『陳情令』&『魔祖道士』を見ていると、とても楽しいようで、不思議なことも出てきます。
いやいや、こんなの知らない、ワケわからない……そんなことが起きても仕方ありません。
しかし、ちょっとした描写にヒントが隠されている中国フィクションの世界。
本稿では、そんな「華流時代劇」を楽しむためのお約束を18項目にてまとめてみました!
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名前の呼び方が大事
この作品がとてもがんばっていること。それはあだ名を無理矢理翻訳せず、言語を用いている点です。
なぜなら、呼び方というのは非常に大事だからです。
最もよく使われているのが【阿+名前の一部】ですね。
「阿羨!」
江厭離が魏無羨をそう呼ぶ場面はいくつもあります。
この「阿」とは、名前につける接頭語で、日本語ならば「〜ちゃん」あたりだとお考えください。
『三国志』関連でも出てくるもので、例えば曹操の幼名は「阿瞞」(あまん)とされます。幼名というより、あだ名で「嘘つき小僧」といった意味合いですね。
あまりよい意味ではなく「曹操って幼い頃から“阿瞞”って呼ばれていたんだってさ」と、ゴシップめいた印象も受ける名前です。
曹操と敵対した呉では『曹瞞伝』という「あの嘘つき野郎の話を集めたぞ」と言いたげな書籍もあり、正史の注に引かれております。
※以下は曹操の事績まとめ記事となります
規格外の英雄その名は曹操!乱世の奸雄は66年の生涯で何を夢見ていたか?
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劉備の子・劉禅の幼名「阿斗」、魯迅の『阿Q正伝』も「阿」が使われていますね。
そして「呉下の阿蒙にあらず」という言葉があります。
『三国志』に登場する呉の呂蒙には、こんな逸話があります。
貧しい家庭に生まれ育った呂蒙は、武人としての能力はあるものの、知識がないまま出世を遂げていました。
そこで主君の孫権は、こう助言しました。
「もうちょっと本を読んでみてもいいと思うぞ」
「軍務でめっちゃ忙しくてそんな暇ねっす!」
「そう言わずに読みなさい。おすすめはこういうのだけど、どう?」
「え、マジっすか……」
孫権の言葉を受け入れ、呂蒙は猛勉強!
呉でも屈指の知恵者である魯粛は、呂蒙は無学だと軽蔑していました。
それが久々にあって話してみると、すっかり知識を身につけていて魯粛は驚きました。
「こりゃ参ったね。呉の蒙ちゃん(呉下の阿蒙)とは思えないよ!」
「士たるもの、別れて三日もすれば変わるもの。次に会うときは刮目(目を見開いて見る)するべきですな」
そこまで呂蒙は成長し、知勇兼備となり、「刮目」の由来となりました。
関羽を討ったためフィクションでは憎まれ役の呂蒙ですが、実際には努力家。
このように「阿蒙」とは「蒙ちゃん」という意味で使われています。
ちなみに日本の名前にも「お」とつけることがあります。
梅という人物を「お梅」と呼ぶようなもの。これを漢字表記にすると「御梅」あるいは「阿梅」となります。接頭語「お」にも近い使われ方でもあるのです。
もっと幼いニュアンスの呼び方もあります。
【名前の一部をくりかえす】(例:羨羨)ものです。「阿」をつけるよりも幼く、ともかくかわいらしくて仕方ないような、そんな印象があります。パンダの名前でもおなじみですね。
親が子を呼ぶような名前としては、名前の一部に「児」をたす(例:羨児)というパターンもあります。
どれも愛おしい思いが込められていて、かつ、年下の相手に使うことが多いです。
字(あざな)と号(二つ名)
本作では、武侠でも出てくることが珍しい、字(あざな)が出てきます。
名前で呼ぶか、字で呼ぶか、愛称にするか?
こうした呼び方ひとつでも親密度や礼儀があります。
馬超が劉備を字で呼び捨てにしたところ、関羽と張飛が「あいつを殺す!」と激怒したという逸話もあります。
信憑性の面で真偽の程はわかりませんが、呼び方が大変重要だということです。
さらには「号」も出てきます。
こちらは成長して実績を残し、その特徴から名付けられているもの。藍忘機の「含光君」のように極めて美しいものが多いのが特徴です。
魏無羨の「夷陵老祖」は『魔道祖師』というタイトルとイコールで結べるようなものとわかります。
夷陵にいる老祖(敬意をこめた尊称)とは、魔道を修めて始めた祖である。そんな畏敬と忌み嫌う感情は表裏一体。恐れられてもおかしくない人物が、実は好青年だった――そう誘導するタイトルです。
「拝師」とは?
