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【平安貴族の一日】
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場合によっては宿直(とのい)あり
基本的にはお昼ごろに執務は終わり。
その後は、それぞれ帰宅するか、場合によっては宿直(とのい)がありました。
近衛府の役人や大臣・大納言・中納言・蔵人頭が当番制で内裏に泊まり込み、不測の事態や警備を行うというものです。
宿直の際は束帯から衣冠または直衣(のうし)に着替え、少し楽な格好をしていたとか。
さすがにそこまで厳しくなかったようですね。
他にも諸機関の用事や、何らかの理由で午後~夜も宮中に残る貴族もいたようです。
源氏物語の有名な場面の一つ『雨夜の品定め』も光源氏が宿直をしているときの話であり、このとき光源氏は近衛府の「中将」という役職にありました。
そこに親友の頭中将がやってきます。
頭中将という役職は蔵人頭と近衛中将を兼任した者の呼び名ですから、彼が宿直をすることもあったでしょう。
その他に左馬頭と藤式部丞という人々がやってくるのですが、左馬頭は馬を管理する馬寮、式部丞は式部省という役所の文官です。
つまり本来であれば宿直を任される役職ではないはずなのですが、「長雨の退屈しのぎ」という理由で宿直中の光源氏の元にやってきて、女性談義が始まります。
おそらくは似たような割とゆるい理由で、宿直中の人の元へやってくる人がいたのでしょう。
でなければ紫式部がこういった場面を用意しなかったでしょうし、荒唐無稽であれば写本が作られる時点で削除されたはずですから。
帰宅後の自由時間もやること山盛り
宿直がないときは11時ごろに帰宅し、朝食を取りました。現代人からするとブランチみたいな時間ですね。
そして16時頃に夕食を取るのですが、それ以外は自由時間。
なんとも余裕がある感じですが、その自由っぷりがむしろ難しいともいえます。
以下のように、手を抜けないことが山ほどあったからです。
・自分磨き(音楽・和歌・漢詩など)
・翌日以降の儀式の準備
・子女の結婚のための根回しや付き合い
・政治的な社交やご機嫌伺い、宴
・家族との交流
・恋愛
もしも、何処か女性のもとへ行った場合は、夜明け前に帰宅し、身なりを整えつつ後朝の文(逢瀬を遂げた後に送るラブレター)を書き、また朝のルーティンが始まる……といった感じです。
なかなかのハードスケジュールではありませんか?
仕事の拘束時間は現代よりも短いとはいえ、公務以外での付き合いや子供親族の結婚・言動が出世に響いたり、恋人の家に行ったら夜明け前に帰るなど、なかなか慌ただしいのです。
しかも毎日思うように行動できるわけではなく、他にも年中行事や仏事、方違えや物忌みなどがありました。
ストレスが溜まってしまいそうです。
それでも貴族たちの日記を見ると、あまり不満を感じていなさそうなのがスゴイ。
日記の目的からして単に書かなかっただけかもしれませんが……いつの時代も「本当にラク」な仕事や暮らしなど、なかなか存在しないですよね。
そう考えたら、ストレスフルな現代社会も少し気が楽になりません?
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長月 七紀・記
【参考】
繁田信一『平安貴族 嫉妬と寵愛の作法』(→amazon)
川村裕子『平安男子の元気な!生活』(→amazon)
ほか