桜島大正大噴火

鹿児島市街から撮影した桜島の大正大噴火と海岸まで到達した溶岩流/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

桜島大正大噴火の恐怖~流れる溶岩で島と半島が地続きになった日

今から約100年前の1914年1月12日。

後に桜島大正大噴火と呼ばれる大爆発が発生した。

その規模は有史以来、最大クラスに匹敵しており、たとえばマグマや火山灰などの噴出物総量は、江戸時代に関東地方を壊滅的にした富士山の宝永噴火(1707年)を上回り、最近では雲仙普賢岳の約10倍規模だったとされる。

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また、噴火規模の詳細はまだ明らかではないながら、21世紀では最悪の被害となった御嶽山を上回るのも確実だ。

なんせ、それまでは海に浮かぶ完全な“島”であった桜島が、この噴火によって大量の溶岩などが錦江湾(きんこうわん)内に流れ出し、大隅半島を陸続きにしてしまったのである。

いかに大きなものだったか想像ができよう。

では、被害の規模はいかほどのものだったか?

/wikipediaより引用

大正溶岩と記されたピンク色の部分が1914年の噴火で流れ出て、地続きになった/wikipediaより引用

 


多くの島民たちが慌てて海へ飛び込み溺死した

まずは島から見てみると、東桜島村と西桜島村で犠牲になったのが30名。

うち20名は溺死である。

火山の噴火で溺死とは首を傾げるかもしれないが、村から船着場にたどり着いた島民たちが慌てて冬の海に飛び込み、命を落としてしまった。

桜島の大正噴火8

内閣府HPより引用

また、火山灰などの直撃を受けた家屋の被害は当然ながら凄まじく、全3,388戸数のうち半数を超える2,129戸が倒壊や消失、溶岩によって全滅。

農産物も大打撃であったことは言うまでもなく、多くの家畜も犠牲となった。

桜島の大正噴火15

さらに悲惨だったのは、この噴火のあとにM7.1の大地震も発生したことだ。

桜島のみならず鹿児島市や南九州一帯が大きな揺れに見舞われて、新たな被害を生じさせた。

地震の発生後、市内では、毒ガスが発生するとか津波に襲われるなどの噂も出回り、一時はパニック化もしている。

桜島の大正噴火20

地震によって鹿児島市内でも……/内閣府HPより引用

 


火山灰の一部がカムチャッカ半島まで飛んだ!?

1月12日に発生した噴火が沈静化したのは、実に半年後。

その影響で移住などを余儀なくされたのは2万人を超え、死傷者は全体で140名に及んでいる。

桜島の大正噴火17

噴火の影響で干上がった佛石川/内閣府HPより引用

桜島の噴火は、あくまで鹿児島や南九州に限った話で、それ以外の地域は関係ない――。

そう、思われるかもしれないが、コトがそう単純でないことは心構えしておいたほうがよい。

下記の地図をご覧のとおり、当時の噴火により火山灰は東北まで届いている。

桜島の大正噴火5

もしも規模の大きな噴火だった場合、その火山灰はかなり遠方まで飛ぶことが予想される/内閣府HPより引用

一説には、ロシアのカムチャッカ半島まで飛ばされたとの説もあるほどだ。

昨今の火山噴火が与える影響は、単に付近の農作物などだけでなく、飛行機にも及ぼすことは皆さんもご存知であろう。

2010年にアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル噴火で欧州の航空便ダイヤが大幅に乱れた(というより一時は飛行停止になった)ことは、うっすらと覚えている方もおられるはず。

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