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【カルロス王子『ドン・カルロ』のモデル】
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巨大なケーキを食べ、急死
かくして我が子による父王への反逆が発覚すると、父のフェリペ二世はオランダから急遽帰国します。
そして年が明けた1月、カルロスの部屋に三人に男がやってきたのでした。
フェリペ二世、王の側近、聴罪師。
あわてて許しを請うドン・カルロスですが、時既に遅し。
カルロスは狭い塔に幽閉され、わずかな光しか射さない塔の中、狂気をさらに深めてゆき、結果、ドン・カルロスは1568年、父への反逆罪で死刑判決を受けることになります。
このときフェリペ二世は処刑するつもりはありませんでした。塔の中ですぐに亡くなるだろう、と考えていたようです。
そしてその年のうちに、カルロスは巨大なケーキを食べたあと急死してしまいます。
享年23。
死因は「過食」と発表されました。
巷では「フェリペ二世による暗殺ではないか」という噂が流れたのでした。
父に婚約者をとられ恨みに思っていた!?
話は少し遡り……。
奇行だらけの息子に希望を見いだせなくなったフェリペ二世は、我が子に王位を継がせることは諦めておりました。
それでも年頃のカルロスには、各国の王女たちからの縁談が持ち上がります。
その中にカルロスの14歳年上であるエリザベス一世(父・フェリペ二世の義妹)がおりました。
このフランス王女エリザベート・ド・ヴァロワと、カルロスは婚約。しかし、この縁談は実りません。
1560年、あろうことかカルロスの父・フェリペ二世がエリザベートと結婚したのです。
父を殺したい――。
カルロスが父・フェリペ二世をさほどに憎んだ背景には、こうした事情があったのかもしれません。
かくして2人の間に悲恋があった、という設定のもと、戯曲『スペインの太子 ドン・カルロス』とオペラ『ドン・カルロ』が作られたのでした。
確かにカルロスは不幸でした。
関わった多くの者達をも不幸にしておりましたが、ともかくフィクションの中では美化され、後に悲運の王子として記憶されることになったのです。
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文・小檜山青
【参考文献】
『ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史』(→amazon)