十返舎一九

十返舎一九/国立国会図書館蔵

江戸時代 べらぼう

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は下世話だから面白い~実は20年以上も続いた人気作

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筆を置いた晩年

やがて才能も尽きてくると、十返舎一九は筆を置きました。

最晩年まで取り憑かれたように書こうとする曲亭馬琴のような文人もいますが、一九はそういうタイプではなかったようです。

旅も続け、書き続け、体力的に苦しかったのもあるでしょう。

連載が終わった文政5年(1822年)には58才。

このころは中風を患っており、世間からは“終わった文人”と認定されてゆきます。作品を発表しても名義貸しを疑われることすらありました。

晩年には酒毒(アルコール中毒)に祟られ、身体もきかず、没落した姿であったとされます。

そして天保2年(1831年)8月7日に亡くなりました。

享年67。辞世の句はこう詠んでいます。

此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら

一点付け加えておきますと、没落した姿というのは、あくまで伝説であり眉唾な話という可能性もあります。

日本人は文人の没落伝説を好みます。

平安時代からそうであり、小野小町は髑髏になったとされ、清少納言も晩年は落ちぶれていたと語られ、紫式部に至っては地獄に堕ちたという伝説まであります。

文人=没落する

結局アイツの本が売れたのは『東海道中膝栗毛』だけの一発屋じゃねーか。しかし、現実にそれは二十年以上もヒットし続けている。

そんな華々しさから、嫉妬混じりの没落伝説が一人歩きしたのかもしれません。

確かに中風を患ったため身体は不自由であったそうですが、孤独死ではなく、家族に看取られての最期であったともされます。

本人が書き残したわけでもなく、あくまで伝聞であることに要注意ですね。

『東海道中膝栗毛』は現代まで鳴り響くようなヒット作品だけに、作品とその作者には尾ひれのついた話がつきまといやすいんですね。例えばこんな感じで……。

・十返舎一九は日本初の筆一本で食べていけたプロ作家だ

こうした伝説は「何を持ってプロ作家とするか?」という定義があるので判定が難しい。

二十年以上の長きにわたり、同じシリーズを年に一度発刊し、筆一本で食っていける――それだけでもかなり驚異的な話でしょう。

・『東海道中膝栗毛』が「滑稽本」を確立させる

成立過程からして、作者も版元も読者も「よし、新ジャンルだ!」と考えていたわけではないはず。

想定外のヒットをした上に、二十年間という一つの時代を築き上げたため、後世そう見なされるようになったというのが自然な解釈ではないでしょうか。

あらためて『東海道中膝栗毛』という作品を考えてみると、江戸期の文学に素晴らしい功績を残したようにも思えてきます。

しかし現代においての扱いはそうでもない。

現代語訳が全シリーズで出されることもありません。

かといって完全に消え去ってしまうわけでもなく、現代においても「弥次喜多」(やじきた)という言葉はある程度は通じるでしょう。

ただし、物語の中身を知られているのか?というと、そうでもない印象です。

いったい『東海道中膝栗毛』という作品は何だったのか?

 

『膝栗毛』は世相に一致したヒット作

なぜ『膝栗毛』はヒットしたのか?

背景には、当時の東海道旅行ブームがあります。

日本人がどの時代も全国好き勝手に旅をできたのか?というと、そんなわけありませんね。

例えば、平安時代の貴族ともなれば、平安京から出ることは死の覚悟もしなければならない危険なものであり、武士の時代となってからも国を跨ぐとなれば必死。

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江戸時代も折り返し地点を過ぎ、ようやく庶民も旅ができるようになったのです。

こうなると

旅行ガイドが欲しい!

