『「蝶々夫人」と日露戦争』萩谷由喜子(→amazon link

女性 明治・大正・昭和時代

日本人女性を描いた傑作オペラ『蝶々夫人』これのどこがエエ話?

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日本人女性を描いた傑作オペラとして名高い『蝶々夫人』をご存知ですか?

※プッチーニ 《蝶々夫人》 「ある晴れた日に」三浦環

女子フィギュア界で長いこと最前線にいた浅田真央選手が好んだ曲として聞いたことがある方は少なくないでしょう。

※浅田真央選手の『蝶々夫人』

あるいは宮原知子選手も同曲で華麗な舞を演じられておりました。

※宮原知子選手の『蝶々夫人』

もはや日本人女子選手の定番演目とすら思えてきますが、ここでちょっと立ち止まりたい。

この蝶々夫人って、本当にいい話なのでしょうか?
皆さんおそらく中身までは把握されてないと思われますので、あらすじをざっと書き出してみますね。

【あらすじ】

舞台は1890年代(明治20年代)の日本。
父が没落した武家の娘・蝶々さん(15)は、アメリカの海軍士官ピンカートンと結婚します。

新婚、しかも身重の蝶々さんを残し、ピンカートンは帰国。
三年後、三歳の子と共に蝶々さんは夫の帰りを待っておりました。

彼女は知らなかったのです。ピンカートンはアメリカに正妻がいたことを……。

やっとピンカートンの軍艦が来ると知った蝶々さんは、喜んで夫を出迎えます。
しかし、そこにいたのは、正妻のケイト。

ショックを受けた蝶々さんは、父の形見の短刀で自害を選ぶのでした。

いやいや、いやいや。これ、いい話ちゃうやろ。
正妻いるのを伏せて15歳と結婚して子供を産ませるとか、ピンカートンはガチクズでしかない。

確かにオペラなんてそんなものかもしれません。
『ドン・ジョバンニ』の元ネタだってしょうもありませんし、歌舞伎だって「クズが遊ぶ金欲しさに親戚を殺した」だけの話(『女殺油地獄』)とかありますしね。

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しかし、何もここでピンカートンやプッチーニを罵倒したいわけではありません。

なぜこんなお話が作られたのか?
それを掘り下げてみたいと思います。

 

幕末から明治、それは国際ロマンスが目覚めた時代

黒船来航を機に、日本の地を踏みしめた外国人たち。
お歯黒や眉を剃った女性の姿にさぞやビックリしたと思いきゃ、実はそうでもなかったようです。

「切れ長の目、黒い髪、クールビューティだ!」

日本人女性の東洋的な美貌にぞっこんになり、ペンダントをちぎって渡したり、写真を撮ったり、そんな外国人男性が数多くおりました。

例えば、日本が好きでたまらなかった青年ヒュースケンには、複数の日本人妻がいたようです。

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「えっ、唐人お吉みたいな例もあるよね?」

その通りです。
彼女の場合は運が悪かった。
お相手と誤解されたハリスは敬虔なプロテスタントであり、生涯純潔を誓った人物でした。世間で噂されるような関係では一切なかったにも関わらず、悲痛な最期を迎えます。

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むろんそこまでお堅くない外国人は、お座敷で芸者にデレデレと鼻の下を伸ばしたり、恋人をちゃっかり作ったりしておりました。

相手となった女性たちも、お吉ほどメンタルが繊細でなく、楽しいアバンチュールと割り切って、それなりに楽しんでいたようです。
ヒュースケンの日本人妻はにこやかにポーズをとって写真におさまっており、屈託はまるでありません。

明治時代に来日したフランス海軍士官ピエール・ロティは、日本人女性とのロマンスを『お菊さん』という小説にしました。
そこで彼は、ギャラを払った彼女が本物かどうか確認する場面を見て、
「なんかガッカリだなあ」
と失望しております。

いや、あんたこそ斡旋業者を使って彼女と知り合っておいて、何を期待しているのでしょう。

『お菊さん』を著したピエール・ロティ/wikipediaより引用

それでも当時の外国人男性からすると、
「異国で可愛い日本人女性とつきあうとか、最高かよ」
と、あこがれの眼差しで見られていたようです。

当時、ヨーロッパでは川上貞奴が大人気で、ジャパニーズビューティへの憧れがありました。

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そんなわけで、外国人男性はうっとりとしながら東洋美人とのロマンスを夢見ていたわけですが、まだそこに、「蝶々夫人」のような弱々しさはありません。

