の兄・家隆の娘である藤原定子でした。
定子のサロンには清少納言をはじめ、才知あふれる女房が集い、とにかく華々しい。
道長は自分の娘である藤原彰子を入内させるものの、一条天皇はこうぼやきます。
「あの幼い人といると、朕はまるでおじいちゃんになったような気分になってしまうよ」
定子よりもずっと若い彰子は、帝にとって子どもにしか思えない。
これではいつ、彰子が寵愛を受け、皇子を産むのか……悩んだ道長は、漢籍教養あふれる藤原為時の娘のことを思い出します。
なんでもまひろは、えらい評判となった物語を書いているそうじゃないか。
まひろを彰子の家庭教師にして、帝が読みたくなる物語を書かせよう。文房四宝もどんどん支給するぞ!
――かくして藤原道長は、夫に死に別れ、一人娘を抱えたまひろを出仕させることが、今後の『光る君へ』に待ち受ける展開です。
紫式部が、彼女一人だけで『源氏物語』を書けたはずはありません。
あれだけの長い物語となれば、大量の紙が必要。
当時は相当な高級品ですから、ハンパな財力では到底賄えない。要は、大手スポンサーあってこそできた作品です。
紫式部が愛用したという伝説の硯(すずり)が、石山寺にあります。紫瑪瑙(むらさきめのう)を用いた最高級品です。
もしも彼女の持ち物だったとしたら、こんな高級品を気軽に買えたとは思えません。
ドラマではこの硯の実物ではなく、精巧な模造品が登場するでしょう。
それが道長からの前金扱いだったとすれば、断るのは難しくなるはず。
「まひろ、ものすごくいい硯を用意した。これで墨を磨っていれば、構想が浮かんでくるよな? 断るのはありえないぞ」
こう言われたら、どうするまひろ! そんな選択がつきつけられます。
意識が高い藤原公任がこの作戦を知ったら、どう思うのか……。
◆よみがえる “紫式部のすずり” | NHK | WEB特集(→link)
物語なんて女子どものものなのに…
紫式部が『源氏物語』を書いていた頃、藤原公任はすでに藤原道長の後塵を拝していました。
だとすれば
「へえー、あの道長が選んだんだね、じゃあきっとスゴイものを書いているかも!」
と、ウキウキワクワクしながら読んでいるかもしれません。
あるいは全く違う反応も考えられますね。
「物語」は女子どもの読み物。平仮名で書き付けてあって、政治の話なんて出てこない。
その女にせよ、唐(から)の班昭や謝道韞(しゃどううん)に匹敵するほどの才女とは思えんがね。
そもそも物語など、荒唐無稽で暇つぶしに読むようなもの。実際に起きたことではなく、政治理論も思想もない、その程度のものではないか?
ただし、帝も「作者は教養がある」と誉めていたというし……どれどれ、ちょっと読んでやろうか。
こんな風に鼻で笑いつつ、半信半疑で読み進めた方が面白いのではないかと思えるのです。
結果的に公任は、この物語を気に入ったようです。
寛弘5年(1008年)のこと。
藤原彰子が敦康親王(のちの後一条天皇)を産み、道長の邸にいました。
女房たちが控えていると、公任が中を覗き、こう声をかけてきたのです。
「失礼、このあたりに若紫殿がおられませんか?」
紫式部は黙ったまま。光源氏がいないのに、若紫殿=紫の上がいるわけないでしょう。そう冷たく思ったと書き記しています。
しかし、果たしてそれだけだったのか?
