神功皇后

日本史略図会 第十五代神功皇后(月岡芳年)/wikipediaより引用

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神功皇后は日本史最強の女傑と言えるか~出産直前に半島出兵の伝説とは?

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新羅も高句麗も百済も 戦わずして降伏!?

そこで考えたのが「お腹を冷やせば出産を遅らせられるに違いない!」というものでした。ぶっ飛びすぎ。

止める間もなく、神功皇后はお腹まわりにいくつかの石をくくりつけ、その上に武装して船に乗り込みます。

こうなると出産が早まろうが遅れようが、臣下がついていかないわけにはいきません。

いろんな意味で決死の覚悟を固めた朝廷軍は、日本海を越えて朝鮮半島に降り立ちます(それがTOP画像にある月岡芳年の絵となります)。

すると、何ということでしょう。

新羅は、神功皇后を見るなり戦わずして降伏し、百済や高句麗も戦うことさえしなかったといいます。

気合を入れていたであろう武官たちは拍子抜けしたかもしれません。

しかし、互いに被害が出ないのならよし、ということで「征伐」はあっさり終わったのでした。

いかにもご都合主義なオチのような気がしますが、まぁ、そこは神話に近い時代のことですしね。

 

帰国して出産「宇美」の地名は「産み」から

そんなわけで戦闘が長引くどころか始まりもしなかったので、神功皇后はすぐ日本に戻り、お産をすることが出来ました。

現在の福岡市宇美うみ町にある宇美八幡宮でのことだったといわれています。

「宇美」という地名も「産み」からきたのだとか。

同地には神功皇后がお産のときにすがりついたといわれる木や、応神天皇の産湯に使ったといわれる井戸なども残っています。

明治時代には一円札の肖像にも使われました/photo by PHGCOM wikipediaより引用

また、神功皇后自身が安産だったので、安産の神としても有名であり、妊婦さんのお参りが絶えないそうです。

「妊娠中に突然夫の会社を引き継ぐことになりながらも、見事危機を乗り越えて出産・育児もこなした」

そう考えれば、働くママさんのはしりともいえそうですね。

身重の体で隣国の議会を説得したマリア・テレジアといい、やはり「母は強し」ということでしょうか。

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にしても

【東の神功皇后】
【西のマリア・テレジア】

って、

【東の本多忠勝】
【西の立花宗茂】

と同等に迫力あって、一歩も引かない雰囲気ですよね。

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【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon
三韓征伐/wikipedia
神功皇后/wikipedia

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