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【紫式部と藤原公任の関係性】
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エリートならば恋と仕事は分けるモノ
藤原公任のマウントは第7回放送でも続き、いわば前後編とも言える構成でした。
「漢詩の会」でききょうのことを気に入った藤原斉信は、打毱観戦に彼女を誘います。
といっても、ききょうだけ誘うのは下心が露骨かもしれない――そう考え、地味でどうでもいい藤原為時の娘・まひろもアリバイとして誘った。
打毱を楽しく観戦した後、まひろは偶然、貴公子たちの会話を立ち聞きしています。
そこで公任はこう言います。
「俺たちにとって大事なのは恋とか愛とかじゃないんだ。
良いところの姫の婿に入って、おなごを作って、入内させて、家の繁栄を守り次の代につなぐ。
女こそ家柄が大事だ。そうでなければ意味がない」
斉信もそうだと返します。
「家柄の良い女は嫡妻にして、あとは好いたおなごのところに通えばいいんだよな」
この会話に、まひろも視聴者も衝撃を受けました。
しかし考えようによっては、公任とは極めて真面目で、高い意識を持っているともいえる。
一貫性があるのです。
公任は、打毱の際にうまい策を出していたとも語られます。
たかがゲームでも勝ちを狙いに行く。自己アピールする機会は逃さない。そんな聡明さがあらわれています。
恋だの愛だの恋愛事情にかまけず、よい政治を実現し、家を守るために割り切る。なかなか志が高いことでしょう。
何よりも聡明である。まひろだって、そのことは頭ではわかります。
善政を敷いていた唐玄宗が、楊貴妃との熱愛にかまけた結果、世が乱れてしまった。そう父が弟に語るところを、彼女が聞いていないはずがありません。
知っていたからこそ『源氏物語』「桐壷」では、帝と更衣を玄宗と楊貴妃に例えている。
愛に溺れた花山天皇の失墜を見ることで、まひろは実感を込めて感じられたことでしょう。
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でも、でも……それだけでいいの?
彼らの言葉に衝撃を受け、雨の中を走ってゆくまひろの姿からは、割り切れない情があふれています。
そしてこのとき道長は、公任と斉信の語る言葉に納得していません。
道長は公任の才に感服していた
意識が常に高く、恋愛よりも出世を考えているエリート・藤原公任。
マイペースな三男で、ちょっと抜けているところもある、『光る君へ』ではそんな設定の藤原道長。
単にドラマだけの話でもなく、『御堂関白記』が癖の強い悪筆であることからの着想もあるようです。
果たして二人は、ライバルとして出世を競うことになる。
「漢詩の会」と「打毱」と下劣な会話はその前哨戦であり、この時点では、公任が政治家としての資質においてマウントを取っています。
大河ドラマやフィクションでは、いわゆる“おなじみの場面”とも言えるかもしれません。
【石橋山の戦い】で敗北し、潜んでいる源頼朝とその一行とか。
大大名の嫡男である今川氏真に対し、じっと耐え忍んでいる松平元康とか。
【安政の大獄】による一橋派の敗北で、島津斉彬の無念に薩摩藩士が悔し涙を流しているとか。
序盤ならでは、道長「屈辱の敗北」であり、勝利と栄光の前振りですね。
公任は当代随一の才人であり、道長も認めていました。
『大鏡』にこんな話が収録されています。
道長が川遊びをしたとき、船を三艘用意した。
漢詩の才。
管弦の才。
和歌の才。
さぁ、どれでも得意なものに乗ってくれ、という気遣いだ。
道長はワクワクしていた。
「あの公任はどれに乗るのかな?」
「和歌の船にするか」
公任は乗り込み、歌を詠んだ。
小倉山嵐の風の寒ければ 紅葉の錦着ぬ人ぞなき
小倉山から嵐の風が吹きつけ、寒いほどだ。その風が紅葉を散らすものだから、まるでみな錦の衣を着ているように見えるではないか。
そしてこう言った。
「漢詩の船でも同じくらい、よい詩を詠めただろうに。惜しいことだよ」
公任は道長がどれを選ぶのかと聞かれて浮かれたんだって。一つの才能を極めるのも大変なのに、全部できちゃう公任はスゴイよね!
と、まぁ、道長も、才能ではかなわない相手であると公任のことを思っていました。
しかし、平安中期とは、実力よりも外戚政治がモノをいう時代です。
公任が語る通り、娘を天皇に入内させ、天皇の外祖父となることが権力への近道。
様々な運にも左右される中、兄二人の死という出来事もあって、勝利を収めるたのは道長でした。
さらに道長は、娘である彰子が一条天皇の確たる寵愛を得るため、ある秘策を用います。
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