一方で、外国人との結婚に嫌悪感を抱く女性もおりました。
フランス系アメリカ人のチャールズ・ウィリアム・ジョセフ・エミール・ルジャンドルに嫁いだ池田いとが、その典型例です。

チャールズ・ルジャンドル/wikipediaより引用

絲の父は、あの松平春嶽です。
母は松平家の腰元であり、娘を産んだあと自害しておりました。

絲は家臣の池田家に預けられ、維新後の困窮で彼女を芸者とするほかありませんでした。
維新後の春嶽は世捨て人のような暮らしを送っており、娘のことに構っていられなかったのでしょう。

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芸者として落ちぶれたものの、著名な大名の落胤となれば、使い道があります。

ルジャンドルは、南北戦争で活躍した英雄。
何としても、日本に引き留めたい。それにはどうすべきか?

こういうときは、女の黒髪で引き留めろ、という発想が出てくるわけですな。
高貴なお姫様を妻にすれば、日本に留まるだろうと……。ちなみにルジャンドルは、母国にクララという正妻と子がおりました。

大隈重信伊藤博文といった大物から説得され、16歳の絲は泣く泣く、43歳、親子ほど歳の離れたルジャンドルに嫁ぐこととなったのです。

このような状況で結婚した夫婦は、心がなかなか通いません。
しかもルジャンドルは、こうつぶやいてしまったのです。

「この国で西洋人の血を引いた子は、きっと苦労するだろう。女の子ならまだしも、男の子だったら大変だろう」

絲は男児を出産し、そのまますぐに養子に出してしまいました。

この男児はのちに、父親譲りのしなやかなスタイルと、母親譲りの上品な顔立ちを持つ歌舞伎役者・十五代目市村羽左衛門となりました。
その出生の秘密は長いこと伏せられていたと伝わります。

十五代目市村羽左衛門/wikipediaより引用

ルジャンドル夫妻の間に生まれた女子・愛子の娘は、声楽家として活躍した関屋敏子です。

関屋敏子/wikipediaより引用

自害こそしませんでしたが、メンタル的にはこの池田絲は、蝶々夫人に近いものがあるかもしれません。
ただ、この性格だと夫とラブラブとはならないでしょうね。

 

「蝶々夫人」は誰でしょう?

さて、そんな蝶々夫人のモデル探しはなかなか難しいものです。

・海軍士官の妻
・自害した
・幸薄い少女

そんな条件を絞るとかえってみつかりにくくなるのです。
それもそうでしょう、そういう人は実在しなかった可能性があります。

ただ、モチーフの「蝶々」で探すと、モデルが見つかります。
グラバー夫人のツルです。

蝶々夫人のモデルの一人とされるグラバーの妻・ツル/wikipediaより引用

ツルは夫との結婚後も生涯和服で過ごし、家紋とは異なるしゃれたモンシロチョウの紋を身につけていたことで知られます。

グラバー(右)と岩崎弥之助/wikipediaより引用

『蝶々夫人』の原作は、ジョン・ルーサー・ロングの『マダム・バタフライ』。
ロングの姉は宣教師の妻として来日しており、そこから発想を得たと思われます。

ジョン・ルーサー・ロング/wikipediaより引用

実はこの原作で、蝶々夫人は自殺していません。
確かに原作でも姿は消すのですが、生存の可能性が強く示されています。

20年後を舞台とした続編もあります。
18歳で勝手に殺したのは、戯曲化したデーヴィッド・ベラスコの発案。
ゆえに18歳で自害する現地妻というのは、彼の妄想の産物とみるほうが妥当かと思われます。

デーヴィッド・ベラスコ、あんたのせいか!/wikipediaより引用

1900年、『蝶々夫人』舞台版のニューヨーク公演とロンドン公演は、連日満員御礼の大ヒット。
その観客に、一人のイタリア人がおりました。

自作『トスカ』のロンドン公演を見に来たプッチーニです。

「これこそ、我が自作のよい題材になる」
ピンと来たプッチーニは、楽屋でベラスコに是非ともオペラにさせてくださいと頼みこんだのです。

 

初演はリンチ状態だった『蝶々夫人』

プッチーニは、ありとあらゆる神話や演劇を貪欲に吸収する作家でした。

ジャコモ・プッチーニ/wikipediaより引用

これまたフィギュアスケートの定番『トゥーランドット』は中国を題材にしておりますね。

※荒川静香選手、トリノ五輪での『トゥーランドット』

※宇野昌磨選手、平昌五輪での『トゥーランドット』

※紫禁城での『トゥーランドット』

プッチーニはこのとき、
『コレはデカイ当たりが来る!』
と、手応えを感じていたことでしょう。

当時は川上貞奴の妖艶な美貌がヨーロッパ中を虜にしておりました。
オペレッタ『ミカド』も大ヒット。

 

