英葡永久同盟

ジョアン1世とフィリッパの婚礼/wikipediaより引用

イギリス スペイン

600年以上も続くイギリスとポルトガルの「英葡永久同盟」って一体なんなんだ?

1373年6月13日は英葡永久同盟が締結された日です。

英はイギリス(当時はイングランド)、葡はポルトガル(葡萄牙)のことで、「英葡」はまんま「えいぽ」と読み、全体で「えいぽえいきゅうどうめい」となりますね。

つまりはイギリスとポルトガルで結ばれた同盟というわけですが、実は色々と特筆すべき点があります。

まず最大の特徴は、この同盟が2025年現在も有効だということです。

なぜ600年以上も前の同盟が未だに有効なのか――ハッタリとケンカだらけの国際社会で、なぜこんな奇跡が続いているのか。

不思議でならないという方も多いでしょう。

そこには同盟締結当時の事情と、その後の両国の文化や歴史が絡んでいたのでした。

 


英は百年戦争 葡はレコンキスタ

英葡永久同盟が結ばれた当時は、イングランドもポルトガルも、まだまだ地盤が固まったとは言い難い状態でした。

イングランドは百年戦争

ポルトガルはレコンキスタ。

両国の歴史におけるビッグイベントの真っ最中だったのです。

イングランドはフランスと戦っており、ポルトガルはカスティーリャ(スペインの前身になった国の一つ)に対抗するため、直接利害関係にない協力者を求めていました。

そこで白羽の矢が経ったのが、航路が確立していて協力するメリットが大きかった両国。

イングランドの王族であるジョン・オブ・ゴーントがカスティーリャ王位をかっさらおうとしたものの失敗……というミソがつきましたが、何事もなかったかのようにその翌年、ポルトガル王ジョアン1世に娘・フィリッパを嫁がせたことで、両国の結びつきは始まりました。

ジョアン1世とフィリッパは仲睦まじい夫婦で、二人の間には数多くの子女が生まれます。

その中に、あのエンリケ航海王子も含まれています。

エンリケ航海王子/wikipediaより引用

「海の端っこに行ったら焼かれて死んでしまう」と恐れおののく船乗りたちを、「ンなもん迷信だからとっとと行って来い!!」と尻を叩いた人ですね。

彼によってポルトガルはいち早く大航海時代に乗り出した……というのは、世界史の教科書でもおなじみでしょう。

大航海時代の記念碑・発見のモニュメント(ポルトガル)

つまり、英葡永久同盟がなく、フィリッパがポルトガルに嫁いでいなければ、大航海時代の開始が全く違う形になっていた可能性があるというわけです。

その大航海時代では先駆者だったポルトガルも、16世紀半ばから国力を落とし、1580年にはスペインに併合されてしまいました。

イギリスの支援もあって1640年に再び独立し、ブラガンサ朝がスタートしたものの、これは借りとしてはデカすぎます。

そのため、以降はイギリス>>ポルトガルという構図になっていきました。

 


キャサリンの持ち込んだ紅茶が英国全土へ

英葡永久同盟には軍事面以外で大きなポイントがありました。

紅茶です。

1662年にポルトガルのキャサリン・オブ・ブラガンザがイギリス王チャールズ2世に嫁ぎ、このときイングランドに紅茶が持ち込まれたのです。

キャサリン・オブ・ブラガンザ/wikipediaより引用

お茶の木そのものが中国南部の原産ですので、当時のヨーロッパにおいて、紅茶は大変貴重な贅沢品。

ポルトガルはイギリスよりも先にアジアとの交易を確立し、大量の茶葉を入手できたため嫁入り道具の中に入っていたのでした。

既にポルトガルが植民地化していたブラジルで作られた砂糖の姿もあり、キャサリンは来訪者にも気前良く紅茶を振る舞います。

チャールズ2世は愛人が多く、キャサリンはお茶会で寂しさを紛らわせていたともいわれています。

なんだかなあ、という経緯ですが、こうしてイングランドの宮廷でも

「なんだこの飲み物うまいぞ!うちの国でももっと輸入できるようにしよう!!」(※イメージです)

ということになり、イギリス王侯貴族の間で紅茶を飲む習慣が広まっていったのです。

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