こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【神功皇后】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
新羅も高句麗も百済も 戦わずして降伏!?
そこで考えたのが「お腹を冷やせば出産を遅らせられるに違いない!」というものでした。ぶっ飛びすぎ。
止める間もなく、神功皇后はお腹まわりにいくつかの石をくくりつけ、その上に武装して船に乗り込みます。
こうなると出産が早まろうが遅れようが、臣下がついていかないわけにはいきません。
いろんな意味で決死の覚悟を固めた朝廷軍は、日本海を越えて朝鮮半島に降り立ちます(それがTOP画像にある月岡芳年の絵となります)。
すると、何ということでしょう。
新羅は、神功皇后を見るなり戦わずして降伏し、百済や高句麗も戦うことさえしなかったといいます。
気合を入れていたであろう武官たちは拍子抜けしたかもしれません。
しかし、互いに被害が出ないのならよし、ということで「征伐」はあっさり終わったのでした。
いかにもご都合主義なオチのような気がしますが、まぁ、そこは神話に近い時代のことですしね。
帰国して出産「宇美」の地名は「産み」から
そんなわけで戦闘が長引くどころか始まりもしなかったので、神功皇后はすぐ日本に戻り、お産をすることが出来ました。
現在の福岡市宇美町にある宇美八幡宮でのことだったといわれています。
「宇美」という地名も「産み」からきたのだとか。
同地には神功皇后がお産のときにすがりついたといわれる木や、応神天皇の産湯に使ったといわれる井戸なども残っています。
また、神功皇后自身が安産だったので、安産の神としても有名であり、妊婦さんのお参りが絶えないそうです。
「妊娠中に突然夫の会社を引き継ぐことになりながらも、見事危機を乗り越えて出産・育児もこなした」
そう考えれば、働くママさんのはしりともいえそうですね。
身重の体で隣国の議会を説得したマリア・テレジアといい、やはり「母は強し」ということでしょうか。
16人もの子を産んだ女帝マリア・テレジア 40年間に及ぶ女王生活の功績スゴイ!
続きを見る
にしても
【東の神功皇后】
【西のマリア・テレジア】
って、
【東の本多忠勝】
【西の立花宗茂】
と同等に迫力あって、一歩も引かない雰囲気ですよね。
あわせて読みたい関連記事
高齢の女帝が朝鮮半島へ!斉明天皇が鬼ノ城を建てたのは出兵のため?
続きを見る
16人もの子を産んだ女帝マリア・テレジア 40年間に及ぶ女王生活の功績スゴイ!
続きを見る
本多忠勝5つの最強武将エピソード!家康を天下人にした生涯63年とは
続きを見る
西の戦国最強と称された立花宗茂~浪人から大名へ復活した76年の生涯
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
三韓征伐/wikipedia
神功皇后/wikipedia