すでに8月下旬、過去最大級とされる台風10号が日本列島に上陸し、全国各地で被害が報告されたほど。
悲しいかな、こうした自然災害は今に始まったことではなく、日本では昔から頻発しており、歴史も大きく動かしていた――。
それを意識させてくれるのが、
書籍『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災 (中公新書)』(→amazon)
です。
著者は『武士の家計簿』で有名な磯田道史氏。
私たちにわかりやすい言葉で伝えてくれます
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実際、他国と比べて災害は多いの?
地震、火山に台風、高潮――。
日本は他国と比べ、体感的に自然災害の多い国だと感じますが、実際はどうなのか?
国土技術研究センターのホームページを参照させていただきますと、以下の通り。
・日本の国土は全世界の0.28%しかない
・しかし全世界で起きたM6.0以上の地震のうち20.5%が日本で起きている
・全世界の活火山の7.0%が日本にある
・全世界で災害により死亡する人のうち日本人の割合は0.3%
・全世界の災害被害金額のうち11.9%が日本
結論→日本は世界でも災害の割合が高い国
※参照:一般社団法人 国土技術研究センター(→link)
肌感覚だけでなく数字を見ても、日本は自然災害に遭いやすい国ということが分かりますね。
こうした気候や地理条件は昔から大きく変わるものではなく、歴史的に見ても同様のことが繰り返されてきたのは容易に想像できるでしょう。
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豊臣政権に影響与えた二つの地震
第1章は豊臣秀吉の時代です。
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日本史好き、特に戦国好きには有名な2つの地震から始まります。
1つめは天正13年(1586年)に日本列島の中央部でおこった大地震「天正地震」。
秀吉による九州征伐の前年ですので、豊臣家の支配体制が完全には確立していない時期の出来事ですね。
この地震では飛騨の帰雲城(かえりぐもじょう)が山崩れによって完全に埋没、城主の内ヶ島一族が全員行方不明となり滅亡した話で知られます。
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しかし、その他にも大垣城が全壊焼失、長島城も倒壊となっており、北陸から中部での大きな被害が確認できます。
山内一豊夫婦の唯一の実子である女子がこの地震で命を奪われたのは大河ドラマ『巧妙が辻』でも描かれておりましたね。
本書では、当時の地震の記録を紹介するところからはじまります。
時計の普及していない時期ですので時刻は太陽が頼り。
夜中におきた天正地震は亥刻、子刻と記述がまちまちだそうです。
続いて山内一豊の話を書き、徳川家康が地震に救われた話へと続きます。
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