モース(大森貝塚)

大森貝塚遺跡庭園のモース像

明治・大正・昭和

貝殻だけじゃなく土器や人骨も! モースが発見した大森貝塚とは?

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
モースと大森貝塚
をクリックお願いします。

 

人が定住していた痕跡であることは確実。

しかし、ただのゴミ捨て場とは考えにくいケースもあるのです。

人骨については、縄文時代の人々に「人間の遺体は墓を作るべき」という考えがあったかどうかがアヤシイので、遺体をゴミ扱いしたとも考えられますね。

ネアンデルタール人(縄文時代よりさらに前の人類・ただしホモサピエンスとは別の進化)には埋葬の概念があったらしきことがわかっているので、現時点ではどちらとも言い切れなそうです。

 

貝殻の炭酸カルシウムが保存料の役割を!?

ちなみに貝塚が一番集中しているのは日本含めた東アジアとロシアの極東地域だそうで。

中でも東京湾沿岸、さらに千葉県が一番多く見つかっているそうです。

確かにワタクシの実家方面にも”貝塚”のついた地名があったり貝塚そのものがあったり、遠足で行った覚えがあります。

どこの貝塚でも人骨が出てきているようなので、もし貝塚に足を運んだ際それっぽいものを見つけたら、とりあえず警察を呼んでおくのが良いでしょう。貝塚じゃなくてもそうか。

貝塚でいろいろなものが出てくるのは、貝殻の中に含まれている炭酸カルシウムが保存料のような役割をするという理由のようです。

日本の土質的に動物や人の骨は分解されやすいため、他のところではあまり残らないのですが、貝塚だけはこの働きのおかげで、当時の暮らしや食生活を知る貴重な手がかりになっているとか。

 

貝を食えば食うほど保存に強くなっていく

ご先祖様方はただ単に「海が近いんだから、その中にあるもん食えばいいじゃん」ってな感じだったでしょう。

が、後世から見るとありがたい話です。

貝なら鳥や獣ほど捕る手間かからないでしょうしね。

一つ一つが小さい分、皆が満腹になるためにはかなりの量が必要だったでしょうが、それもまた骨や土器の保存に役立ったことになります。

偶然の奇跡とはいえスゴイ話だ。

大森貝塚に限らず、恐竜の化石や死海文書など「地元の人がたまたま見つけたものが世紀の大発見でした」なんてことはままありますよね。

最後になりましたが……。

この大森貝塚を巡っては、あのシーボルトの息子であるハインリヒ・フォン・シーボルトも「第一発見者である」という主張をしており、モースと争っていたことがありました。

シーボルト事件
シーボルト事件に巻き込まれて獄中死した高橋景保が不憫でならない

続きを見る

シーボルト
シーボルトは生粋の親日家? あの事件から30年後に再来日していた

続きを見る

父に対して「小シーボルト」というあだ名のハインリヒ。

兄のアレクサンダー・フォン・シーボルトもまた長くお雇い外国人を務めるなど、日本と関わり深い一家でした。

あわせて読みたい関連記事

渋沢栄一
史実の渋沢栄一にはどんな功績があった?近代資本主義の父の実力は

続きを見る

エドワード・モース
大森貝塚モースの滞在記『日本その日その日』には何が書かれてる?

続きを見る

縄文人とノロウイルス
縄文人は貝ばかり食べて「ノロウイルス食中毒」にならなかったの?

続きを見る

日本人とマグロの意外な歴史 かつて大トロは嫌われ、猫またぎと呼ばれた?

続きを見る

虫歯の歴史
日本人を苦しめてきた虫歯の歴史~縄文時代に始まり家康や馬琴は入れ歯を使うほど

続きを見る

日本の狩猟文化
日本の狩猟文化が衰退したのは税金のため?奈良時代の法律で食肉が消える

続きを見る

シーボルト事件
シーボルト事件に巻き込まれて獄中死した高橋景保が不憫でならない

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
大森貝塚/wikipedia

TOPページへ

 



-明治・大正・昭和
-,

×