後に桜島大正大噴火と呼ばれる大爆発が発生した。
その規模は有史以来、最大クラスに匹敵しており、たとえばマグマや火山灰などの噴出物総量は、江戸時代に関東地方を壊滅的にした富士山の宝永噴火(1707年)を上回り、最近では雲仙普賢岳の約10倍規模だったとされる。
富士山の中腹に超弩級の穴を開けた「宝永大噴火」の恐ろしさとは
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また、噴火規模の詳細はまだ明らかではないながら、21世紀では最悪の被害となった御嶽山を上回るのも確実だ。
なんせ、それまでは海に浮かぶ完全な“島”であった桜島が、この噴火によって大量の溶岩などが錦江湾(きんこうわん)内に流れ出し、大隅半島を陸続きにしてしまったのである。
いかに大きなものだったか想像ができよう。
では、被害の規模はいかほどのものだったか?
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多くの島民たちが慌てて海へ飛び込み溺死した
まずは島から見てみると、東桜島村と西桜島村で犠牲になったのが30名。
うち20名は溺死である。
火山の噴火で溺死とは首を傾げるかもしれないが、村から船着場にたどり着いた島民たちが慌てて冬の海に飛び込み、命を落としてしまった。
また、火山灰などの直撃を受けた家屋の被害は当然ながら凄まじく、全3,388戸数のうち半数を超える2,129戸が倒壊や消失、溶岩によって全滅。
農産物も大打撃であったことは言うまでもなく、多くの家畜も犠牲となった。
さらに悲惨だったのは、この噴火のあとにM7.1の大地震も発生したことだ。
桜島のみならず鹿児島市や南九州一帯が大きな揺れに見舞われて、新たな被害を生じさせた。
地震の発生後、市内では、毒ガスが発生するとか津波に襲われるなどの噂も出回り、一時はパニック化もしている。
火山灰の一部がカムチャッカ半島まで飛んだ!?
1月12日に発生した噴火が沈静化したのは、実に半年後。
その影響で移住などを余儀なくされたのは2万人を超え、死傷者は全体で140名に及んでいる。
桜島の噴火は、あくまで鹿児島や南九州に限った話で、それ以外の地域は関係ない――。
そう、思われるかもしれないが、コトがそう単純でないことは心構えしておいたほうがよい。
下記の地図をご覧のとおり、当時の噴火により火山灰は東北まで届いている。
一説には、ロシアのカムチャッカ半島まで飛ばされたとの説もあるほどだ。
昨今の火山噴火が与える影響は、単に付近の農作物などだけでなく、飛行機にも及ぼすことは皆さんもご存知であろう。
2010年にアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル噴火で欧州の航空便ダイヤが大幅に乱れた(というより一時は飛行停止になった)ことは、うっすらと覚えている方もおられるはず。
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