となり、そうした欲求への真面目なアンサーが歌川広重の『東海道五十三次』だとすれば、おちゃらけたB級ガイドが『膝栗毛』シリーズでした。

歴史的な由緒など「めんどせーから飛ばす!」とでも言いたげに雑に書かれ、その一方で、下世話な話はキッチリ盛り込まれる

表には出ない、裏の観光案内は、今も旅には付き物だったりしますが。

「せっかく旅行したんだし、キレーなねーちゃんとムフフな楽しみをしたいぜ!」

そんな要望を叶えるため、当時から、宿場町にいる飯盛り女(下級遊女)のガイド本はありました。

『膝栗毛』は、そうしたお戯れを面白おかしく入れ込むものだから、江戸っ子たちも鼻の下を伸ばして購入したのです。

差別、偏見、オヤジギャグ、下ネタ――。

そんなものが受けていたのか? というと、現代を生きる我々だって否定できないでしょう。

古今東西、お笑い本にはそうしたネタがあります。

たとえばイングランド人は、「スコットランド人はケチだぜ!」だの、「フランス女はエロいぜ!」だのをネタにしてきました。

日本だけがそういう笑いを好まなかった……なんてわけはありません。

ルーツだけでなく、相手の目が見えないことで起こるドタバタ「座頭もの」というネタも登場します。当時はそれで笑いを取っていたのです。

『膝栗毛』シリーズには、どうしようもないベッタベタな笑いが詰まっています。

馬方や船頭の荒っぽい言葉遣い。

馬の放屁。

垂れ流される排泄物。

弥次喜多がやらかすしょうもない失敗。

そして合間に挟まれる、ピチピチした太もも、でかいケツ。そんなかわいいお姉ちゃんもタマラナイ。

お姉ちゃんだけでなく、お兄ちゃんへの欲望も出てきます。

なにせ、主人公の喜多八は「元は串童(かげま・性風俗従事者)という設定が後付けで付け加えられ、弥次喜多は男色により結ばれていることにされたのです。

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これでは「江戸のおじさん欲張りセットじゃないか」と感じるかもしれませんが、そうした見方でよいかとも思います。

しょうもない内容のうえに、当時の流行や風俗を知らねば理解が難しく、『源氏物語』のようには読まれない。

『八犬伝』のように、アクション映画や漫画の原作原案にもされにくい。

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では『膝栗毛』は日本人から完全に忘れられたのか?というと、そうとも言えないでしょう。

【膝栗毛物】はジャンルとして成立しています。

当時から、便乗作品やパロディ、艶本(エロ本)は盛んであり、現代でもメディアミックス展開され、芝居や映画にもなりました。

例えば1994年から2002年まで漫画として連載され、2005年映画化された『真夜中の野次さん喜多さん』、2008年『やじきた道中 てれすこ』というように、平成までそうした作品はあったのです。

こうした十返舎一九の事績と影響を振り返っていて、思い出してしまったのが、2024年に亡くなった漫画家・鳥山明さんです。

彼が作品を掲載していた週刊少年ジャンプは、読者アンケートによる人気を連載継続のバロメータとしている話はよく知られていますよね。

その結果、常に上位人気の『ドラゴンボール』は連載が長引いた。

果たして作者が意図したものだったかどうか。

『ドラゴンボール』には、こんな台詞があります。

「もうちょっとだけ続くんじゃ」

さすがにもう最終回か……と、読者がしんみりしたにも関わらず、連載はまだまだ続いた。

作者は終わらせたかったんじゃないか?

他にやりたいことがあったんじゃないか?

そうモヤモヤを感じさせたものですが、彼が味わったジレンマは、十返舎一九が先行していたのかもしれません。

『膝栗毛』とその周辺を振り返ると、変わらない人間の本質が浮かび上がってきます。

高尚とは正反対の中身であり、教科書に掲載されることもないから、わざわざ授業で読み解いたりもされない。

では『膝栗毛』がなぜ愛されたか?

というと答えは簡単なもので、世相と需要供給が合致した、ごく自然なセオリーの産物なのでしょう。

日本人とエンタメの付き合い方の一類型として、『膝栗毛』と十返舎一九を見直すことも、実は興味深いことなのかもしれません。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから(→link

【参考文献】
綿抜豊昭『「膝栗毛」はなぜ愛されたのか』(→amazon

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