十返舎一九

十返舎一九/国立国会図書館蔵

江戸時代 べらぼう

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は下世話だから面白い~実は20年以上も続いた人気作

世の中には、代表作が一作しかない「一発屋」クリエイターがいれば、ヒット作を次々に送り出すクリエイターもいる。

これは何も現代社会に限った話ではなく、江戸時代からそう。

大河ドラマ『べらぼう』の舞台で一発屋と言えば誰?

というと十返舎一九がその代表と言えるかもしれません。

「じっぺんしゃいっく」というインパクトのある読みだけでなく、彼の代表作『東海道中膝栗毛』はあまりに有名ですが、実は二十年以上にもわたって連載の続いた作品だったということをご存知でしょうか。

しかも、その内容は教科書には載せられないようなもので……だからこそ人気を博したとも言える。

十返舎一九の生涯と共に振り返ってみましょう。

十返舎一九/国立国会図書館蔵

 

生まれは駿河 奉公のため江戸と大坂へ

十返舎一九は明和2年(1765年)、駿河国府中に生まれました。

本名は重田貞一(しげたさだかず)で、通称は市九、与七。父は駿府で同心を務める与八郎とされます。

彼の生まれは不明点が多いながら、駿府の人であることは間違いないようです。

静岡市葵区両替町には生家跡があります。

天明元年(1781年)になると、十返舎一九は江戸に出て武家へ奉公。

さらにその7年後となる天明8年(1788年)には、大坂町奉行の小田切直年に仕え、このころ「近松与七」として浄瑠璃の合作を手掛けました。

上方から江戸へ戻ったのは寛政6年(1794年)のこと。

同年の秋頃から、版元・蔦屋重三郎方の食客となり、和紙の加工や挿絵描きなど、出版業にまつわる雑用をこなしているうちに、その才能を見出されます。

十返舎一九は、文才だけでなく絵心もあったのです。

 

デビュー作は『心学時計草』

当時のエンタメ作品には、現代の雑誌と同じく挿絵が入るようなっているため、文章とイラストを同時に手掛けられればとにかく便利。

作家と絵師の橋渡しをする手間も費用も省けます。

おまけに彼は上方にいた経験もあってエンタメに詳しく、落語、川柳、狂言、謡曲、歌舞伎、浄瑠璃……など、様々な知識を身に着けていました。

そして寛政7年(1795年)、ついに蔦屋は彼を作家として売り出すことを決意します。

デビュー作は『心学時計草』。

以降、黄表紙や狂歌、洒落、人情ものだけでなく、江戸期教育の定番である往来物(手紙をもした文例集)まで手がけ、さらには肉筆浮世絵までこなすのですから素晴らしい。

寛政8年(1796年)には蔦屋を出て、町人のもとに婿入りしたとされますが、寛政12年(1800年)頃には、婿入り先を出たようで。

寛政13年(1801年)に“いと”という女性を妻とします。

そしてこの年から十返舎一九は上総、箱根へ温泉旅行に出かけ、翌年には常陸、下総を旅するのですが……この旅こそ、思わぬブレイクのキッカケとなるのでした。

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