明治・大正・昭和時代 ゴールデンカムイ特集

戦場に立ったアイヌたち、その知られざる活躍 日露戦争~太平洋戦争にて

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大東亜戦争のなかで

日本軍が大打撃を受けた太平洋戦争。
第七師団も南北に展開し、厳しい戦いが続きました。

昭和17年(1942年8月7日)〜昭和18年(1943年2月7日)にかけて、フィリピン・ガダルカナル島の戦い。
第七師団の一木清直支隊長率いる「一木支隊」は、全滅に近い損害を受けました。
この戦いで、一木支隊長も戦死。

一木清直/wikipediaより引用

さらに第七師団「北海支隊」は、アリューシャン列島のアッツ島・キスカ島の攻略へ。
昭和18年(1943年)5月12日〜 5月29日にかけての激戦で、日本軍は初の「玉砕」(全滅)となり、厳しい報道規制の最中でもこの敗報は国民へ知らされました。

アッツ島の日本軍/wikipediaより引用

第七師団はジリジリと後退する防衛戦の中、千島列島にまで戻ることとなりました。

 

沖縄戦6万4千人中、北海道出身者が1万人

昭和19年(1944年)2月。
留守第七師団を基幹に第七十七師団が再編成されました。

そんな大東亜戦争の最中、アイヌのコタン(集落)からも次々と兵士が応召されてゆきます。
兵士が多く出征するコタンは「模範的」とされたのです。

そんな中でも、彼らには彼らなりの祈りがありました。
コタンでは、アイヌがアイヌプリ(アイヌ式)の「カムイノミ」を行いました。敵に対する必勝よりも、仲間の無事を祈る儀式です。

昭和20年(1945年)、沖縄戦に参戦した日本軍兵士の出身地は、6万4千人のうち1万人が北海道出身者でした。
この中には、アイヌも43人含まれています。
徹底した皇民化政策の中で、もはや日露戦争のようにことさらアイヌであることは強調されません。同化したものとされていたのです。

沖縄県糸満市真栄平にある「南北之塔」は、南の地で戦った北の人々を供養する慰霊碑です。ここでは、戦死したアイヌを悼む「イチャルパ」(供養祭)が何度も行われています(糸満市HP)。

沖縄戦のあとは、米軍が北海道の根室・釧路にまで空襲を行いました。
工業都市である室蘭は、空襲に加えて艦砲射撃まで実施され、甚大な被害を受けています。

根室空襲の跡/wikipediaより引用

このころには青函連絡船も全滅しており、北海道と本州の交通は一時断絶していたほどです。

そして昭和20年(1945年)8月9日。
日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、日本領へ向けて進軍を始め、満州、南樺太、千島列島が戦場となりました。
少数ではありますが、樺太や千島にいたアイヌ・ウィルタ・ニヴフ(ギリヤーク)も、北海道を目指して逃げ、そのまま移住することがありました。

彼らの逃避行は、大変なものでした。
逃げ惑う人々の上に、容赦なく降り注ぐ爆弾や砲弾。
とにかく逃げるために、断腸の思いで我が子を捨てる親もいたほどです。
あるいは捕縛され、シベリアの抑留所まで連行されてしまう男性もいました。

混乱の最中、真岡郵便局(現ホルムスク)では、9人の電信係の女性たちがいました。彼女らは最後となる通信を終えると、青酸カリを口に含み、自決。

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8月22日には、引き揚げ者を乗せた船(小笠原丸・第二号新興丸・泰東丸)が、ソ連の潜水艦により撃沈させられています。

日増しに緊張度の高まる環境のもと、第七十七師団はソ連軍のさらなる侵攻に備えて警戒を怠りませんでした。

しかし、ついにその日は訪れないまま、最後の師団長・鯉登行一(こいと ぎょういち)のもとで、終焉の日を迎えるのです。

 

GHQへの期待は肩透かし そして戦後も……

終戦後、日本がGHQの支配下に置かれると、アイヌは期待を寄せました。

変わりゆく時代。
古い権力が駆逐される中、民主化政策が行われる。
その中でアイヌの地位向上が実現するのではないか、と考えたのです。

しかし、GHQは冷淡でした。

戦争が終わってからも、アイヌの受ける差別や蔑視は続きます。
儀式を観光の目玉にされる。
間違ったイメージを流布される、等々……。

そんな中でも自らの文化を伝えるべく、アイヌは奮闘を続け今日に至ります。

ゴールデンカムイ』のブームに湧く中。
私たちも真剣に考えねばならないことがあります。
このコンテンツに乗っかっていると言われても仕方ない和人の一人として、私もそこは真剣に考えたいのです。

アイヌの問題はアイヌの人々だけではなく、彼らと関わった和人の問題でもある。
和人の私は当事者ではございません、なんて言えるはずもない。
差別は、歴史の中からそこにいた人の姿を消してしまいます。

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そういうことは、いい加減やめるべきだし、そんなうるさいことを言ったら楽しくないとか、そんな無責任なこともできないはずです。
ちょっと真面目な主張でのシメとなりましたが、これからもっと真剣に取り組んでいきたいと、私は思うのです。

文:小檜山青

【参考文献】
『いま学ぶ アイヌ民族の歴史』加藤博文・若園雄志郎(→amazon link
『北辺警備と明治維新―岡本監輔の慟哭』小野寺満(→amazon link

 



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