1957年(昭和三十二年)12月11日は、初めて百円硬貨が発行された日です。
何というか……年の瀬の忙しい&お金が動きまくる時期によく発行したものですね。
当初は鳳凰をあしらったものでしたが、1959年に稲穂、1967年に現在の桜モチーフに変わっています。
というわけで、今回は硬貨やお金のお話です。
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殷王朝時代に貝貨が始まった
お金といえば商売ですよね。
しかし、通貨という概念が生まれる前は、物々交換で商売を行っていました。
そのうち「大きなものを持ち歩くのは面倒だな」と考えた誰かが、「持ち運びやすい」「対価となる」ものとの交換を思いつきます。
そこで「貝貨」という貝殻を用いた取引が行われるようになりました。
これが最古の「お金」です。
中国の殷王朝時代の事だったといわれており、取引するモノに影響を与えず、手に入りやすいということで貝が選ばれたのだとか。
このため、購・買・貯・貨など、お金に関する漢字には「貝」がつくというわけです。
漢字テストでお金に関する字をあてはめるときは、とりあえず「貝」の横に何かくっつけると思い出せるかもしれません。
ちなみに、はるか遠いアフリカでも貝をお金として使っていたところがあるとか。
不思議な一致ですね。
時代が下り、金属の精製技術が発展すると、中国では貝の代わりに金属をお金として使うようになります。
といっても今のような硬貨ではなく、農具や武器などを象ったものでした。小さいものや大きさが揃ったものを大量生産するのは難しいですからね。
金属による硬貨は紀元前7世紀頃のギリシャが最古
硬貨という形態ができたのは、紀元前7世紀頃のギリシアだったといわれています。
中国ではもう少し後、紀元前4世紀(春秋時代)に硬貨が作られるようになりました。
ここで面白いのが、洋の東西における硬貨の形の違いです。
中国の硬貨は真ん中に四角い穴が開いていて、西洋の硬貨は穴がなく、王の肖像が入っているのです。
当たり前といえば当たり前ですが、同じような金属を使っているのに不思議ですよね。
中国では「銭をたくさん運ぶのにいい方法ないかな」→「真ん中に穴開けて、ひもを通せばいいんじゃね!?」という実に画期的な考えが生まれたからでした。
例によって誰が考えたのか不明ですが、賢い方がおられたんですね。
一方、西洋ではそもそも「銭を大量に持ち歩く」という概念がなかったので、権力の象徴である王様を刻むほうが優先になったのだとか。
数枚の場合は口に入れていたそうです、って流行病の原因になりそう……。
どう考えても、王様の肖像を入れるより穴を開けるほうが楽だと思うんですが。価値観の違いでしょうか。
イスラム教圏では偶像崇拝を避けるため、文字だけを刻んだ硬貨が使われていたそうです。今は例えば建物や動物などの絵がついていますね。
歴史の授業でお馴染み 和同開珎が708年に鋳造される
貨幣が安定して発行できるようになると、商売だけでなく賃金の支払いも現物ではなく硬貨が使われるようになります。
ローマ帝国やアケメネス朝ペルシアなど、古代の大帝国でもこの方法が採られていました。
交易都市では両替商や銀行も現れ、紀元前のうちにこういった金融業が生まれています。
こうして生活のさまざまな面で硬貨が重要視されるようになると、その材料である金属を採掘する鉱山を巡って戦争や利権も発生するようになっていきました。
例えば、スペインが南米大陸に進出した際、現地住民を銀山で酷使したために、たくさんの人が亡くなっています。
また、国内であっても、乱造により問題が起きることがままありました。
「改鋳のたびに違う金属を混ぜて貨幣の質と信用が落ちた」なんて話、たまに教科書にも出てきますよね。
日本では当初鋳造技術がなかったので、中国の銭を輸入して使っていました。
独自の貨幣が作られたのは、飛鳥時代頃の話です。
以前は和銅元年(708年)発行の和同開珎が日本最古の硬貨とされていましたが、さらに古い硬貨が見つかり、現在も研究が進められています。
形は中国式の四角い穴が空いたものでした。
しかし、この時点ではまだ日本は統一国家ではなかったために貨幣が広がらず、10世紀頃に貨幣の製造がストップしてしまいます。現代だといろいろな意味で考えられないことですよね。
ここでまた日本のガラパゴスというか何というか、物々交換の時代に一度戻っているのが何とも不思議なもの。
しかもだいたい200年くらい続いたといいますから、それで支障がなかったというのがスゴイ。
なんと昭和時代まで、法的には使えた寛永通宝
日宋貿易が始まった10世紀後半には、再び中国の銭が輸入され、通貨という概念が復活します。
日宋貿易は平清盛のトーチャン・忠盛が力を入れていて、平家の富の元にもなりました。
もし平家が歴史の中で「悪者」にならなかったら、今頃忠盛や清盛は銭の神として祀られていたのかもしれません。
時代がさらに少し進んで、戦国時代あたりになると、いわゆる「大判小判」が作られましたが、中国の貨幣はその後も日本の庶民の間で使われました。
庶民が国産の貨幣を使うようになるのは、江戸時代に寛永通宝ができた後のことです。
四代将軍・徳川家綱の時代に「今後は国産の通貨を使うように。中国のお金はダメ!」という法律ができた背景があります。
寛永通宝は家光の時代にできたものですから、この間に国内へ流通出来るだけの量が造れたということでしょうね。
寛永通宝はたびたび改鋳され、デザインが変わりながらも明治時代まで使われました。
なんと、法的には、昭和二十八年(1953年)に法律が変わるまで使えたそうです。
明治や大正生まれのご老人なら、使ったことがある人もいるかもしれませんね。周りにその年代の方がいたら、聞いてみると面白いかも?
グローバル化によって諸外国の通貨が自販機で問題に……
こうして硬貨は世界中で使われるようになったわけですが、近年のグローバル化に伴って、ある問題も出てきました。
別の国の価値の異なる硬貨が、誤って(?)使われることがままあるのです。
日本の500円玉と韓国の500ウォン硬貨。
アラブ首長国連邦の1ディルハム硬貨とフィリピンの1ペソ硬貨などが自販機で使われ、価値が異なるために大きな損失になるのだとか。わざと返却レバーを引いて、違法な交換をする人もいるそうで……世知辛い話ですね。
これを防ぐため、硬貨の重さを検知する自販機もあります。
逆にギザ十や汚れて多少重さが変化している硬貨がはじかれるなど、もどかしいことになっています。私も普通の100円玉ではじかれたことが何度か……(´・ω・`)
ただ、今後のキャッシュレス時代を考えると、もはや自動販売機にも小銭は不要になりますよね。
貝殻から始まって金属となり、最後は「電気」って……こればかりはどんなに頭の良い人でも、まったく想像
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
百円硬貨/wikipedia
八十二文化財団
貨幣史/wikipedia
寛永通宝/wikipedia
自動販売機/wikipedia