樋口季一郎

樋口季一郎/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

ユダヤ人数千名を救った樋口季一郎とオトポール事件~キスカ島や占守島でも奮闘す

昭和45年(1970年)10月11日は陸軍軍人の樋口季一郎が亡くなった日です。

“旧軍の軍人”というと悪い面が注目されがちながら、今村均のように敵味方からも称賛されるような人格者はおり、樋口もまたそうした人物の一人でありましょう。

日本人によるユダヤ人救出――というと杉原千畝がよく知られますが、実は樋口季一郎も約5,000人を「ヒグチ・ルート」によって助けていたのです。

初名は樋口姓ではありませんが、わかりやすさ優先で最初から統一させていただきます。

※以下は今村と杉原の関連記事となります

今村均
旧日本陸軍大将・今村均はマッカーサーも「真の武士道」と認めた人格者だった

続きを見る

杉原千畝
杉原千畝はユダヤ人1万人をどう救ったのか「命のビザ」を発給し続けた外交官

続きを見る

 


陸軍士官学校と東京外語学校を出た秀才

樋口の生い立ちは、なかなか波乱に富んだものでした。

生家の奥濱家は、江戸時代に廻船問屋(海運業者)と地主をしていた裕福な家で、明治維新以降は蒸気船に圧されて没落。

樋口が11歳のときに両親が離婚し、母の実家である阿萬家に引き取られました。

18歳になると父方の叔父の娘と結婚し、婿養子に入って樋口姓に改めています。

叔父も樋口家の婿養子だったので「奥濱」姓ではないんですね。

結婚してからも勉学に励み、陸軍士官学校と東京外語学校(後に東大・一橋・外大となる)を卒業しました

学生の間にロシア語を深く学び、31歳のときにウラジオストクへ赴任すると、その後も、満州やロシア各所、ポーランドを歩みます。

そこで、後年の行動に関わるような経験をしたのでした。

樋口季一郎/wikipediaより引用

 


「日本の天皇はユダヤ人を救ってくれるに違いない」

ポーランドでは、現在のジョージアあたりを旅行していたとき、とある集落で偶然、ユダヤ人の老人に話しかけられました。

おそらくは旅行者が珍しい土地柄で、何となく話しかけられたのでしょう。

話をするうちに樋口が日本人だということを聞くと、その老人は彼を家に招きました。

そして、歴史的にユダヤ人が世界中で迫害されてきたこと、「日本の天皇はユダヤ人を救ってくれるに違いない」と信じていることを話したのだそうです。

なぜ、その老人が日本の天皇に希望を抱いたのかはわかりません。

日露戦争で「有色人種が白人に勝った」ことを高く評価した国は多かったので、その流れですかね。

現在もそうですが、ジョージアを含めた中央アジアの国は、代々のロシア政府にアレコレされていますし、ユダヤ人迫害も行われていました。

また、ロシア系ユダヤ人の家に滞在したこともあったそうです。

これらの経験が後々、樋口に重大な決断をさせることになります。

 


陸軍の相沢事件に巻き込まれ

樋口の人格を知る上でもう一つキーになるのが、昭和十年(1935年)に起きた【相沢事件】への反応です。

この事件については、当時陸軍にあった「統制派」と「皇道派」という二つの派閥のことを挟まなければなりません。

少々長くなりますがご勘弁ください。

現代人からすると、幕末の「攘夷派」とか「尊皇派」のような印象を持たれるかもしれませんが、中身は全く違います。

「統制派」は「自分たちの主張を陸軍大臣に聞いてもらい、そこから政府に話を通してもらって、理想の軍隊にしていこう」という考えの人たち。

「皇道派」も自分たちの意見(主に昭和天皇親政による“強国”の実現)を政府に聞いてもらおう……というところは同じなのですが、「そのためには物理的な手段も選ばない」という点が大きく違いました。

当然、二つの派閥は激しく対立します。

昭和天皇は立憲君主としての立場を崩したがらなかったので、そもそも皇道派の考えは昭和天皇の意見と合致しておらず、天皇の政治利用に近いんですけどね。

また「統制派という派閥はなかった」とする考えもありますが、話の上ではあったほうが少しわかりやすくなるのでそのまま使わせていただきます。

この「統制派」の代表的人物とされるのが永田鉄山(てつざん)という人物でした。

相沢事件は、皇道派の相沢三郎という人物が、この永田を惨殺したことを指します。

相沢三郎/wikipediaより引用

相沢が事件の直前まで樋口の部下だったため、樋口は責任を感じ、上官の小磯国昭(くにあき)に進退のお伺いを立てたといいます。

樋口が直接関係していないこと。

その程度の関係で処罰するには惜しい能力を持っていたことから、小磯は樋口を慰留し、当時の赴任地であるハルビンにとどまらせました。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-明治・大正・昭和
-

×