大河ドラマ『豊臣兄弟』の劇中で、織田信長が“巨石”の上に乗り、お祭り騒ぎで京都の街中を進んでいた。
巨石とは、天下人の石ともされる「藤戸石」であり、その行先は、足利義昭のため京都二条の地に建てた新御所である。
将軍・義昭が政務をするため――と言えば聞こえは良いが、実際はわずか7年で破却されてしまっている。
いったい何があったのか。『信長公記』などを参考に振り返ってみよう。
防備に優れた将軍御所が必要だ
永禄十一年(1568年)9月、織田信長に奉じられて上洛した足利義昭は、当初、本圀寺を宿所としていた。
しかし永禄十二年(1569年)1月4日、三好三人衆らが同寺を襲撃(本圀寺の変)。
信長の命で京都に残されていた明智光秀や細川藤賢らによって事なきを得たが、知らせを聞いて岐阜から急行してきた信長は「防備に優れた将軍御所」の必要性を痛感した。
そこで同年2月より取り掛かったのが、15代将軍となった足利義昭の新御所造営である。
当時の信長は、将軍と敵対するつもりなどない。

信長甲冑イメージ/絵・富永商太
あくまで室町幕府としての政務を進めるために協力したのである。
そのために尾張・美濃・伊勢・近江はもちろん畿内や若狭・丹後・丹波・播磨など14ヶ国の戦国大名や国衆らから協力を得て、旧斯波義廉邸を改築することにした。
細川昭元邸にあった藤戸石
工事は2月2日から、毎日数千人が従事して進められた。
信長自らが総奉行となり、村井貞勝と島田秀満を大工奉行に任命。
京都近郊から職人や材木等を集めて堅牢に作るのはもちろん、将軍御所としての威容を整えさせるため、金銀での装飾や庭の造作にも手を抜かない。
ドラマでも描かれたように当時の名石「藤戸石」は信長も運搬を盛り上げ、他に「九山八海石」も御所の庭へ運ばせた。
なお、藤戸石とはもともと細川昭元の屋敷にあった石である。
『平家物語』などにも登場する由緒ある巨石で、室町幕府三代将軍・足利義満が京都へ運ばせた後、細川氏の屋敷に移されていた。
この屋敷の造営中、細川昭元が信長・義昭と敵対していたことを合わせて考えると、単なる名石以上の意味が含まれていたかもしれない。

現在は醍醐寺三宝院庭園にある「藤戸石」
もう一方の九山八海石は固有名詞ではなく、慈照寺(銀閣寺)で九山八海を表現していた石を移したものとされる。
いわずもがな銀閣は八代将軍・足利義政の手によるものであるため、信長は”幕府の最盛期を築いた将軍”と、”幕府の衰退を招いた将軍”にゆかりある石を、新将軍・義昭の庭に移したことになる。
他にも馬場に桜を植えて美しく整え、周囲には諸大名の邸も造らせ、名実ともに将軍の住まいとしての威容を整えていった。
いざというときは諸大名の邸が将軍御所を守って戦うことも期待したのだろう。
信長は現場に住み込みで指揮していたと思われ、4月に工事は完了。
同月14日、無事に義昭の入居となったが、その後、信長の意に反して、事態は良からぬ方向へと進んでしまう。
義昭との関係が悪化したのだ。
破却まで
新御所を含む上京エリアは、義昭に取り入る者たちの巣窟となっていった。
大河ドラマ『麒麟がくる』では、片岡鶴太郎さん演じる摂津晴門が悪辣な幕臣の代表として描かれていたように、土地の押領などの汚職に手を染め、米の買い占めなどでも利権を漁るようになる。
そうした状況を見かねた信長も黙ってはいない。
元亀三年(1572年)に信長が義昭に対して「十七か条の意見書」を提出して、その行状を諌めると、彼らは「信長に指図された」「行動を制限された」と感じたのか、徐々に反発を始めていく。
そして両者の対立はついに決定的なものとなってしまう。

元亀四年(1573年)2月、足利義昭の命により、山岡景友らが今堅田や石山に砦を構築して挙兵。
これに対して信長は同年2月20日、柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀・蜂屋頼隆に出陣させ、26日に降参させる。
3月には自ら上洛して和平を呼びかけるも、義昭は二条御所に籠もって抵抗を続けた。
事ここに至って、信長自ら建てた御所が義昭を守る盾となってしまったのだ。
その後、正親町天皇が間に入って和睦が成立するも、義昭は、病死してしまった武田信玄に代わり毛利勢に救援を依頼し、次なる反旗のタイミングを見計らっていたのだろう。
同年7月に再び挙兵して、織田軍と「槇島城の戦い」に挑むも呆気なく撃ち破られ、最終的に京から追放された。
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信長が義昭のために建てたこの御所は一体どうなったのか?
その後しばらく放置され、天正四年(1576年)、信長の手で破却されている。
義昭の帰京が試みられたこともあったが、織田方の人質を求めたために成立せず、「もう義昭が京へ戻ってくることはないだろう」と判断されたため解体されたと考えられる。
趣向を凝らした邸宅を失うのは、信長としてもやるせない心境だったろう。
参考文献
太田牛一/中川太古『信長公記』(2013年10月 KADOKAWA)
池上裕子『織田信長 (人物叢書)』(2012年12月 吉川弘文館)
岡田正人『織田信長総合事典』(1999年9月 雄山閣)
【TOP画像】足利義昭(左)と織田信長/wikimedia commons