処刑人の家系に生まれたため、人類史上二番目に多く斬首を経験したシャルル=アンリ・サンソン※1。
彼らまで斬首しなければならなかった彼は、ストレスに悩まされ苦しみました。
※以下はシャルル=アンリ・サンソンの関連記事となります
人類史で2番目に多くの首を斬ったアンリ・サンソン あまりにも切ない処刑人の苦悩
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アンリ・サンソンの願いは、フランスが処刑制度を廃止すること。
しかし生きているうちに、その日を見ることはありません。
そんな苦悩を抱きつつ1889年1月25日に亡くなった四代目サンソンの孫、六代目サンソンことアンリ=クレマン・サンソン。
彼の代でも、まだまだギロチンは現役でした。
それはアンリ=クレマンにとって、極めて不幸なことでした。
※1公式記録で最も死刑を執行したのはドイツのヨハン・ライヒハート(3,165人でアンリ・サンソンは約2,700人)
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15才で知った家の秘密「お前のパパは処刑人だ」
アンリ=クレマンは、恵まれた家庭に育ちました。
祖父母からも両親からも可愛がられる一人っ子で、広い庭に立派な屋敷。
屋敷には、彼の両親を頼りに暮らす親戚や使用人があふれ、アンリ=クレマンはそうした人々から可愛がられて育ったのです。
成長するにつれ、アンリ=クレマンは優雅、儚げ、無邪気、そして優しげな少年になりました。
アンリ=クレマンが他の子と違う点は、学校へ通学せず、家庭教師に勉強を習うところでしょうか。
その家庭教師であった神父が亡くなったため、彼は「クレヴァン」という名で、学校に通うようになります。
学校では親友ができました。
そしてある日、彼は自宅に親友を連れて来ました。
しかし、いざ親友が家に来ても、家の者達は皆ぎこちない態度を取るばかり。親友もそれを境に、よそよそしい態度を取るようになりました。
「どうしたんだろう。何か嫌われるようなことを僕はしたのだろうか?」
アンリ=クレマンがそう尋ねると、親友はギロチンの絵を描いて渡してきました。
裏返すとこう欠いてありました。
「お前のパパは処刑人だ」
当然すぎるほどにアンリ=クレマンはショックを受けました。
どこか違う家庭環境のことを思い出すほどに、自分の家が処刑人であれば辻褄が合うとわかってしまう。
それはまさに、楽しい少年時代の終わり。アンリ=クレマンは最悪のかたちで、現実を突きつけられたのでした。
彼は引きこもり、学校には二度と通いませんでした。
祖母と父が教える悲しい歴史とは……
ショックを受けたアンリ=クレマン。
彼に【処刑人】という職業の意義について語り聞かせたのは、祖母のマリー=アンヌでした。
マリー=アンヌは、あの四代目サンソンの妻です。
彼がどれほどの苦労をしたか、苦しめられてきたか。それを孫に語り聞かせました。そして、処刑人という職業が、必要悪であることも。
父のアンリは、無理して家業を継がなくてもいいんだよ、と優しく語りかけてきました。
彼は息子に軽蔑されることを恐れ、今まで処刑人であることを隠し通して来たのです。
「お前が他の仕事に就くというのならば、それも構わない。一生食べて行けるだけの財産はあるからね」
アンリ=クレマンは、祖母と父の言葉の間で迷います。
しかし彼には、父が『本当は家業を継いで欲しい』と思っていることもわかっていました。
処刑人にはなりたくない。
でも、家族の思いも大切だ。彼は迷い続けますが、いつまでもそうしているわけにもいきません。
父は年老い、いずれ処刑が続けられなくなるのです。
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