あらすじをザックリまとめるとこうなります。
1560年、スペイン・マドリード。
太子ドン・カルロは、フランスの王女・エリザベッタと出会い、愛し合いました。
しかし、政略結婚のためエリザベッタは、ドン・カルロの父であるフィリッポ2世の王妃にさせられてしまいます。
運命に引き裂かれる二人の恋は――。
モデルはフェリペ2世の太子であったカルロス王子とされているのですが、史実を調べてみると、フランス王女との物語はオペラほどにロマンチックではなかったようで……。
一体、カルロ王子とはどんな人物だったのでしょうか?
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厩舎の馬を20頭潰し、小動物を串刺しにして焼き遊ぶ
名門スペイン王室――どうやらこの王家には、狂気の血統が流れ込んだようです。
夫を愛するあまり悲惨な一生を送った狂女フアナがその一例。
フアナの祖母にあたるポルトガル王女・イザベルがその由来とされています。
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さらにスペイン王室は近親結婚を繰り返します。
結果、だんだんと異常な王が誕生するようになったのでした。
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ドン・カルロス・デ・アウストリア(1545-1568)は、スペイン王フェリペ二世の長男として誕生。母のマリア・マヌエラは出産から、わずか四日後に命を落とします。
生まれた時からこの王子は常軌を逸してました。
乳房を強く噛み過ぎて、三人の乳母が重傷を負うほど。彼の背中は曲がり、両足の長さは異なるという姿です。精神の遅滞も見られ、五歳まで話すことができませんでした。
成長するにしたがって、カルロスはサディズムに目覚めます。
・召使いや使用人に暴力をふるう
・厩舎の馬を虐待し二十頭も駄目にしてしまう
・小動物を串刺しにして、炙り焼きにするのを楽しむ
現代ならばサイコ事件としてワイドショーをお騒がせするレベルではないでしょうか。
こうした我が子の奇行に対し、父のフェリペ二世は頭を痛めていました。
彼にとって唯一の男児がこの問題児だからです。
1562年、ドン・カルロスは、勉学に興味を持って欲しいという父の願いにより、大学へ進学。
そんなある日、大学の階段から転がりおちて頭部を強打してしまいます。
酷い怪我を負い、重体となったドン・カルロス。懸命の治療で何とか危機を脱したかに見え……回復するにはしました。
しかし、負傷により一層深刻な狂気に陥っていたのです。
「あの男……父上を殺してやりたい」
よりひどくなった狂気とはいかなるものだったか?
例を挙げますと……。
・使用人を殴り飛ばし窓の外から突き落とそうとする
・貴族に武器をつきつける
・作らせた靴が気に入らないと怒り、靴職人にその靴を食べさせようとする
これだけでもキツい行状ですが、彼は更に限度を超えます。
1567年12月、カルロスは聴罪師にこう告げたのです。
「あの男……父上を殺してやりたい」
聴罪師には守秘義務がありますが、さすがに黙っていられるわけもありません。
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