2018年の初夏――和歌山で起きた不動産王の不審死事件について2021年4月28日、その元妻が殺害容疑で逮捕されたという報道が出ました。
印象的なのが、ワイドショーだけでなく天下のNHKですら、被害者のことをこう呼んでいることでしょう。
【紀州のドン・ファン】
若干のユーモラスも含んだかのように思える、この音の響き。
スペイン辺りで名を馳せたプレイボーイのことなんだろうか?
あるいは「歴史上の人物であろうか?」なんて曖昧にボンヤ~リ考える方が大半かと思われます。
結論から申します。
ドン・ファンとは、実在の確認は取れない――いわば伝説の人物です。
意外と短いその原典
ドン・ファンとは何者か?
まずはwikipediaを見てみますと、
17世紀のスペインにおける伝説上の放蕩児のことで、プレイボーイの代名詞として使われる。
と記されております。
【放蕩児とプレイボーイ】という組み合わせは確かに、女性にお金を使いまくったとする不動産王の話と一致しますね。
しかし、これだけじゃよくわかりません。
次に原典の『セビーリャ年代記』を当たってみました。
少々長めに引用させていただきます。
『セビーリャ年代記』曰く。
スペインの名家の息子ドン・ファン・テノーリオは、貴族であるウジョエの娘を掠奪、その過程でウジョエを殺害してしまいます。
その遺体が埋葬された寺院のフランシスコ会の僧たちは怒り、ドン・ファンを殺害。ことの真相を隠し、ウジョエの墓の上に建てられた石像が、ドン・ファンの上に倒れ、彼はその下敷きになって死んだという噂を流しました。
「ドン・ファンはその好色ゆえ、天罰がくだって死んだのだ!」
そんな伝説となったのです。
訳などによってディテールの異なることがありますが、以下の点で共通します。
◆ドン・ファンは父親を殺し、貴族の娘を掠奪する
◆ドン・ファンは父親の石像に潰されて死ぬ
しかし、紀州のドン・ファンと比べてしまうと、ちょっとした疑問が残ります。
『どこがプレイボーイなんだ?』
ドン・ファンが色情のせいで破滅した男であることは確かです。
が、この短い話ではモテていません。
モテていれば、父親を殺して娘を掠奪する必要もないでしょう。勝手に女性から寄ってくるはずです。
関係のある女性も一人しか登場しておらず、むしろ存在感があるのは石像となった父親のほう。
では、なぜドン・ファン伝説は広がっていったのでしょうか?
フィクションで膨れ上がったプレイボーイ伝説
原典は案外あっさりとしていて、しかも教訓めいていました。
「色に迷って悪事を犯せば、報いがあるんだぞ!」
まぁ、そりゃそうですわな。
ところが、です。
石像が男を殺す――そんな設定が舞台で思いのほかウケたのでしょうか。
当時の劇作家たちが、これをおもしろおかしく脚色して、人物像の飛躍が始まるのです。
ドン・ファン伝説、スタート!
まずスペインの劇作家ティルソ・デ・モリーナが、『セビーリャの色事師と石の招客(まろうど)』(1630年)という劇を発表。
これが大ヒットし、続いてイタリアでも公演されました(1659年)。
フランスでは、モリエールによる喜劇『ドン・ジュアン、あるいは石像の宴』(1665年)が作られ、更にはモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』(1787年)という感じで、錚々たる劇が作られてゆきます。
ちなみに、昔は、作品を「パクっただろ!」なんて概念はありません。
シェイクスピアのような大物であろうと、伝説が面白い、他人の作品がいいとなれば、割とそのまんま流用していました。
こうしてドン・ファン伝説はヨーロッパで徐々に拡大。
その過程で、石像に潰された男も、天下無双のプレイボーイとして脚色されるのでした。
時代がくだっても、ドン・ファン伝説は色褪せるどころか、ますます人々の心を惹きつけてゆきます。
以下に列挙するのは、ドン・ファンを扱った作品やクリエイターたちの名前です。
◆ソリーリャの『ドン・ファン・テノーリオ』(1844年)
◆小説家モンテルランの『ドン・ジュアン』(1958年)
◆プーシキン
◆ボードレール
◆哲学者キルケゴール
◆小説家のアレキサンドル・デュマ
◆プロスペル・メリメ
◆音楽家のリヒャルト・シュトラウス
上記のように多くの芸術家たちがドン・ファン伝説を題材にして創作活動に勤しみました。
バイロンの『ドン・ジュアン』
19世紀以降、ロマン主義が台頭すると、作家たちは熱狂的にその伝説を脚色するようになりました。
そんな中でも、異彩を放ち、かつ高い評価を受けている作品があります。
1819年、イギリスの伝説的な放蕩詩人ジョージ・ゴードン・バイロンが発表した『ドン・ジュアン』です。
バイロンは美貌の貴族として知られ、プレイボーイとして名高い人物でした。
ヴィクトリア女王の治世はガチガチのお堅い英国紳士像が定着します。
が、当時のイングランドは、気まぐれな摂政皇太子の時代(リージェンシー)であり、どちらかというと奔放。
