第七師団

ゴールデンカムイ13巻/amazonより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

第七師団はゴールデンカムイでなぜ敵役なのか 屯田兵時代からの過酷な歴史とは

主人公の杉元佐一以下、敵として認識している第七師団

漫画『ゴールデンカムイ』を読んでいくうちに、それは当然という認識になるものですが、ちょっと不思議なところがあるのです。

主人公名・杉元佐一は、作者である野田サトル先生の曽祖父から取られています。

しかし、彼は第七師団。

漫画の杉元は、元第一師団です。

なぜ、野田先生は自分の先祖の所属した師団を、悪役にしたのでしょうか。

北海道が舞台だから?

それはあるでしょう。

アイヌの土地収奪が背後にあるから?

こちらも、重要です。

しかし何よりも「第七師団独自の歴史がいろいろと関係している」のではないでしょうか。

明治29年(1896年)5月12日は第七師団が創設された日。

ということで、その特有の辛い境遇を見ていきましょう。

鶴見中尉以下、大暴れだよッ!

 


第七師団のルーツは「賊軍」であり「屯田兵」

第七師団、別名「北鎮部隊」。

華々しいようで、そのスタートは混乱続きでした。

幕末、戊辰戦争の負け組、いわば賊軍も多いもの。

『ゴールデンカムイ』作中において、第七師団所属である人物も同様。

負け組子孫と推察される人物が多いものです。

聡明かつ勇猛でありながら、あの年齢でありながら、中尉程度でくすぶっている鶴見。

藩閥政治が影響する明治時代なれば、出自ゆえに出世が止まっていてもおかしくないのかもしれません。

性格に大問題があることは、この際、横に置いておきましょう。

※以下は鶴見中尉の関連記事となります

ゴールデンカムイ鶴見中尉
ゴールデンカムイ鶴見中尉を徹底考察!長岡の誇りと妻子への愛情と

続きを見る

 


「武士の誇り」が悪用される

この北海道への移住も、なかなかいい加減な歴史がありました。

武力倒幕や戊辰戦争によるメリットや必要性が疑問視されていたのは当時からのこと。

薩摩藩は恩義ある赤松小三郎を謀殺してまで、そこに踏み込みました。

武力倒幕
なぜ西郷は強引に武力倒幕を進めたのか?岩倉や薩摩藩は“下策”として反対だった

続きを見る

赤松小三郎
知られざる幕末の英雄・赤松小三郎~なぜ薩摩の人斬り半次郎に殺害されたのか

続きを見る

そうまでする理由として、考えられる動機はあります。

【徹底的に反抗勢力の芽を潰しておく】

実際、そうとしか思えないほど、戊辰戦争で戦地は荒れ果てました。

その総仕上げが、屯田兵です。

武士の心理につけ込むような、えげつない追い詰め方が実行されました。

代表例が、東北随一の大藩であり、【奥羽越列藩同盟】の主導者であった仙台藩。

支藩に至るまで、次々に移住が決定していきます。

奥羽越列藩同盟
奥羽越列藩同盟は何のために結成? 伊達家を中心とした東北31藩は戊辰戦争に敗れ

続きを見る

その中で、たとえば「伊達市」は、元の藩名を残すほど、多大な貢献をしております。

大名夫人まで開拓に励んだ話は有名です。

幕末のお姫様
幕末維新のお姫様は自らの舞台で戦った! 鹿鳴館や籠城戦に北海道移住で開拓へ

続きを見る

まぁ、そうやって振り返ることができるのも、成功あってのものですよね。

当時は移住がそんな簡単なワケもなく、いざ移り住んだ後にどうなるのか、明日は見えない状況。

そもそも蝦夷地とは、いかなる場所なのか。

幕末の混乱が収束に向かっていたからといって、そこまで把握できた状況ではありません。

そんなところで田畑を耕しながら兵士をやるというのですから、無謀にも程がありました。しかし……。

 


こんな開拓の始まり方でよいものだろうか?

開拓を成し遂げてこそ、御家の名誉を回復できる!

そう信じ、船に揺られる開拓者たち。あの咸臨丸も、こうした人々を運んだものです。

北海道開拓
ゴールデンカムイ舞台 現実の北海道開拓は想像以上に過酷だった

続きを見る

中島三郎助
脆弱どころか十分戦えた江戸幕府の海軍~創設の立役者・中島三郎助は箱館に散る

続きを見る

こう書くと、遠大な計画に思えますが、実はものすごくいい加減なものでした。

以下、理由を列挙して参りましょう。

◆北海道の知識がない!

松浦武四郎をはじめとして、蝦夷地探検家がいたものの、彼らよりも明治新政府のパワーバランス重視人事が行われてしまいました。

当時最も知識のあった松浦は、嫌気がさして即座に退官するという恐ろしさです。

松浦武四郎
蝦夷地を北海道と名付けた松浦武四郎~アイヌ搾取の暴虐に抵抗する

続きを見る

◆パワーゲームが酷い!

松浦の退職理由でもあります。

佐賀と長州が藩閥政治で火花を散らし、開拓にまで悪影響を与えるというグダグダぶりでした。

◆根性論頼りだった!

そんな酷い状況の中、ともかく武士の忠義心だけに期待して移住したものですから、当然のことながら失敗する者も多いわけでして。失敗例を聴くと、尻込みする者も出てきます。

そういう人を理詰めで説得するのではなく、「それでも武士か!」と叱咤激励するパターンが定着しました。

◆そもそも農業に向いていたの?

北海道は火山が多い。

アイヌの伝承にも、噴火や火砕流のことが伝わっていました。

彼らが狩猟に生きてきた理由も、このあたりにあったのかもしれません。場所によりますが、農業に適していない土壌も多かったのです。

◆未知の大地は恐ろしかった!

想像を絶する寒さ――それだけではありません。

ヒグマ、バッタ(蝗害)、干ばつ……未経験の惨劇が次から次へと襲いかかります。

人の味を覚えたヒグマの怖さ「三毛別羆事件」冬の北海道で死者7名重傷者3名の惨事

続きを見る

危険なヒグマと歴史的にどう付き合ってきた? アイヌの知恵と開拓民の対処法

続きを見る

いくらなんでも、明治政府がえげつなさすぎると思いませんか?

そんな屯田兵を助けたのが、アイヌの知恵です。

アサリを入れた食事でもてなし、寒さを防ぐ住宅の工夫を教えてくれました。

和人がアイヌに恩恵を施したという認識がありますが、それは誤解です。

多くの屯田兵が、和人が、いかにアイヌの知恵で救われたことか。

北海道の食の歴史
豪華どころか過酷だった北海道「食の歴史」米や豆が育たぬ地域で何を食う?

続きを見る

※アイヌの知恵が和人を救ったのだ!

開拓だけでも大変なのに。

生きていくだけでも辛いのに。

彼らにはやることがありました。

屯田兵――つまり、開拓をしながら軍事訓練をせねばならなかったのです。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-ゴールデンカムイ, 明治・大正・昭和
-

×