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日本風というだけで、興味関心を惹きつけヒットするーーそんな時代だったのです。

といっても、これを単純に「日本スゴイ!」と言うことはできません。
『ミカド』はハチャメチャな内容で、現在、上演されると「差別的」とブーイングされるコンテンツですし、女性の見方にしたって一方的で妄想まじり、実態からは乖離したものであったことは否めません。

プッチーニは、駐在イタリア公使・大山綱介の妻・久子(野村素介の娘)の助言を得て、日本音楽に関する資料を取り寄せました。

異国情緒をたっぷりちりばめて、悲恋のストーリーを組み立てて、こりゃヒット間違いなし!
自動車事故で重傷を負う等苦労はありましたが、1904年、ついにオペラ『蝶々夫人』はついにイタリア公演にこぎつけます。

初演は散々な評判でした。
終演後までブーイングと口笛の嵐に見舞われ、プッチーニはこう漏らします。

「まるでリンチされているみたいだ」

さしもの東洋ブームも、イタリアにはまだ及んでいなかったとか?
プッチーニは改稿を重ね続け、やっと好評を得ることに成功しました。

1906年のパリ公演のために用意された第6版が、現在に至るまで定番とされております。

 

『蝶々夫人』の呪いを吹っ飛ばせ

このようにたどってきますと、『蝶々夫人』というのは当時蔓延していた妄想の塊であり、21世紀現在から見ますと「それはどうなんや」と突っ込みどころが満載の作品ではあります。

ただ、名作であることは確かです。
1970年代のベトナム戦争に舞台を置き換え、米兵と現地女性のロマンスに翻案した『ミス・サイゴン』。

 

『蝶々夫人』以来の東洋人感に酔いしれた西洋人が、思わぬしっぺ返しをくらう、『Mバタフライ』という作品もあります。

『蝶々夫人』の描いた「従順で性的に魅力的なアジア系女性」という像は、21世紀現在では「人種ステレオタイプ」として批判の対象となります(所謂「イエローフェイス」)。

ガキ使「ブラックフェイス」問題は歴史アプローチでコトの本質が見えてくる

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そしてこのアジア女性にかけられた呪いは、21世紀現在においても効力を持っています。

◆#MeToo は誰でも言えるわけじゃない。アジア系女性たちの悩み

「アジア系米国人やアジアの女性には、小さくて内気でソフトだという固定観念があります。そのため、男性たちは過度に女性として意識し、性差別的な言葉をかけやすいと感じるのです。そして、私たちはそれを受け流すべきことだととらえるようになりました」とタンチャローエンは話す。

「私は今日、アジア系女性のために行進します。アジア系女性は無視され、決めつけられ、フェティシズムの対象にされ、かわいい女の子はこうあってほしいという欲望を満たすよう期待されてきました」とウーは宣言し、聴衆から拍手喝采を受けた。

小さくて、内気で、ソフト。
決めつけられ、フェティシズムの対象にされ、かわいい女の子はこうあってほしいという欲望を満たすよう期待されてきた。

これぞまさに『蝶々夫人』です。

繰り返しますが、『蝶々夫人』は実在した日本人、あるいはアジア人女性からはほど遠い存在です。

蝶々の紋章を好んだグラバー夫人ツルは、たくましく長く生き延びました。
ルジャンドル夫人は武家の娘として気丈に堪えましたが、自殺はしていません。
ロティの愛人は、金勘定をして愛人になるほど、したたかな女性でした。

西洋人男性が「こういうかわいい愛人いたら最高だよね」と妄想しながら作り上げた像、それが蝶々夫人であり、「ハイクを詠むニンジャスレイヤー」と同じくらい、事実からほど遠いものです。
そんな像に未だに縛られ、これぞ日本人女性の理想像と言われたところで、だから何だ、現実を見ろ、知らねーし、という反応でよいのではないでしょうか。

アジア人女性も、映画作品等ではソフトでかわいらしい印象から抜けだし、強い像となりつつあります。

いくら名作だろうと『蝶々夫人』は時代遅れ。
次の日本人女性、アジア人女性の像が求められるところです。

『デッドプール2』に登場した日本人ミュータント・ユキオ。
めちゃんこ強いので続編に期待しよう!!

文:小檜山青

【参考文献】
『「蝶々夫人」と日露戦争』萩谷由喜子(→amazon link

 



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