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【安藤百福】
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健康食品だった!?
栄養価は低く、塩分過多で、添加物も入っている――。
現在ではジャンクフード的ポジションに置かれるインスタントラーメンですが、当時は違いました。
栄養価が高い食品としてチキンラーメンは注目を集めます。
なんせ塩分摂取量にさほど厳しくない頃は、「ラーメンのスープは栄養が含まれています。残さずお飲み下さい」と言われていたほどでした。
これは何も百福や日清食品がデタラメに掲げた情報ではなく、国立栄養研究所所長に調査依頼をした結果のことでした。
鶏肉の様々な部分から高い栄養価が抽出されていたのですね。
そして百福はこの結果を厚生省にも持ち込みました。
結果、厚生省は「妊産婦の健康養補給商品」に推奨したぐらいです。
チキンラーメンが健康食品というのは、現代からすれば驚かされますね。
この後にも、チキンラーメンはビタミン添加をして、1960年(昭和35年)には「特殊栄養食品」の認可を取得。現在の栄養価は、日清食品公式サイト(→link)に掲載されています。
確かにビタミンB2、ビタミンB1が含まれていますね。
食べ方としては上に卵を載せるのが有名ですが、これは単に美味しいだけではなく、栄養価を補う上でも優れていました。
ちなみに百福は、健康の秘訣を尋ねられると「毎日、昼食にチキンラーメンを食べていますから」と答えていたそうです。
テレビとインスタントの時代ががっつりマッチ
日清食品といえば、斬新な広告でも有名です。
特に1990年代前半に放映された
「ハングリー? カップヌードル! 日清!」
のコマーシャルは国際広告映画祭グランプリを受賞したほど。
実はこの斬新な広告スタイルは、初期の頃から有名でした。
チキンラーメンを売り出した当時、日本でもテレビが普及し始めました。
初のテレビ局開局は1953年で、爆発的に普及したのは1959年の皇太子ご成婚パレードから。チキンラーメン発売開始のタイミングとちょうど一致します。
百福は、チキンラーメンが軌道に乗るとすぐにテレビ広告を打ち出しました。
テレビとインスタント食品の普及には、関連性があると言えます。
1950年代、アメリカやヨーロッパでも「テレビディナー」と呼ばれる食品が登場しています。
当初はオーブン、のちに電子レンジで調理することを念頭としたこの食品は、テレビを見ながら作ることのできる食事として普及しておりました。
ちょうどこの頃、欧米では、女性が積極的に働きに出るようになっていたのです。
そして日本でも高度成長期と呼ばれる時代へ突入。チキンラーメンのみならず、インスタントコーヒー、家電製品が大流行しておりました。
時代のニーズは、まさに家事の簡素化を求めていたのですね。
全国区への拡大と類似品との戦い
1960年2月、拡大するニーズに応えるべく、日清食品は新工場をオープンさせました。
一日10万食を作るこの工場の前には、一刻も早く出荷すべく、トラックがずらり。
しかし、ブームになると問題も出てきます。
「類似品の横行」です。
当時は今ほど特許に厳しくなく、ヒット商品のパチもん・パクリ物が横行するのは当然の状況。
もはや嫌な予感しかしませんが、あるとき日清食品に「チキンラーメンで中毒を起こした!」という訴えが入りました。
しかし、製造過程を調べても、問題はない。
古いものを食べたのか。
そんな風に疑いもしましたが、原因は別のところにありました。中毒を起こした人は、他者の粗悪な模造品を食べていたのです。
こうしたコピー品騒動を何とかしようとしても、対策は追いつきません。
ついには食糧庁(2003年廃止)がこう言い出します。
「業界で協力しなさい」
税金貰って何やってんだか。と言いたくなりそうなところですが、百福はこれまた前向きに捉えます。前向きというよりもシンプルにリアリストなんでしょうね。
果てしなきイタチごっこで消耗するよりは、業界で一致団結してよりよい食品作りを目指したほうがよい。
かくして1964年、「社団法人日本ラーメン工業協会」(現日本即席食品工業協会)が設立され、百服は初代理事長となりました。
私たちが現在、様々なメーカーのインスタントラーメンを安心して食べられるのも、こうした百福や業界協力のおかげなのですね。
1970年代までに、日本では年間35億食のインスタントラーメンが消費されるようになりました。
まさに国民食です。
絶え間なき挑戦 次はカップヌードルへ
チキンラーメンで大成功を収めても、走ることを止めない百福。
それはアメリカで海外視察の際に見かけた光景でした。
日本と違い現地には丼がないため、紙パックにチキンラーメンを入れて食べていたのを見て思いつくのです。
「最初からパックに入れたインスタントラーメンを作ってみたら、どうだろう?」
1966年から温めてきたこのアイデアを、百福はついに着手することにしました。
が、道のりは険しいものでした。
最初の難関は、もちろん容器です。
試行錯誤の結果、紙パックではなく発泡スチロール(ポリスチレン)にしました。
断熱性が高く、持ち運びやすく、かつ低コストで製造できるのが強みです。
今ではほとんど見かけなくなりましたが、少し前までは発泡スチロールが当たり前だったのを読者の皆様もご存知でしょう。
そして技術大国となった現在では考えにくいかもしれませんが、当時の日本のテクノロジーでは、その容器をうまく作ることができませんでした。
そこで百福は、アメリカ企業と合弁会社を新たに設立。
こだわったのは片手で持てるようなデザインでした。
今日では当たり前の手の平サイズのあのカップ型ですが、当初はまだ手探りで、百福は130種類ほどのサンプルを作らせ、枕元に置き、日夜考えます。
朝、目が覚めると容器を手に取り、気に入らないものを排除する消去法です。
しっくりくるもの、という自身のフィーリングを頼りに模索し続けました。
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