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【英葡永久同盟】
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ポルトガルが没落 イギリスが世界へ
ポルトガルは早いうちにブラジルを植民地化して、金や砂糖で利益をあげました。
しかしそのお金はどんどん外国に流れてしまい、結果としてお財布はスリムな状態に。
1703年には「メシュエン条約」も結ばれます。
「イギリスの毛織物とポルトガルのワインをお互いに優先して輸入する」という条約です。
どちらかといえばイギリスのほうに旨味が大きいものでしたが、この頃になるとポルトガルの国力が衰えていたため、強気に出られなかったのでしょう。
1755年にはリスボン大地震でポルトガルがさらに打撃を受けてしまいます。
イギリスやフランスの何がチートか?って「寒すぎない」「地震がない」の両方を持ってることですよね。
さらに1807年になると、ポルトガルはナポレオンによって苦しい立場に追い込まれてしまいます。

ナポレオン/wikipediaより引用
ナポレオンはイギリスを追い詰めるため、ヨーロッパ大陸の各国に対してイギリスとの交易をやめさせようとしたのですが(大陸封鎖令)、英葡永久同盟を組んでいるポルトガルは受け入れられませんでした。
結果、ナポレオン軍に攻められ、ポルトガルは苦戦。
イギリスの助けを得て、ブラジルに王族を逃せたのはいいとして、これまた借りになったので、イギリスにブラジル市場での特権を与えざるを得ませんでした。
ナポレオンがすぐ失脚したことを考えれば、イギリスをとって正解ではありましたね。
少し話がそれますが、このとき王家が来たことによって、ブラジルは発展のキッカケを得ることとなります。
その後、王様が帰った後、王子が残って親子ゲンカののち戦争が起きて独立し、1889年までに「ブラジル帝国」を建国。
現代でもブラジルでポルトガル語が主要言語となっているのはこのためです。
最近はブラジルのほうが人口が多いため、「ブラポル語」なんて呼び方もされているそうで。
現代でもこの二国は「ポルトガル語諸国共同体」のメンバーとして協力体制にあり、旧宗主国と旧植民地としては比較的良好な関係を築いているようです。
閑話休題。
そんなこんなで、イギリスには紅茶と砂糖の両方が揃い、18世紀のはじめ頃にはイギリスの一般家庭にも紅茶が広まりました。
また、同じく18世紀後半には、植民地アメリカがイギリスへの反抗の一環として紅茶を捨てたり飲まなくなったことにより、国内での需要が増したといいます。
※1773年にはアメリカ独立運動につながるボストン茶会事件が勃発
一般人が飲んでいた紅茶には、粗悪品も多かったようですが……。
出がらしならばまだいいほうで、いろいろな意味でいけない添加物が入ったものも多かったそうです。怖すぎ。
同盟を破棄すると戦争開始になりかねん
「イギリスといえば紅茶、紅茶といえばイギリス」
そんなイメージが強いですが、元々はポルトガルから持ち込まれたのがキッカケ。
しかし、ポルトガルに紅茶がもたらされたのは大航海時代であり、その大航海時代が始まったのはイングランドから嫁いできたフィリッパの息子である……というのも、なかなか面白い繋がりですね。
何はともあれ、その後も今日に至るまで同盟が続いているというのはスゴイことです。
まぁ、同盟破棄=戦争開始とほぼ同義とも言えそうで、真っ向からケンカを売る力やそんな意味がなかっただけ……といえばそれまでなのですけれども。
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長月 七紀・記
【参考】
藤枝理子『仕事と人生に効く教養としての紅茶』(→amazon)
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典