時代の寵児であるバイロンにとって、伝説のプレイボーイは自身の鬱屈した人生を謳うものとしてぴったりであったのです。
英国温泉街バースはセレブと恋の世界遺産~小説家オースティンにも影響を
続きを見る
時代背景のみならず、バイロンにはドン・ファン伝説を取り上げる動機もありました。
彼はその奔放な愛ゆえに、イギリス社会から逃れざるを得なかったのです。
ドン・ファン伝説に立脚しているとはいえ、この作品は作者の人生や思想が色濃く反映されています。
少しその過去を見てみましょう。
バイロンは、1815年に貴族のアナベラ・ミルバンクと結婚。
同年末には娘が生まれています。
バイロンとアナベラの娘であるエイダ・ラブレイスは
「歴史上初のプログラマー」
「コンピューターアルゴリズムの発明者」
ともされる、聡明な女性に成長します。
『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーの親友でもあります。
Can you name any women inventors? We asked girls who love science this question. #IWD2016 #MakeWhatsNexthttps://t.co/M0EMX00OXx
— Microsoft (@Microsoft) March 7, 2016
(マイクロソフトのTwitter「女性の発明者の名前を言えますか?1:00にエイダの名前が出てきます」)
そんなエイダを授かった結婚は長続きしません。
いくらヴィクトリア朝より奔放な時代とはいえ、バイロンの奔放な愛の遍歴は、当時の規範からすら逸脱していたのです。
ただのプレイボーイならば、周囲も大目に見たかもしれません。
しかし、バイロンが心の底から愛していた相手は、異母姉のオーガスタ・リー。
その恋は、決して許されるものではありませんでした。
それは哀愁あふれる物語になっていた
失意のうちに、バイロンは英国を出て、ヨーロッパ大陸を彷徨う旅へと出かけます。
そんな彼の、自らの人生を重ねた16編からなる未完の長編叙事詩。
それが『ドン・ジュアン』です。
1819年に第1、2編の刊行後、次々と続編を発表。
最後の第15、16編は、死の1か月前(1824年)に出版されました。
そこで描かれる青年の姿は、もはや石像に潰される殺人者ではなく、憂いを帯びた放蕩者でした。
セビーリャの一青年ドン・ジュアン。
彼は、16歳で人妻との許されぬ恋に落ちます。世間の目は冷たく、彼は国外に逃れました。
暴風のきまぐれで、彼はギリシャの島に漂着します。そこで海賊の娘と恋に落ち、そのために奴隷となってしまいました。
コンスタンティノープルに売られた彼は、脱走して脱走してドナウのロシア軍陣営にたどり着きます。
そこで武勲をたて、エカテリーナ2世の寵愛を受けることに――。
ロシアの使者としてイギリスに渡った彼は、イギリスの文物、文化、社会の偽善を痛烈に批判します。
ここで、この物語は終わりを迎えるのです。
このバイロンの作品に、石像は出てきません。
自分を拒んだイギリス社会への冷たい怒りと、大陸を漂泊せざるを得なかった人生がこめられています。
バイロンは『ドン・ジュアン』を発表しながら、ギリシャ独立戦争に身を投じます。
そして熱病にかかり、1824年にその短い人生を終えました。
享年36という儚さ。
恋に狂い、石像の下で圧死したドン・ファンは、バイロンの哀しい人生と文才によって、別の色彩を帯びることになったのでした。
ドン・ファンイズムの正体は何か?
なぜ、これほどまでドン・ファンは文学芸術のテーマになりえたのでしょうか。
当初、この短いオカルティックな話は「色に迷って悪事を犯せば、報いがあるんだぞ!」という教訓であったはずです。
初期作品は石像に潰される主人公を描く、ホラーめいた部分があったことでしょう。
それが、だんだんと一人の愛に縛られないロマンチックで自由な男性像に結びつき、どんどんと美化されていきました。
当初の意図とは正反対なのです。
なぜ、ドン・ファンは特定の女性を愛し続けられないのでしょうか?
彼のふるまいは、ヨーロッパの伝統である「貴婦人に愛を捧げる騎士道的恋愛」とは真逆でした。
刹那的、そして破滅的な愛にとらわれる彼の心には、鬱屈、不幸、悲恋、責め苦といった束縛があるのではないか?
あるいは、その逆で縛られない自由な心、道徳への不敵な反逆心があるのではないか?
作家の想像力や読者観客のロマンを刺激し、ドン・ファン像は作り上げられてきました。
短い石像伝説から、なぜここまで様々な芸術が生まれ、今も生み出されているのか?
その謎は解明されたとは言えません。
精神分析学においても、ドン・ファン的な像はなぜ求められるか、現在に至るまで議論が続いています。
それを考えると「紀州の……」というのは、なんだか腑に落ちないものもありますね。
◆1948年『ドン・ファンの冒険』
◆1994年『ドン・ファン』
◆2013年『ドン・ジョン』
文:小檜山青
【参考文献】
『世界大百科事典』(→amazon)