神話というのは、歴史を振り返る上で軽視できないところがあります。
内容が全て真実ではないにせよ、事実をマイルドに伝えている可能性があるからです。
本日は、ある意味ヒロイックな伝説にご注目。
仲哀天皇八年(200年)9月5日は、神功皇后(じんぐうこうごう)に「三韓征伐の神託が降った」といわれている日です。
このくらいの時代ですと、そもそも「天皇」が実在していたのか? という点もハッキリしておりませんので、まぁ伝説として捉えておくのが健全ですよね。
確実な記録を見たい気持ちはやまやまですが、ともかく今回は神功皇后を神話ベースで振り返ってみましょう。
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神功皇后時代の朝鮮半島
本題に入る前に、当時の日本と朝鮮半島の情勢をざっくり振り返っておきましょう。
前述の通り、日本はまだ「天皇」がいたかどうか不明な時代です。
それに従って中央政府が存在していたかどうかもアヤシイ、まさにザ・古代という感じでした。
一方、朝鮮半島はいくつかの小さい国に分かれていました。
三韓征伐の話の中では、もう少し後の時代の国の名前が出てきています。
・新羅
・高句麗
・百済
上記、三つの国ですね。
皇極天皇=斉明天皇や中大兄皇子の時代でちょくちょく出てきます。
※以下は皇極天皇=斉明天皇の関連記事となります
高齢の女帝が朝鮮半島へ!斉明天皇が鬼ノ城を建てたのは出兵のため?
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おそらく、古事記や日本書紀が書かれた時代の地名で表しているのでしょう。
また、皇極天皇が重祚して斉明天皇になった後、神功皇后と同様に自ら海を渡ろうとしたことがあるので、
「そもそも、斉明天皇の話が神功皇后の伝説の元ネタなんじゃね?」
という説もあります。
色々考慮しているとややこしいので、今回はスタンダードな書き方で統一しますね。
夫の仲哀天皇は外征拒否して変死する
事の始まりは、とある神様から仲哀天皇(14代)に神託が降ったことでした。
「海を渡った先にある国を攻め取れ」
仲哀天皇とは、神功皇后の旦那さんです。
このときは夫婦そろって九州の熊襲(くまそ・九州で独自の勢力を持っていた一族)討伐に来ていたところ。
しかし、仲哀天皇は「海の向こう? 陸なんて見えないんですが……神様は何をおっしゃりたいのだろう(´・ω・`)」(意訳)と神託を取り合わず、当初の予定通り熊襲討伐を始めてしまいます。
これに神様が激怒しました。
「じゃあ、お前の熊襲討伐は失敗させてやる! ……代わりにお前の子供は成功するようにしてやろう」(意訳)
そんなお告げが続けて降りるのです。
実際、熊襲討伐は失敗し、仲哀天皇もまた遠征先で亡くなるという悲劇が起きます。
神功皇后は大いに嘆き、「やはり神様のお告げ通りに行動しなくては」と考えました。
実はこのとき後の応神天皇(15代)を身ごもっていたので、神功皇后には「子供は成功する」というお告げが、より信憑性のあるものに感じられたのかもしれません。
まずは九州で熊襲討伐にアッサリ成功させ
仲哀天皇の葬儀を済ませた後、神功皇后は自ら政治と軍事を取り仕切ることを決めます。
まずは九州の神社でその旨を神様に報告し、夫の成しえなかった熊襲討伐を片付けてしまいました。
家臣たちが未亡人に同情して「お支えせねば!」と考えたのか。
神功皇后の指揮能力が卓越していたのか。
あるいは、これこそ神のご加護なのかはわかりませんが、何にせよスゴイ話です。
さらに熊襲討伐が終わった後、大阪の住吉大社からもやはり「海を渡って新羅を討つべし」との神託が降りました。
神功皇后はより信心を深くし、いよいよ自ら兵を率いて海を渡る準備を始めます。
お腹はどんどん大きくなるばかり。
周囲の侍女や武官たちも心配したことでしょう。
かといって「お告げ通りにしなければ、今度は私やこの子、ひいてはこの国にも良くないことが起こるかもしれない」と思っていたであろう神功皇后は、ちょっとやそっとでは諦めません。
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