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【日本の地震の歴史】
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明治・大正時代の大地震
・西郷隆盛
・伊藤博文
・日清戦争
・日露戦争
・第一次世界大戦
明治・大正時代で最も衝撃的な地震は、間違いなく関東大震災でしょう。
日本の首都圏を襲った直下型地震は、現在でもその危険性が指摘されており、政府や首都圏自治体はたびたび防災・減災訓練を実施しております。
では、1923年の関東大震災は、実際、どれぐらいの被害だったのか?
関東大震災の被害
死者・行方不明者は約10万5000人
住居全壊約10万9000戸(半壊10万2000戸)
焼失約21万2000戸
熱海を襲った津波は12メートルにも達し、現代だったらどうなってしまうのか……恐ろしい限りです。
では、この時代の地震回数を確認してみましょう。
明治大正時代 109回
M6.1以上の地震 43回
M8.0-9.0クラスの超巨大地震 4回
M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 10回
規模不明の大地震 2回
総数 59回(58年間)
1年あたりの地震回数 1.017回
では、さらに詳しく見て参ります。
人的被害は今でも最多の関東大震災
【明治・大正時代】は約60年(1867年~1926年)の間にM7クラスの地震が計29回起きております。
2年に一度は日本各地のどこかで巨大地震が発生している計算。
これを他の時代と比べてみます。
時代 | 年 | M7規模の発生回数 | 割合 |
飛鳥~平安時代 | 416~1191年 | 20回 | 約39年に一度 |
鎌倉~室町時代 | 1192~1602年 | 16回 | 約25年に一度 |
江戸時代 | 1603~1867年 | 60回 | 約4~5年に一度 |
明治・大正時代 | 1868~1926年 | 29回 | 約2年に一度 |
あきらかに地震の頻度が高くなっております。
何度も申し上げておりますように、これは観測技術の向上によるもので、おそらく昔から同じように日本では頻繁に大地震を繰り返していたのでしょう。
今回は明治・大正時代に発生したM7クラスの地震をすべて見てみます。
回数 | 年 | 地震地域 | 規模 |
No.1 | 1872年 | 浜田地震 | M7.1 |
No.2 | 1881年 | 国後島地震 | M7.0 |
No.3 | 1893年 | 色丹島沖地震 | M7.75 |
No.4 | 1894年 | 根室沖地震 | M7.9 |
No.5 | 1894年 | 東京地震 | M7.0 |
No.6 | 1894年 | 庄内地震 | M7.0 |
No.7 | 1895年 | 茨城地震 | M7.2 |
No.8 | 1896年 | 三陸沖地震 | M8.2 |
No.9 | 1896年 | 陸羽地震 | M7.2 |
No.10 | 1897年 | 宮城県沖地震 | M7.2 |
No.11 | 1897年 | 宮城県沖地震 | M7.7 |
No.12 | 1898年 | 宮城県沖地震 | M7.2 |
No.13 | 1899年 | 三重県地震 | M7.0 |
No.14 | 1900年 | 宮城県北部地震 | M7.0 |
No.15 | 1901年 | 青森県東方沖地震 | M7.2 |
No.16 | 1901年 | 青森県東方沖地震 | M7.4 |
No.17 | 1902年 | 青森県東部地震 | M7.0 |
No.18 | 1905年 | 芸予地震 | M7.25 |
No.19 | 1909年 | 房総沖地震 | M7.5 |
No.20 | 1909年 | 宮崎県西部地震 | M7.6 |
No.21 | 1911年 | 喜界島地震 | M8.0 |
No.22 | 1914年 | 桜島地震 | M7.1 |
No.23 | 1914年 | 仙北地震 | M7.1 |
No.24 | 1915年 | 十勝沖地震 | M7.0 |
No.25 | 1918年 | ウルップ沖地震 | M8.0 |
No.26 | 1921年 | 龍ケ崎地震 | M7.0 |
No.27 | 1923年 | 関東大震災 | M7.9 |
No.28 | 1924年 | 丹沢地震 | M7.3 |
No.29 | 1925年 | 但馬地震 | M6.8 |
江戸時代の項で記しました通り、江戸末期の1854年に南海トラフで安政東海地震が発生しているため、明治から大正にかけて同震源域では大きな地震が起きておりません。
次に来るのは昭和のことで、明治・大正期にかけて最も被害の大きくなったのは、1923年の関東大震災が断トツです。
上記の画像をご覧の通り、この地震と火災がいかに恐ろしいものであったか……。
死者は行方不明者を合わせて10万5千人。全壊家屋は10万9千軒で半壊は10万2千軒、焼失は20万2千軒を超えました。
神奈川県の熱海では津波も観測されており、その高さはなんと12mです。
建物の倒壊や火災によって東京の住宅の6割も消失し、人々は仮設住宅での生活や東京からの避難を余儀なくされました。
今起きたらどうなってしまうのか……?
とにかく自宅に非常食や簡易トイレなどを十分に準備しておくことでしょう。
内陸地震としては異例のM8クラス【濃尾地震】
明治・大正期は関東大震災のインパクトがあまりにも大きく、他の地震にスポットライトが当てられることはあまりありません。
ただ、【1905年芸予地震】や【1872浜田地震】、【1911年喜界島地震】でも死者は出ており、1896年には【三陸沖地震】も発生しております。
三陸沖地震は、東日本大震災と震源域を同じくする揺れであり、その規模はM8.2。死者は2万人を超えました。
被害者のほぼ全てが津波によるもので、このときは岩手県で18,158名、宮城県で3452名、青森県で343名、北海道で6名の方が亡くなっています。
また、この時代には、日本の内陸地震としては最大の『濃尾地震』が起きております。
岐阜県西部を震源としたM8.0の地震で建物の全壊が約14万戸(半壊が約8万戸)、死者が約7200人、1万箇所以上での山崩れも起きるなど、凄まじい揺れを起こしております。
このときは岐阜県を中心に北北西―南南東方向に総延長約76kmの断層が出現したとのことです。ハンパじゃない……。
では、最後に昭和~令和までを見て〆とさせていただきます。
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