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【小林一三】
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商工大臣就任と「大臣落第記」
そして1940年(昭和15年)、今度こそ引退しようと決意を固めた一三は「東京電燈」社長を辞任することにしました。
そんな一三に、民間の親善使節としてイタリアに訪問するよう依頼がありました。
この滞在中にイタリアは第二次世界大戦に参戦したため、元のルートでの帰国ができなくなった一三はドイツ経由で帰国することになります。
帰国の途についた一三は、ドイツでヒトラーの経済手腕に感心したと言います。
そんな彼を急ぎ帰国するようにと、当時の総理大臣である近衛文麿が電報を送ってきました。
帰国した一三を待っていたのは、近衛内閣における商工大臣のポスト。大変名誉なことだ、と同職を引き受けます。
内閣としても彼の経営手腕が欲しかったのでしょう。
しかし、政府の経済政策案にズケズケとダメ出しをする一三はやがて煙たがられるようになります。
特に深刻だったのは、岸信介との対立でした。
一三は岸の出した「経済新体制」を強烈に批判。
1940年(昭和15年)に「経済新体制確立綱案」は閣議決定されたものの、経済官僚懇親会で一三が先頭に立って骨抜きにしていました。
さらに一三は、岸を辞任させるように迫ります。
しかし、辞任させられたのは岸ではなく一三でした。
就任から僅か八ヶ月後、内閣改造で一三は辞任させられたのです。
もはや戦争に向けて国家総動員体制を迫る日本政府は、一三のような自由主義経済とは相容れなくなっていました。
彼が軍部批判をしていたことも、大きな要因です。
一三は『中央公論』に「大臣落第記」という連載をスタートさせ、不謹慎であるとして、すぐに止めさせられます。
日本は泥沼の戦争へと突き進んでいくのでした。
焼け野原から再出発へ
1945年(昭和20年)、日本は敗戦を迎えます。
国民にとって大きな挫折と失望、そして死や滅亡であったこの敗戦も、一三にとっては喜ばしいことでした。
彼が憎んだ国家による経済統制の終わりであり、自由主義経済の復活を意味していたからです。
一三は「戦災復興院」総裁に就任し、復興を牽引しました。
しかし敗戦の翌年には、公職追放の対象となってしまい、辞任せざるを得ませんでした。
とはいえ彼は、引退してかねてよりの念願であった茶道だけに邁進するわけにもいきません。
日本全国が汗を流して復興をめざしているのに、そんなことは許されないと思っていたのでしょう。
そんな中、彼が心血を注いだのが東宝再建でした。
公職を追放されているからには本格的に参加することはできません。
そこで彼は公職追放が解除となる1951年(昭和26年)までじっと待ちます。
欧米を見て回り、これからは優秀な洋画の上映と、邦画の製作をすべきとの結論に到達。社長に就任すると、東宝の業績はみるみるうちに回復を見せ始めました。
同時に株式会社コマ・スタジアムを立ち上げています。
そして昭和32年(1957年)1月25日、小林一三は84才でその生涯を終えました。
晩年まで様々な事業に尽力し、「今太閤」と呼ばれた人生。彼の残した産業は今も活きています。
中でも宝塚歌劇団、東宝といったエンタメ産業は、今を活きる私たちの生活に潤いを与えています。
もし小林一三という存在がいなかったら……私たちの生活は今より味気ないものであったことでしょう。
卓越した経営手段と人柄の魅力
小林一三は実に大きな存在で、まさに経済界の巨人とも言える人物です。
人が多い鉄道路線を買い取るのではなく、沿線を発展させるという逆転の発想。
どこまでも大衆本位の発想。
利益よりも芸術性を追求するエンタメへの姿勢。
人間としても魅力的で、多くの人々と交流しました。
若い頃、ジンタの音色に涙を流し、小説を執筆し、エンタメの魅力を知り尽くした一三。
彼は金儲けとしての道具ではなく、本当に面白い上質なものを作ろうとしたのです。
目先の利益だけにとらわれない、本物志向が一三にあったからこそ、現在まで残る素晴らしい娯楽産業が残ったのでしょう。
また一三は、生活の豊かさを大事にした人物でもありました。
人間は八時間きっちり働いて、そのあとは観劇なり映画鑑賞なりして、リフレッシュすべきだと考えていたのです。
現代の日本にこそ、まさにこの精神が必要なときではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
老川慶喜『日本の企業家 5 小林一三 都市型第三次産業の先駆的創造者 (PHP経営叢書)』(→amazon)