公任のかけた言葉は、唐代の伝奇小説『遊仙窟』を踏まえています。
この作品は遣唐使が買い求める定番で、日本でも普及していました。藤原為時にせよ、藤原公任にせよ、読んでいてもおかしくはありません。
日本は漢籍がお手本ですので、本国ではライトノベルのような書籍でも、教科書代わりとなります。
時代がずっと降った『三国志演義』が典型例でしょう。
本国では挿絵付きラノベ扱いなのに、江戸時代の藩校では教科書とされることもありました。作文も学べてプロット作りのネタにもなる本といえます。
ともかく……『遊仙窟』の内容はなかなかロマンチックで、神仙と恋をする物語です。
張文成という青年が神仙の住むとされる山を訪れると、そこにいた美しい崔十娘(さいじゅうじょう)と、その兄嫁の五嫂(ごそう)と、ロマンチックな愛を交わすという話。
このように日常から離れて、山を訪れた才子(才能ある若い男性)が、佳人(美女)と愛を交わす話は定番です。
そして『源氏物語』の光源氏も、この伝統に沿った行動をとります。
光源氏が瘧(おこり)療養のために訪れた北山で、可憐な少女を見かける――その出会い方が『遊仙窟』をふまえているのです。
公任の問いかけも、張文成が「失礼、神仙の住処はありませんか」と問いかける言葉をふまえています。
つまり公任は、こう語りかけてもいるのです。
『源氏物語』の「若紫」は、『遊仙窟』のプロットを基にしていますね――。
『紫式部日記』にはそっけない塩対応をしたことが記されていますが、作者の紫式部としては「お気づきになりましたか」とニヤリとしたくなったのではないでしょうか。
そしてこの言葉から、公任の感嘆が想像できます。
物語なんて……そう思いつつ読み始めたけれども、あちこちに漢籍由来の逸話や言葉が重ねてある。バカにして悪かった。この作者は漢籍を実にうまく読み込んでいる。
すごい話だ、これほどのものを作らせた道長にはやはり敵わない!
そう完敗宣言を心中でしていても、無理もないところといえます。
当の本人の気持ちはわからないにせよ、『光る君へ』の序盤では、公任とまひろに接点があります。
そこでまひろは公任に打ちのめされています。
しかし、あれほどの才人であり、マウントを取ってきた相手に、まひろがそう呼びかけられれば、勝利ではないでしょうか。
ヤッターーーー!
と、それぐらい叫び出したいけれど、実際は、堪えたがゆえの黙殺かもしれません。
まひろはききょうと比べて、当意即妙の受け答えをするタイプではありません。
「香炉峰の雪はどう見るの?」
そう定子に問われ、咄嗟に御簾を掲げる清少納言のような才知は発揮できません。
しかもそっけない態度が多く、夫である藤原宣孝とも、藤原道長とも、和歌のやりとりが冷たいと言われます。
彼女の性格ゆえかもしれません。
しかし、内心勝利だと確信し、ニヤリと笑う姿が見られるかもしれません。
意識が高い公任が、マイペースな道長に敗北する。
そんな公任が、まひろに声を掛ける――そんな状況と、名場面のために、『光る君へ』は極めて高度な伏線を張り巡らせてあるのだとすれば、どうでしょう?
合戦がなくとも、宮中で教養を張り合うだけでも面白い。
そんな緊迫感がこのドラマにはある。
公任の前振りを理解するためにも、漢籍教養は必須であることも、ご理解いただけるのではないでしょうか。
★
戦がない女性主人公。だからつまらない。
そんなことも言われてしまう大河ドラマ『光る君へ』。
大石静さんも、紫式部が主役だと発表されたとき、シーンと静まり返ったと回想しています。
では、実際のドラマはつまらないのか?
歴史劇としておかしいのか?
そうでないと証明できれば、このドラマはある意味、成功を収めるといえます。
近年の大河ドラマでは、漢文教育廃止論を先行して実現してしまったかのような描写がありました。
2021年『青天を衝け』の渋沢栄一は、『論語と算盤』という著書があるとはいえ、漢籍読解を専門としたわけではありません。
にもかかわらず、あのドラマ周辺は渋沢栄一こそ儒教の達人のような扱いをしていました。
渋沢栄一の問題ある解釈をそのまま肯定するような描写も多々見られました。
2023年『どうする家康』では、今川義元と徳川家康が「王道」と「覇道」を対比させます。
中国史ならばこの対比はありだとしても、日本では天皇が「王道」であり、武士は「覇道」です。
漢籍を理解していれば、ありえない問いかけでした。
本当は怖い渋沢栄一 テロに傾倒し 友を見捨て 労働者に厳しく 論語解釈も怪しい
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そんな近年大河のような過ちをせず、確かな知識を伏線として組み込み、爽快感ある仕上げにするのであれば、『光る君へ』はひとつの到達点へのぼることができます。
視聴者に漢籍教養の重要性を再認識させ、「漢文教育不要論」こそ不要だと思わせれば、輝かしい成功を収めるといえます。
視聴率だけではない何かを掴むことを期待しましょう。
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◆ドラマレビューはこちらから→光る君へ感想
文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(→amazon)
八鍬友広『読み書きの日本史』(→amazon)
加藤徹『漢文の素養』(→amazon)
大津透『律令国家と隋唐文明』(→amazon)
ビギナーズクラシック『小右記』(→amazon)
ビギナーズクラシック『更級日記』(→amazon)
他