1952年(昭和二十七年)4月28日は、GHQが撤退し、日本が主権を回復した日です。
と言ってもお堅い話は教科書に任せ、別の角度から見ていきたいと思います。
題して『GHQがヘタこいた三つの改革』とは?
日本占領と同時に、彼らは様々な改革に取り組んだワケですが、全てが成功したわけではありません。
その中から三つ取り上げてみましょう。
植民地化を断念したら、予想を超えて経済成長しすぎ
一つは、日本経済の縮小について。
当初GHQは、日本経済を「アメリカの支配下に置ける規模」というレベルに保とうとしていました。
具体的には、当時のアジアレベルです。乱暴に言えば「経済的には植民地化しようとしていた」わけですね。
しかし、その後の冷戦の激化、さらに朝鮮戦争等の勃発によってアメリカは
「日本にもっと儲けさせて、自分のことは自分でやってもらったほうがウチらの手間が減るわ。あ、基地はそのままな」(超訳)
と考えを変えます。
この動きは、為替レートからもうかがうことができます。
終戦後しばらくは1ドル=360円の固定相場制でしたが、1970年代始めには308円になり、その数年後に変動相場制(諸々の状況によって為替レートが変わること)へと変わっていきました。
円高・円安の概念はこんがらがるので苦手な方も多いと思いますけれども、
「円高=少ない円で他の通貨をより多く交換できる」
「円安=他の通貨と交換するのに円がたくさん要る」
といった理解で良いかと。
ものすごく単純に言うと、米ドルにたいして円高が進むということは、日本の経済力がアメリカに対して強くなっていくこととほぼ同義になります。
現代は1ドル=100~110円ぐらいの価格帯が多いですよね。
つまり戦後と比べれば1/3であり、単純に考えて日本の経済力が3倍以上になったということになります。
1960~1970年代に、貿易摩擦などによってジャパンバッシングが起きるのも無理ありませんね。当時のアメリカ人からすれば、「あいつら俺たちのお情けで復興したくせに、何であんなに儲けてやがるんだ!」と思うでしょう。
現在では、円高が進むと輸出製品が売れにくくなることから、株価が下がったりすることもあるんですけどね。
まぁ、その辺は歴史を飛び越えてしまっておりますので各自お調べいただければと存じます。
「おまえら、読み書きできないんでしょ?」「はぁ?」
二つめは、日本の公用語についてです。
GHQの教育関係担当だったジョン・ペルゼルという人物が、「日本人は未開の人種だから文字を読めないに違いない」と思い込んで、日本語のローマ字化や、公用語を英語にしようと言い張っていたことがありました。
日本側はブチ切れてしかるべき言い草ですが、日本政府は粛々と国民に漢字の読み書きテストを行い、識字率の高さを示しています。
明治維新後、義務教育を数十年行った段階で、識字率の低いはずがありません。
そもそも江戸時代から教育が盛んだった影響で、明治時代、日本へやって来た各国の人々がの識字率の高さに驚いたという記録も多々残っておりますしね。
本当に「未開の人種」だったら、戦争にも発展してないわけで……。
ペルゼルは「日本は漢字なんかを使っているから先進国になれないんだよwww」と主張したかったようですが、当然のことながらローマ字化も公用語の変更も失敗しました。
担当者がこれではマッカーサーも困ったでしょう。というか中国も怒っていい案件。
最後は、今なお丸の内に残るあの“首塚”です……。
※続きは【次のページへ】をclick!