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【島原大変肥後迷惑】
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津波と返す波も合わせて被害者1万5000人
有明海に注ぎ込んだ土砂は“津波”を巻き起こしました。
結果、対岸の肥後は大水に襲われ、島原にも返す波で再び多くの死者が出てしまったのです。
肥後ではさほど地震が大きくなかったのであまり警戒している人も少なく、まして夜だったので海の様子もよく見えず……ということで、まさに「迷惑をかけられた」という印象だったのでしょう。
島原と肥後、双方合わせた被害者は1万5000人にも上るとか。
その後も7月半ばまで地震と噴火は続いたといいます。

眉山崩壊による津波・土砂災害の自然災害伝承碑の分布(国土地理院に登録)/wikipediaより引用
まるで災害に呪われたかのような深溝松平家
ちなみに、このとき島原藩主だったのは松平忠恕(ただひろ)という人です。
名字でわかる通り徳川家の縁戚で、この件の18年ほど前に島原へ転封されていました。
雲仙岳の噴火以外でも行く先々で災害に遭い、その度に幕府に借金をして立て直そうとした、割と善良な人です。
幕府からの金だけでは足りず、増税したために一揆を起こされたこともあるのですが、いきなり増税しないだけまだマシですよね。
しかし、これほどデカい噴火に見舞われてしまったため、心労で亡くなったといわれています。
迷惑と表現されている割には、肥後=熊本藩のほうの記録があまりないので、当時の熊本藩主・細川斉茲(なりしげ)から何か言われたとか、何かされたということもなさそうなのは救いでしょうか。
熊本藩ではこの年10月に銀札を発行しているため、財政が苦しかったことはうかがえますけれども。
島原では忠恕の息子がその意志を継いで藩を立て直したものの、孫の代にまた災害をくらい、彼もまた厄除け祈願の直後に亡くなってしまったといいます。
ついでにいうと、深溝松平家の人は島原に来て以降、ほぼ全員が散々苦労をした末、40歳までに亡くなるというケースが珍しくありませんでした。
深溝松平家が何をしたっていうんや……。
これだけの災害ですので、長崎県・ 熊本県双方に供養塔や記念碑等が数多くあるとのことなのですけれども、深溝松平家の藩主たちのことも思い出して、冥福を祈りたいものです。
深溝松平家はちょっと変わった家で、「当主の遺体は故郷の三河国深溝に葬る」という習慣があったのですが、島原にもお墓はあるそうなので。

松平忠恕の墓(愛知県額田郡幸田町)/wikipediaより引用
島原のお墓は2014年には国の史跡にも認定されたとのことです。
お近くの方や、旅行で島原近辺を訪れる方は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
日本に住んだり長期滞在している限り、災害のことは時折意識しなければなりませんしね。
雲仙岳は観光客や登山愛好家の方々にも人気の山ですけれども、こうした歴史的事実を踏まえ、お出かけの前には気象庁の噴火警報・予報ページ(→link)などをよくご確認ください。
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長月 七紀・記
【参考】
山賀進『科学の目で見る 日本列島の地震・津波・噴火の歴史』(→amazon)
島村英紀『完全解説 日本の火山噴火』(→amazon)
国史大辞典