徳川和子

徳川和子/wikipediaより引用

江戸時代

皇室に嫁いだ秀忠の娘・徳川和子の苦悩が辛い~しかし他の姉妹達はもっと辛い

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【次女・珠姫】一番幸せな結婚

5人の中では一番幸せな結婚をした人です。

嫁ぎ先は五歳上の前田利常で、三歳(!)で嫁がされているため一緒に育ったも同然。

「姫を退屈させないように」ということで花嫁行列に各種芸人が付き添って行ったそうですから、秀忠の親バカぶりがうかがえます。

この幼馴染夫婦の仲は極めて良く、三男五女に恵まれました。

しかし、珠姫は24歳で産褥のため亡くなってしまいます。

長生きできれば完璧でしたが、彼女が亡くなるまで利常は他の女性との間に子供はいないので、愛されようがわかりますね。

 


【三女・勝姫】夫がご乱行 息子は改易

従兄の松平忠直に嫁ぎました。

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忠直が”乱行”で隠居させられてからは子供達と一緒に江戸に出てきて二度と同居しなかったので、仲が良かったとは言えないでしょう。

忠直との間に一男二女がいますが、息子の光長は改易されてしまいます。

娘二人は皇族と公家に嫁ぎ、天寿を全うしているのがせめてもの救いですかね。

 


【四女・初姫】妻の死より相撲が大事な夫に嫁ぎ

和子のすぐ上のお姉さんです。

そして最も悲惨な生涯をたどった人でもあります。

嫁ぎ先は”蛍大名”こと京極高次の息子・忠高。

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その母・初が、初姫の母・江と姉妹なのをいいことに「アンタの娘をうちにくれれば、ウチも将軍家も安泰でしょ?」と半ばゴリ押しして決めた結婚といわれており、夫婦仲は冷え切るどころか最初から温まりもしませんでした。

子供もおらず、その上、29歳の若さで亡くなっています。

しかも初姫死去の知らせが届いたとき、忠高は相撲見物に興じていて席を立とうともしなかったとか。

さらに日頃から冷たい態度を取り続けていたらしく、諸々がバレて徳川秀忠徳川家光の怒りを買い、初姫の葬儀には京極家関係者は一切の出入り禁止をくらったそうです。

秀忠さん、千姫と初姫の婿選びがアイタタタ……。

彼女達の弟である家光が、珠姫・勝姫の娘を養女として方々に嫁がせているのも、お姉さんたちに気を使った面があるように思えます。実際は政略的な意味のほうが強いにしても。

家光の養女になった三人は夭折した一人を除き、子宝に恵まれ長生きしていますので、婿選びは(も?)秀忠より家光のほうが上手かったと言えそうです。

将軍後継時のゴタゴタがあった上にこれじゃ、家光が秀忠を尊敬しないわけですね。

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【参考】
国史大辞典
徳川和子/wikipedia

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