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【徳川宗春】
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「今度の殿様は派手で面白い方だ」
とはいえ宗春はただの馬鹿殿ではなく、儀式や寺社への参拝のときにはきちんとした正装をしていました。
その辺はさすが由緒正しいお家の人ですね。
代わりに(?)自領内では歌舞伎や能の役者姿(舞台衣装)で出かけたり、どこから見つけてきたのか白い牛に乗ってみせたりとやりたい放題だったとか。
民衆からも「今度の殿様は派手で面白い方だ」ということで人気があったそうです。
領内に芝居小屋や遊郭など、娯楽施設を作る許可を出したのも宗春でしたので、そっちの世界や商人の間でも「ありがたいお方」として受け入れられていきます。
最盛期には千人を超える遊女で大賑わいだったとか。
実は宗春自身も、江戸にいた頃は吉原へよく通い、評判の遊女を身請けするほどだったのです。
結果、尾張藩は「名古屋の繁華に京(興)がさめた」とまで言われるほど経済を回復させました。
ただし、藩財政は相変わらず赤字で、回復とはなってません。
いくら商工業・サービス業を発展させても、そこから税収が上がってこないと意味ないんですよね。
当時から消費税という概念があれば……ほとんど全ての流通サービスに課税されますので、確実に藩財政は潤ったはずです。
実は、きちんとした理屈もあった
それにしても……宗春はなぜこれほどの行動に出れたのか?
実は、ただの反発ではなくきちんとした信念がありました。
いくつか書き出されているのですが、一貫しているのは二つ。
「行き過ぎた倹約はかえって民を苦しめることになる」
→ケチケチしすぎないで、使いたいときはパーッと金を使え!
「規制を増やしても違反者を増やすのみ」
→だから取り締まる手間をかけるより、楽しく金を使うようにすればいいじゃん?
シンプルで一理ありますし、現代にも通じる考え方ではないでしょうか。
余裕のある人が積極的に使ってくれないと、お金は天下を回っていきませんからね。
この方針は自領内にとどまらず、参勤交代で江戸に行った際には
「前の屋敷を建て直したついでに、ウチのお宝を江戸のみんなに見てもらおう!」
ということで藩邸を開放するという前代未聞の行動に出ています。
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