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【鷹狩の歴史】
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八代将軍吉宗、鷹狩を再開させる
将軍就任後、鷹狩を復活させようとした理屈はこうです。
「軟弱な心を戒め、戦乱の世を思い出すために、必要なスポーツなのだ!」
文治主義を貫いた綱吉とは違い、吉宗は武士らしさを取り戻すため、その一環として鷹狩の復活を目指したわけです。
とはいえ、長い間断絶しており、肝心の鷹すらいない状態。
復活には長い時間がかかりそうでした。
献上鷹だけでは不足すると考えた幕府は「御巣鷹山」に踏み込んで、鷹の生態観察を始めます。
と、ここで『ん?』と引っかかった方もおられるかもしれません。
実は「御巣鷹山」というのは、【鷹狩に使う鷹の巣があった山】のことで、日本には数多く存在するのです。
「御鷹の巣がある山」ということで、大名や幕府により基本的に立入禁止とされてました。
読売新聞さんに【江戸時代の御巣鷹山】という記事がありましたので、リード部分を引用させていただきますね。
江戸周辺5里(約20キロ・メートル)以内の地域一帯は、将軍家が鷹狩を行う御鷹場(おたかば)に指定されていた。
そして、鷹狩で使う鷹を確保するために、各地に御巣鷹山(おすたかやま)が設定された。
上野国甘楽郡の山中(さんちゅう)領(現多野郡上野村・神流町)には特に集中していて、36か所の御巣鷹山が設けられていた。
そのうち上山郷(上野村)には大半の27か所があり、中山郷・下山郷は、合わせて9か所であった。(読売新聞)
しかし復活への道のりが長い!
さて、吉宗が復活させようとした鷹狩。
まず肝要なのが鷹の確保です。
次に、鷹を管理飼育する役人も必要ですし、エサだって定期的に用意しなければなりません。
吉宗の頃から、餌は犬の肉から、雀や鳩に変わりました。
いかがでしょう。
思いたったらすぐに復活――といかないのが鷹狩。しかも、現在のように、鳥の飼育場もないような江戸時代です。
野鳥を捕獲する鳥業者はいましたが、せいぜい愛玩用のものしか扱わないわけでして、とにかく飼育環境を整えるのは大変でした。
苦心惨憺しながらも、いよいよ整ってきた鷹の飼育体制。
「鷹の確保も、訓練もできた。あとは鷹場(たかば)さえあればバッチリ!」
鷹場とは、文字通り鷹狩を行う場所のことです。
ここでまたもやブランクが災いします。
江戸の郊外に鷹場を整備しようにも、今度は住民たちが「鷹場がどんなものであったか」スッカリ忘れていたのです。
一からやり直すようにして、苦労の末に何とか整備し、やっと鷹狩が復活しました。
そんな調子だったせいか。吉宗は「鷹将軍」と呼ばれました。
これだけ苦労しながら復活させたのですから、そりゃあ周囲の人からすれば
「また鷹のことで頑張っている。公方様は鷹が好きだなぁ」
となって当然でしょう。
鷹狩に向かう将軍は、特別な服装をして、美々しい行列を従えて向かいます。
周辺は、立ち入り禁止となり、不審者は取り締まりの対象となりました。
いわばイベント感覚ですから、江戸っ子にとって将軍鷹狩というのは、参加せずとも身近なものとなっていたのでしょう。
フランス空軍でも用いられてる!?
江戸幕府のラスト将軍である徳川慶喜は、家継以来の鷹狩経験のない将軍となりました。
彼自身の好みというよりは、多忙であったからです。
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そして江戸幕府の終焉とともに、変革を迎えます。
武家の権威が終わったと同時に、各地の大名家に伝わっていた放鷹術と鷹匠やお役御免となったのです。
かつてのように江戸近郊で鷹狩をしようにも、用地も、獲物も見つかりません。権威とともに、その象徴であった鷹も消えてしまったわけです。
ただ、まったく消えてしまったわけではありません。
現代の鷹匠・ごまきち氏のマンガ『鷹の師匠、狩りのお時間です!』は非常に人気があり、同作品からご存知だった方もおられるかもしれません。
さらには科学技術の進歩が、鷹匠に新たな狩り場を提供する動きもあります。
フランス空軍は、不審なドローンを取り締まるため、鷹を導入したのです。
鷹と人間の、長いつきあい。
今後も形を変えて、続いていきそうですね。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
根崎光男『犬と鷹の江戸時代〈犬公方〉綱吉と〈鷹将軍〉吉宗 (歴史文化ライブラリー)』(→amazon)
国史大辞典