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【華流時代劇を楽しむ18のお約束】
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儒教の価値観は家族を重んじる
中国の宗教は「儒教・仏教・道教」が並んであります。仏教と道教はわかりやすいものの、儒教はわかりにくい。それはなぜかというと、道徳心という形で世界観に入り込んでいて、かえってわかりにくくなっているのです。
この世界観では、実の家族にせよ、疑似家族にせよ。一族が揃って生き抜くことを重んじています。
そんな家族や疑似家族が大事である価値観が、温情と江澄の関係に表れています。江澄は温情に好感を抱くものの、そこで温情は温一族も受け入れられるのかと問いかけます。自分個人を愛するのでは不十分、家族ごと受け入れる覚悟はあるのかどうか? そう問われ、江澄は踏みとどまってしまいます。
一方で魏無羨は温一族をまるごと受け止めて、新たな生活基盤の構築まで始めます。田畑を耕し、生きるために生活を始めるのです。そんな度量があればこそ、温情は彼を信じたのでしょう。
そこを江澄と魏無羨の度量の差とするのは気の毒ではあります。江澄はまず、大打撃を受けた自分の一族を立て直す使命があります。
こうした人間の集団が生きていくために団結することも、中国史を元にした世界観では重要です。
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剣とは何か?
日本では「刀剣」の区別が曖昧なのですが、華流では区別があります。
五大世家はじめ、名門の家は武器として剣を手にしています。
江澄は紫電という必殺の武器があるけれども、剣は携帯します。魏無羨が剣を持たないことが咎められ、重要な役割を果たします。
中国武術におけるああした剣の威力が高いかというと、実はそうでもない。両側が刃となってはいるものの、刺突が主な攻撃手段です。
まったく殺傷力がないわけでもなく、斬撃でも威力はありますが。
片手で持ち、急所を突くか、頸動脈を切るか。騎乗ではまず使えず、甲冑相手にはあまり役に立ちません。
利き手で剣を持ち、反対側の手は二本指を立てる。これを「剣指」とよび、武侠ものでは点穴にも使います。
※点穴とは、ツボをつくこと『北斗の拳』の秘孔の元ネタですが、あそこまで威力は高くありません
実戦では早くに廃れたためか『三国志演義』でも『水滸伝』でも、実はああした剣を手にした人物はそこまで多くはありません。
じゃあ、フィクションで剣を手にしているのは誰か?
武侠ものの正派の定番です。
特に道士(道教をなりわいとする者)は剣を装備しています。中国文学の剣は、魔法の杖も兼ねると思いましょう。
剣を抜くと雷鳴が轟く。何か不思議なものが飛んでゆく。これはもう剣術を超えているのでは?
そう言いたくもなりますが「剣術である」と定義されているのならば、そういうものだと思いましょう。
神秘的な武器ですので、剣はともかく大切にされます。
中国剣は、持たない方の手を「剣指」という形で揃えます。
人差し指と中指をピシッと立てて揃え、他の指で輪を作る。華流時代劇では定番の動作ですので、イラストやコスプレの参考にしてください。中国武術でもおなじみの動作です。
剣は片手で持つ。持たない方は剣指にする。これを心がけましょう!
なお、双剣は中国のフィクションでは女性の定番武器とされています。
劉備も双剣使いですが、あれはヒロイン属性もあるということかもしれませんね。
※『笑傲江湖』は主人公の流派はじめ、名門は剣を用いています
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刀とは何か?
剣が両刃であるのに対し、片刃で反りがあると「刀」とされます。
剣は片手で扱うものの、刀は片手、両手、状況に応じて変えます。
刃の形状で判別されるため、『三国志演義』の関羽が持つ武器も「青龍偃月刀」とされます。
関羽の武器からはそうしたニュアンスはないものの、武侠となると剣は刀よりやや劣る位置付けになることがしばしばあります。
作中では、聶氏が刀を扱います。
開祖が肉屋であったため、他の仙門とは異なり刀を武器にしていると説明されます。
肉売りとして蔑まれた人物と言えば、『三国志』に出てくる何進と、霊帝の皇后である何氏の兄妹がいます。
いくら出世しても出自が卑しいとされたのです。
作中では、刀霊(とうれい)という怨念が宿るから忌避されていると設定されています。史実にあった要素をうまく生かし、作中の設定に落とし込んでいます。
剣でなく刀を装備した人物は、武侠ものでは名門でない、チョイ悪になりやすいお約束があります。
悪人とは認定できないけど、ちょっと正義の味方とも言えない。そんな立ち位置です。
他の仙門は剣なのに、聶氏は刀なのか……何か理由があるんだな。そうわかる仕組みです。
”金丹”とは?
江澄が失い、絶望してしまう。それが「金丹」です。
そうはいってもどこにも傷はないし、何がそんなに絶望的なのだろう?
武侠好きならこう理解するところです。
「内功をこの作品では、金丹と呼んでいるわけか」
武侠ものや中国武術には「外功」と「内功」という要素があります。
外功:武術の技や型を指す
内功:精神力、心の力
内功を外功に乗せて発揮することが求められます。内功を喪失すると、外傷がなくとも威力のない技しか出せなくなってしまうのです。
また内功さえあれば何でもできるので、フィクションではこんな描写もおなじみです。
オーラが出て吹っ飛ぶ!
楽器を弾いたり叫ぶと、相手がダメージを受ける!
琴棋書画(琴・囲碁・書道・画)の達人は武芸も強い!
何がなんだかわかりませんが、あまりに精神性が強靭であるがために、そうしたことが起こります。
なんだかわけがわからない、科学的根拠がない!……とされたのは、かつてのこと。
心理学で研究され、精神性は確かに人間の力を発揮させると最近は注目されており、『鬼滅の刃』でも取り入れています。
あの作品では「心を燃やせ!」という。
呼吸をすることでより力を引き出せるとされるのです。
あなたが持っているスマートウォッチや、スマートフォンのアプリにも「マインドフルネス」という機能が実装されていませんか?
「アファメーション」という技法も注目を集めております。
かつては日本から「禅」として紹介され認識されていたものですが、中国やインドにも、こうした精神性重視の嗜好があったと認識されており、呼び方や説明も変化しつつあるのです。
『鬼滅の刃』呼吸で学ぶマインドフルネス~現代社会にも応用できる?
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内功を失った、この作品での金丹を失った状態というのは、剣を執ろうにもまったく力が出ないような状態になったということです。
それを救われた江澄も、その真相を知り、精神的大打撃を受けることになるわけですが……。
なお、内功のような精神性は、武術以外、ありとあらゆる活動において重視されます。
たとえば書道では、心が乱れているとよい字が書けないと先生が指導することも往々にしてあります。その人の精神状態が作品に現れる。それは技術以上に重要であるとされるのです。
中国の文人は、琴棋書画(琴・囲碁・書道・画)に長けていることが重視されます。
さらには美食を楽しみ、酒を風流に飲むことまで求められるもの。高邁な心があれば、それができる。そうみなされる、なかなか大変かつ風流な世界なのです。
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