足利義教/wikipediaより引用

鎌倉・室町

嘉吉の乱で将軍・義教暗殺! 幕府衰退が始まった一大事件は意外とグダグダ?

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諸大名は「これほど大それた事をやらかすには、きっと協力者がいるに違いない」と考え、誰がそうなのかを見極めるため、すぐには行動を起こしませんでした。

しかし、実際には赤松家単独で行った計画。

いつまでたっても裏切り者が見つかるわけはありません。

満祐ら赤松家の人々は「追っ手が来たら潔く自害しよう」と考えていました。

それがなかなかやって来る気配がなく「これなら国元に戻って戦う準備ができる!」と方針を変えました。

てなわけで、義教の首を掲げ、隊列を組んで正面から堂々と京都を後にしたそうです。

この時点では妨害する者も後を追おうとする者もいなかったといいますから、いかに義教に人望がなかったかがわかりますね。

 

 

幕府もヤル気なしで一向に進まない

幕府では、翌日になってようやく会議が開かれました。

次の将軍を義教の息子・足利義勝にし、その引越しを進めただけで、赤松家追討の軍は依然として編成されません。

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義教があまりに権力を掌握していたので、管領などの重職でも他の大名を従わせることができなかったのです。

幕府がそんな調子ですから、赤松家の人々は無事に所領の播磨(現・兵庫県)まで帰ることができました。

そして幕府軍が来る前に、尊氏の息子の養子の孫という「もうそれ一般人じゃね?」な人物を見つけ出して担ぎ上げます。

ちなみにこの間、一週間くらいです。

手際のよさからして、いっそ赤松家が将軍になってもいいんじゃないかと思ってしまいますが、残念なことに、この後、大差なくなります。

満祐は「義教がアレだったし、この混乱に乗じて他の家も幕府へ反乱を起こすに違いない」と考えていたようなのです。

上記の通り幕府軍ですらトロかったので、他の大名も様子見をするばかりだったのですが……。

 

最初の一言が「義教様の首を返せ!」

満祐は積極的に工作をするでもなく、他の大名が動くのを待っている間、遊びまくっていたといいます。それも凄いですよね……。

さらに、京都では赤松家討伐軍が組まれたにもかかわらず、なかなか進軍しようとしなかったため、兵が焦れて京都の町人から物やお金をぶんどるというサイテーな事件が起きました。

普通これだけgdgdだったら、この時点で室町幕府に対する大反乱が起きててもおかしくないところ。

どういうわけか、あと25年ほどはこのままいきます。まさに事実は小説より奇なり。

播磨へ送られた幕府軍が、赤松家の勢力圏内に着いたら着いたで、真っ先に赤松家に伝えたのは「義教様の首を返せ!」ということでした。

普通は降伏を促すものではないでしょうか。

上記の引越しの件も含め、この辺の幕府側の行動はものすごく「そうなんだけどそうじゃない」感がします。

一説には、当時の管領だった細川持之が赤松家に味方していたからでは? とも言われていますが、はてさて。

 

室町幕府衰退のキッカケになったのにグダグダ過ぎて……

一方、幕府の別働隊は真面目に働いていて、先に戦闘を始めていました。

本軍のほうは相変わらずgdgd続きで、将軍暗殺から一ヶ月以上も経った8月になってからやっと「赤松のヤツらがけしからんので、公的にブッコロす許可をください」と朝廷へお願いしています。

お許しはあっさり出ます。

しかし公家の間では「武家同士でのケンカに見えるんですけど、それ私たちが認めることなんですかね?」と反対意見もあったとか。そりゃそうだ。

そして8月中旬にようやく本軍も赤松家と戦闘に入り、一ヶ月弱の間、各地で攻防戦が展開されます。

途中、赤松家が担ぎ上げた人が降伏してしまっていたり、こっちもこっちで相変わらずグダグダでしたので仕方ありません。

9月10日、赤松満祐は一族を逃がし、すべての責任を取る形で切腹

嘉吉の乱はここに終結したのでした。

なお、同事件が起きたのが1441年です。

著名な【応仁の乱】が始まったのは1467年であり、そこから戦国時代突入とされますが、この将軍暗殺という一大事件から室町幕府が傾き始めたとも言えるのではないでしょうか。

それにしてはあまり日本史でも話題にならないですよね。

合戦が派手ではなく、全般的にグダグダとしていたからかもしれません。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
日本史史料研究会・平野明夫『室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)』(→amazon
嘉吉の乱/Wikipedia

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