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【湯の花トンネル列車銃撃事件】
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トンネル外に停車した車両が執拗に攻撃され
無防備な列車は、無残にも機銃掃射とロケット弾の攻撃対象となりました。
運良くロケット弾の直撃は外れます。
しかし、P-51による機銃掃射による被害は避けられず、機関車と1両目が特に激しく損傷、トンネルに2両目の半分程が入ったところで列車が停止してしまうのです。
このため、トンネルの外で停まった車両が複数回銃撃されることになり、犠牲者が増えてしまいました。
こんな状況では、列車の中にいても、外に出てもどのみち危険ですよね……。
犠牲者の数については、戦時中のため正確な数字がわからないようです。
国鉄の資料では死者49名。後日、建てられた慰霊碑では52名以上。慰霊会では65名以上とされています。
※負傷者は130名以上
負傷者のうち後日亡くなった人を死者として数えるか。
数えるとしたらどのくらい後まで入れるのか。
そこら辺の事情をどう酌むかで多少のズレが生じてくるでしょう。
いずれにせよ武器も積んでいない列車が執拗に攻撃され、薄い装甲の中で多くの市民が犠牲になったワケです。
想像するだけで身震いする凄惨な場面ですね。
事件の後、被害車両は回送され、中央本線自体は当日夕方までに全面復旧したそうです。
人身事故といえばそうですけれども、そこまでして復旧を求める乗客や応じる駅員もどうなのという気が……。
しかし、何よりも恐ろしいのは、同様の事件が全国でいくつか起きていることです。
「まさに外道」と申しましょうか。
今回は3つの類似事件を見てましょう。
大山口列車空襲事件~日本赤十字の看護婦も乗っていた
湯の花トンネル列車銃撃事件の前、7月28日午前8時ごろ、鳥取県西伯郡所子村の山陰本線大山口駅東方で発生した事件です。
山陰地方でも、7月23日から米軍の爆撃にさらされており、このころ海軍の飛行場やいくつかの駅、そして工場が被災しておりました。
この日被害に遭ったのは、鳥取発・出雲今市(現・出雲市)行きの下り列車11両。
前2両は病客車で、赤十字が大きく描かれていたそうです。
ここに乗っていたのは、呉海軍病院三朝分院から転退院する軍・工廠関係者と、その付添いの衛生兵、日本赤十字の看護婦だったのです。
赤十字章が上空から見えたかどうかはわかりません。
が、傷病兵や衛生兵は1929年のジュネーヴ条約でも基本的に「攻撃してはならない」とされていました。
ですから、もしも赤十字が見えていて攻撃したのなら、確実に戦争犯罪です。
そうでなくても、他の一般客車は動員された国民義勇隊・勤労学徒・軍需工場徴用者と一般乗客でした。
本来、一般人=非戦闘員なので、国際法上で攻撃してはいけないことになっています。
こうした非戦闘員が、11両全体で約1,200人乗っていたそうです。
現在の山手線・11両編成が(一応)定員1,700人程度らしいので、当時の車両の作りや荷物などを考えれば、車内はすし詰め状態だったでしょうね。
大山口駅に到着した際、駅長がアメリカ軍の戦闘機を発見していたため、列車は駅の東側に待避し、約400人を降車させていました。
その後、再び上空に敵機約40機が現れたため、再度、退避! しようとしたそのとき、機銃掃射とロケット弾で一斉に攻撃されたのです。
攻撃は約30分続き、主に前側の3車両が被害を受けました。
死者44名、負傷者31名以上、そして近隣の民家が三軒被災しています。
不幸中の幸いは、乗務員に被害がなかったため、歩ける乗客を降車誘導できた点、そして被害車両の半分を退避させられた点でしょう。
なぜ半分だけなのかというと、機関車(列車を引くための機関がある車両)も若干損害を受けたため、通常通りの運行ができなかったのです。
亡くなった方、負傷された方については痛ましい限りですが、乗員の判断と行動によって被害が軽減した面もあったハズです。
次は那賀川鉄橋空襲を見てみましょう。
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