うどん歴史

食・暮らし

7月2日は「うどんの日」その歴史はいつから?なぜ関東と関西で違う?

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現在でもたまに論争じみた話題になりますが、「関東は黒くて濃い味のつゆ」「関西は薄味で透き通ったつゆ」ですよね。

うどんを食べるときよく引き合いに出される気がするので、ついでに考察してみましょう。

ポイントは「だしの材料」と「土壌の違い」です。

 

関東と関西 ダシの差は野菜の質が影響!?

東日本では鎌倉時代から鰹が好まれており、江戸時代に鰹節が生まれてからは、鰹だしがデフォルトになっていました。

そのため、蕎麦のつゆも鰹だしを用いました。

一方、西日本で昆布だしが好まれるようになったのは、鎌倉時代に津軽の安藤氏が北海道産の昆布を出荷していたからと言います。

また、関東は石灰質な土壌のため野菜の筋が目立ちやすく、それに負けない濃い味付けが好まれるようになりました。

関西は赤土が多い土地が多数派のため、野菜が柔らかくなり、素材の味がそのまま伝わるように薄い味付けを好むのが定着したのだとか。

これらが複合的に重なり、

関東は濃い色や味付けが多い

→それに負けない風味を持つ蕎麦

関西は薄い味・薄い色をつけることが多い

→よりシンプルな味のうどん

が好まれるようになったのでしょうね。

冷害になりやすかった東日本では、蕎麦のほうが育てやすかったことも理由になっていそうです。

 

水の少ない讃岐は麦の育成に向いていた

さて、うどんといえば、やはり讃岐うどんの話題は欠かせません。

上記の通りうどんの発祥説の一つにも入っていますしね。

これまた起源は確定していないのですが、讃岐でうどんが好まれるようになった理由はいくつか考えられます。

・いりこ(鰯煮干し)の産地だったため

上記の通り、関西では古くから昆布だしが好まれました。

そしてそれは元々北海道からの輸入品(国内ですが)で高価なものでした。

江戸時代あたりにはだいぶ緩和されましたが、それまでは東西問わず、煮干しを使ってダシを取ることが多かったです。

讃岐はいりこの産地だったため、安価につゆを作ることが可能でした。

・乾燥した土地柄

現代でも、香川県は水不足になりやすい土地として有名です。近代以前も、讃岐の人々は水不足に悩まされていました。

そのため稲が不作になることも珍しくなく、二毛作として麦を育てることが多かったので、うどんが作られるようになったというわけです。

具体的にいつごろ「讃岐=うどん」になったのかはわかりませんが、製粉技術が広まった(挽臼が普及した)のは江戸時代のことなので、讃岐の庶民にまでうどんが浸透したのはその辺りでしょう。

これは全国的にうどんが食べられるようになった時期とも符合します。

ダシやツユの種類を突き詰めるとキリがなく、とにかく食べ物は美味しくいただくのが一番。

麺だけだと栄養が偏りやすいので、天ぷらやその他具材と食べるのがいいですね。夏バテ防止にもなりますし。

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長月 七紀・記

【参考】
武光 誠『食の変遷から日本の歴史を読む方法―戦乱が食を変え、食文化が時代を動かした… (KAWADE夢新書)』(→amazon
日本博学倶楽部『雑学博物館―歴史・科学から民俗・食文化まで、意外な知識を充実展示 (PHP文庫)』(→amazon
うどん/Wikipedia

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