小泉八雲

小泉八雲と小泉セツ/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

小泉八雲は親日家のお雇い外国人で『怪談』の著者~東大で英語教師も

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熊本で出会った校長はあの嘉納治五郎

小泉セツは明治元年(1868年)生まれ。

松江藩士の娘で元々はハーンの身の回りの世話をしておりました。

結婚後もセツは日本の文化風俗などの話題を提供し、ハーン文学のサポートをするわけですが、家計は執筆活動だけに支えられていたわけではなく、同年には熊本へ赴任することになりました。

第五高等中学校(現在の熊本大学)で英語を教えるためです。

このとき同校の校長が嘉納治五郎だっていうのも驚きですね。

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ハーンの授業が良かったのか。あるいは元々優秀な生徒が多かったのか。

同校の卒業生からは各方面で活躍している人が結構出ています。

熊本ではそのまま3年間勤務。

その後は次に神戸クロニクル(英字新聞)の記者になりますが、程なくして右目が失明の危機にさらされ退職を余儀なくされます。

実はハーンは、子供のころに左目をすでに失明しており、万が一、両目の視力を失ってはシャレになりません。

来日してから記者→教育→記者……と忙しない生活でもあったので、良い休養になったのではないでしょうか。

再びチェンバレンの仲介で、明治二十九年(1896年)、東京帝国大学(現・東大)で教えることになるのです。

 

ハーンの後釜はあの漱石

ハーンは帰化して、小泉八雲に改名。

東京帝国大学の英文学講師となりました。

給料は総長より高い月給400円(熊本から2倍にUP)で、自宅の市ヶ谷から毎日40分かけて人力車で通ったそうです。

ただ、高い給料に見合う授業内容だったようで、教え方は丁寧で、学生たちの支持も厚い。

他の外国人と違い、衣食住すべて日本に染まっていたところもシンパシーを感じさせる要因だったのかもしれません。

彼の人気がわかるのは皮肉にもその東大を解雇されてしまったときでしょう。

「これからはお雇い外国人ではなく、留学帰りの日本人を起用しよう!」

そんな大学側の都合により、突然、ハーンは解雇されてしまうのですが、これに猛反対した大勢の大学生たちが大学に抗議するのです。

しかし、失望感は大きかったようで、ハーンは東大を出て今度は早稲田へ。

当時、最高給だった坪内逍遥より高給取りになったようですが、彼の卒業生からは北原白秋、若山牧水、石橋湛山などが出ています。

ちなみに八雲が退職した東大では、あの夏目漱石が後任になっています。

しかし、前述の通り八雲の支持があまりにも厚かったので、転科した学生もいたそうです。

漱石も胃痛になるわけですわ。

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地球を半周して日本に骨を埋めるなり

小泉八雲と言えば『怪談』。

怖い話はどこいった?と思われるかもしれませんが、出版されたのは彼の死の直前でした。

タイトルからだと想像しにくいですが、実は『怪談』の原文は英語で書かれています。

日本人ならあらすじを知っている話が多いですし、英語の勉強にいいかもしれませんね。

そして早稲田大学の講師になってから半年程で狭心症により亡くなりました。当時54才。

葬儀は仏式で行われ、戒名もついています。

八雲の写真を見ると、本当に西洋人なのか疑わしいくらい和服が似合っていますから、おそらく死んだ後も日本人として扱ってもらいたかったのではないでしょうか。

ギリシアで生まれてアイルランド、アメリカ、日本……という、ほぼ地球半周の旅も終わったわけです。

来日後、友人に宛てた手紙の中でも日本を大絶賛していますし、ここまで日本に惚れ込んでくれた外国人は本当にありがたいことですね。

八雲は『怪談』の他にも当時の日本を事細かに観察した本をいくつか書いています。

大正浪漫ならぬ明治浪漫を感じたい方は手にとってみてはいかがでしょう?

amazonでしたらKindle版ですぐに読めるものもあります(→amazon)。

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【参考】
国史大辞典
片野勧『明治お雇い外国人とその弟子たち』(→amazon

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