魏無羨は甘えるように江離厭を「師姉」と呼びます。原語では「師姐」です。
武侠ものの門派は擬似家族を形成しており、師匠は親、弟子は子となります。
先に入門したら兄と姉。あとに入門したら弟妹。
これでもこの作品はまだ単純な方で、例えばこんな呼び方もあります。
師伯=自分の師匠の兄弟子
大師叔=自分の師匠の師匠の、弟弟子
頼むから系図を作ってくれ……そう嘆きたくならないだけ、まだ楽だとお思いください。
中国では共同体は擬似家族とみなされ、大変深い絆があります。
それゆえ、師匠と弟子が愛しあうことは、親子が愛しあうに等しい禁忌とされます。
それに挑んだ作品が金庸『神雕侠侶』です。肖戦もこの愛に挑む新作があるのですが……。
◆シャオ・ジャンも参戦!「禁断師弟愛」を描いた「玉骨遥」は「花千骨」を超えられるか?(→link)
一方で、満ちあふれている師と弟子の禁断の恋、クールな男性主人公とおてんばなヒロインという千編一律な人物設定に対してネットでは「マンネリ化」を指摘する声も相次いでいる。
またかよ! と、そんな声も出てきているとか。
なお、師匠と弟子の愛は禁忌ですが、きょうだい弟子同士のカップルは定番です。
魏無羨が江厭離に淡い初恋を抱いていたとしても、それは自然なことです。
魏無羨が「大師兄」であることも大事です。
江澄よりも上。雲夢江氏一門で最上位の弟子になります。
江澄が将来の宗主とはいえ、これは劣等感を覚えかねない配列です。そりゃ虞夫人も不満でしょう。
そしてこの「大師兄」という呼び方は、武侠ものの代表『笑傲江湖』主人公・令狐冲もそうなのです。「大師兄」にはあの伝説が連想されるもの。特別なのです。
魏無羨と藍忘機のルーツ~陳情令と魔道祖師は「武侠」で読み解く
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“陰虎符”とは?
魏無羨が持っている特殊な道具。何かファンタジーRPGに出てきそうで、そうでもない。
これは一体何でしょうか?
西洋世界のアイテムで最も近いものは、あえてあげるのであれば「アミュレット」(Amulet,・護符)になります。
「虎符」とは、銅製で虎の形をした割符です。
徴兵と指揮権があり、軍隊を動かすために必須のものとなります。
半分は朝廷、もう半分を将軍が保持。虎符は銅製です。鉄が発達した後では用いられない、古代のものだとお思いください。
いざ軍を動かそうというとき、虎符がないとどうにもならない。
窃盗は犯罪だ、それでも危難の際にあえて虎符を盗むことは勇敢だ。
魏・信陵君の依頼を受け、虎符を盗んだ如姫はそのことで歴史に名を残しています。
虎符という単語が出てくることで、さまざまな要素が浮かんできます。
隠虎符は、古代らしさを感じる。
隠虎符は、軍隊を動かすほどの力がある。
隠虎符は、二つはあるのだろう。
隠虎符から思い出される信陵君と如姫。
「窃符救趙」という故事があります。個人が汚名を背負っても、成し遂げるべき大義があるのかもしれない。そんな義侠心が虎符からは連想されるのです。
あの浮かび上がる「隠虎符」で、そんな作中の世界観がつかめます。
※『虎符傳奇』というドラマもあります
「陰」が強いと悪いことが起こるのか?
では「陰」とは何か?
陰陽説です。どちらかが過剰でも、不足してもよろしくない。バランスを取ることが重要です。
魏無羨は鬼道を使うことを注意されると、目的が問題だと言います。
鬼道も「隠」に属するかもしれないけれど、バランスさえ取ればやっていけるという彼なりの考えがあるのでしょう。
陰の気が強いとされる場所は、怪奇現象が起こりやすいとされています。
では、陰気が勝る場所とはどういう条件があるのでしょうか?
湿気が高く、陽の気を司る日光が差し込まない……といった要素が揃います。
ただの迷信のようで、そうした場所はカビが生えたり、腐敗や害虫が発生しやすいもの。
病気やトラブルを避けるためにも、「陰が強すぎると不吉だ」とこうした知恵で、人々は身を守ってきたのですね。
陽が強すぎてもまたよろしくありません。確かに日光が差し込むことでものが痛むようなことも起こります。
なにごともバランスが大事であるという思想は、この世界観の根底にもありますよ。
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