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【島原大変肥後迷惑】
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まるで災害に呪われたかのような深溝松平家
迷惑した割に肥後=熊本藩のほうの記録があまりないので、熊本藩主から何か言われたとか、何かされたということもなさそうなのですが。
島原では忠恕の息子がその意志を継いで藩を立て直したのですが、孫の代にまた災害をくらい、厄除け祈願の直後に亡くなってしまったとか。
ついでにいうと、深溝松平家の人は島原に来て以降、ほぼ全員が散々苦労をした末、40歳までに亡くなっています。深溝松平家が何をしたっていうんや(`;ω;´)
これだけの災害ですので、長崎県・熊本県双方に供養塔や記念碑等が数多くあるとのことなのですけれども、たまには深溝松平家の藩主たちのことも思い出して、冥福を祈りたいものです。
深溝松平家はちょっと変わった家で、「当主の遺体は故郷の三河国深溝に葬る」という習慣があったのですが、島原にもお墓はあるそうなので。
島原のお墓は2014年には国の史跡にも認定されたそうです。
お近くの方、旅行で島原近辺を訪れる方は立ち寄ってみてはいかがでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
幸田町(→link)
島原大変肥後迷惑/wikipedia
雲仙岳/wikipedia
松平忠恕_(島原藩主)/wikipedia