飛鳥・奈良・平安時代

元正天皇~女帝から女帝(母から娘)へ皇位継承された唯一の例

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藤原不比等は長屋王に支えられながら

当時、元正天皇は35歳。
当時の感覚でいえば彼女もまた老年ギリギリというところですが、続日本紀に「慈悲深く美しい」と書かれていますので、若々しい感じの女性だったのかもしれませんね。

また、元明天皇→元正天皇は史上唯一の「母から娘への皇位継承」でもあります。

元明天皇(母)

元正天皇(娘)

とはいえ、元正天皇の父親は上記の通り草壁皇子=天武天皇の男系男子なので、女系天皇かどうかというのはビミョーなところです。

女系天皇だと「母親だけが皇族」という意味になりますからね。

こうして母から中継ぎの役目を引き継いだ元正天皇でしたが、藤原氏の始祖・藤原不比等や、いとこかつ義弟(妹の降嫁先)の長屋王に支えられ、9年間位を保つことができました。

そして首皇子が23歳になったところで、位を譲ります。

この人が「奈良の大仏様」こと東大寺盧舎那仏像を作ったり、国分寺を全国に置いた聖武天皇です。

トーチャンの病弱さが遺伝していたから、聖武天皇も体が弱く、仏教への信仰が篤くなったんですね。

 

江戸時代の後桜町天皇は……

元正上皇もその辺が心配だったようで、その後も聖武天皇を「我が子」と呼び、後見し続けました。

そして19年後、天平十五年(743年)に聖武天皇が病がちとなり、政務が難しくなると、再び元正上皇が名代を務めるようになります。

おそらく、元正上皇自身が亡くなる天平二十年(748年)ごろまではそうだったと思われます。

聖武天皇も天平勝宝元年(749年)に、娘の阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位していますが。

譲位で気が楽になったのか、その後も7年生きています。

健康上の不安があるとメンタルも弱りやすいものですし、その逆もまた然り。

江戸時代にも後桜町天皇光格天皇という義理の親子のような関係だった天皇がいます。

もしかすると後桜町天皇は元正天皇をお手本にしていたのかもしれませんね。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
元正天皇/wikipedia

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