聖徳太子御火焚祭

飛鳥・奈良・平安

11月22日は広隆寺で聖徳太子御火焚祭~両者に一体どんな関係が?

毎年11月22日は、京都の広隆寺で

聖徳太子御火焚祭(おひたきさい)】

が行われる日です。

残念ながら今年は関係者だけで一般には非公開とのことで、来年のチャンスを心待ちにしている方もおられるでしょうか。

というか初耳の方も多いですかね。

字面からして漠然と『火を焚いて聖徳太子を祀るんかな……』というご想像はつくと思います。

十七条憲法や冠位十二階の制など、太子の功績については説明を省略させていただき、今回は広隆寺とのゆかりを見て参りましょう。

 


もしも当時の建物が残っていたら世界最古の木造建築

広隆寺は、渡来人の家系とされる秦(はた)氏のお寺です。

聖徳太子に「私のところにとても尊い仏像があるのだが、誰かこれを拝もうという者はいないか」と問われ、当時の秦氏当主と思われる秦河勝(はたのかわかつ)が「では我が家で」と応えました。

これをきっかけとして秦氏の氏寺、そして聖徳太子ゆかりの寺としてできたのが広隆寺です。

さらに、聖徳太子は生前から聖人として信仰の対象になっていましたので、こうしたゆかりを持つ広隆寺もまた、太子信仰のお寺になりました。

というわけで、約1400年もの歴史を持っているのですが、残念ながら当時の建物は残っていません。

古いほうの説だと、広隆寺の創建年は法隆寺の数年前とされていますので、もしも当時の建物が残っていたら、「世界最古の木造建築は広隆寺」とされていたかもしれませんね。

他には、「最も美しい仏像」と表される”木造弥勒菩薩半跏像”を所蔵しているお寺としても有名です。

こちらは国宝でお馴染みの広隆寺弥勒菩薩像/wikipediaより引用

 


江戸時代まではあっちこっちで火を焚く光景がみられた

「御火焚祭」は、文字通り火を焚いて神仏にお祈りをする行事です。

京都の神社やお寺では11月の恒例行事ですが、他の地域だとあまり馴染みがないですよね。

元々は、十月に出雲へ出かけていった神様を再び地元の神社に迎えるためのものだったそうです。

江戸時代までは、公家の屋敷でもよく行われていたそうです。

それぞれの家の役目の守護神や氏神などを、それぞれの縁日に迎えるため、あっちこっちで火を焚く光景がみられたとか。

家によって迎える神様が違ったり、日によって別の神様を迎えたりするので、複数回行う家も珍しくなかったようです。

よく火事が頻発しなかったものですね。

例をひとつ挙げますと、藤原氏(摂関家)の流れをくむ冷泉家では、四柱の神様を迎えています。

和歌の神様・衣通郎姫(そとおしのいらつめ)は、冷泉家が和歌を家業としているからでしょう。

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