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【遣唐使】
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生存者241人中たった5人の第二次遣唐使
遣唐使の役割が命がけだったことは皆さん歴史の授業でもご存知でしょう。
往路・復路を問わず難破し、諸々の苦難に遭ったことは著名です。空海と最澄が渡航したときも4隻中2隻がたどり着けませんでした。
途中の船酔いや病気も悩みの一つだったようです。
重病になった場合、唐に置き去りにされることもあったとか。ひでえ……とも思えますが、当時の状況や他の人達も命がけであることを考えると、「そうせざるを得なかった」というのが実情でしょうか。
この手の話だと、やはり有名なのは阿倍仲麻呂の話でしょう。現地に渡った後、詩人・李白ともお友達になるほどで、天才的な頭脳の持ち主だったとされています。
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彼の場合、帰国は出来なかったにせよ、才覚もありましたし、唐に戻って生涯仕えることができたので、まだいいほうだったのかもしれません。
他にインパクトの強い話だと、第二回遣唐使船の遭難がなかなか辛いです。
このときは往路で二隻のうち一隻が遭難し、生き残ったのは241人中たった5人という惨事が起きています。
その5人は、流れ着いた先の無人島で竹を切っていかだを作り、日本に戻ってきたのだそうで。豪運もさることながら、そんな目に遭ったのにいかだで戻ろうとしたその根性がスゴイですね。
時代が進むと、大津浦から五島列島に進んだ後、風の良い日を選んで一気に東シナ海を渡るというルートが使われるようになったのは前述の通り(「南路(大洋路とも 773-838)」)。
・より博打に近いルートを選ばざるを得なかった
・そうしてでも大陸の知識を求めた
こうした姿勢からして、当時の国交がいかに重要か、うかがえますね。
「もう遣唐使いらなくね?」
遣唐使の目的は、皆さんよくご存知の通り「唐の制度・文物を導入するため」でした。
実は、一定の時期までは外交上の駆け引きも行われています。
例えば、唐で遣唐使の一団が正月を迎えたとき、新羅やチベットなどと遣唐使らがどのような席次になるか、という件で揉めたことがありました。
その後、次第に政治上の役割は薄れていき、再び学生や僧侶の勉強が重んじられるようになっています。もっと実利的に、貿易における交渉のウエイトも高まっていきました。
そして日本が平安時代に入った頃、唐も日本も社会的情勢が変わり、遣唐使そのもののの重要性も薄れはじめます。
正式に廃止されたのは上記の通り寛平六年(894年)ですが、そもそも平安時代になってからの遣唐使は延暦二十三年(804年)と承和五年(838年)の2回しか行っておらず、約60年も中断されていた状態でした。
その点だけでも「もう遣唐使いらなくね?」という気分になりそうですよね。
というのも、唐は「安史の乱(755~763年・楊貴妃がブッコロされてしまった内乱)」の後から目に見えて衰えており、公的な関係を保つ意義が薄れていたのです。
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宇多天皇の信任を得た菅原道真が廃止を建議
安史の乱が終わってからの遣唐使で大陸に行って帰ってきた人の中には、仏教でお馴染みの最澄・空海や、三筆の一人である橘逸勢(はやなり)などがいます。
彼らは少なからず朝廷との関わりがありましたし、私的な付き合いの場で、直に見た唐の有様を話すこともあったでしょう。
それに、唐や新羅の商人と日本との間で民間の貿易は行われていましたので、わざわざ国から使節を送る意味もなくなりつつありました。
こういった流れがあったため、菅原道真が奏上します。
「もう危険を冒して遣唐使を送る意義はありませんよ。お金もかかりますしやめましょう」(意訳)
この意見が受け入れられて遣唐使が停止されたのでした。
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さらに907年には唐自体が滅亡したため、正式に廃止されています。
おそらくや他の朝臣の人々も「そろそろ遣唐使いらなくね?」とは思っていたのでしょうが、「でも私から言い出しても廃止されないだろうな。対立のもとになっても嫌だし」と考えて言えなかったんでしょうね。
当時の道真は、ときの帝である宇多天皇の寵愛を受けていましたから、発言力も強かったでしょうし。
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最近は世界各所で歴史上に出てくる船が見つかっているので、調査すれば、遣唐使船の残骸も見つかるかもしれませんね。
東シナ海はいろいろあって調査しにくいそうですが、いつかそんな日が来たら、遣唐使についてまた新たな研究が始まる……かも。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「遣唐使」「菅原道真」
遣唐使/wikipedia