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【屋島の戦い】
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「よく見たら相手の数が少なくね?」
予想外の戦況に鎌倉でも対応しかねますが、ここで義経が端緒を開きます。
上記の反乱を収めた後、同じ地域にいた水軍を味方につけることができたのです。
そして暴風雨の中、摂津(現・大阪府)から阿波(現・徳島県)に渡航を敢行し、平家の背後に回りこんで奇襲をキメました。
牛若さん、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
当然のことながら大混乱する平家。
勢いに乗る源氏。
戦場はそんな様相を呈し、一時は「三十六計逃げるにしかず!」と考えた平家は我先にと船へ乗り込みます。
そこで平家軍が、いったん冷静になります。
「よく見たら相手の数が少なくね?」と気付いたんですね。
冷静さを取り戻して平氏軍は弓で応戦し始め、義経もあわや危ない場面に襲われました。このとき奥州藤原氏から預けられていた家臣・佐藤継信が身代わりになって亡くなっています。
勝敗を決定付ける決め手に欠け、互いに疲弊したこともあり夕方には一時休戦となりました。
ここからが『平家物語』の名場面【扇の的】です。
この絵をご存知の方も多いでしょうか。
「扇の的」エピソードとは次のようなものです。
あくまで軍記物(物語)としてお聞きくださいね。
南無八幡大菩薩 あの扇の真ん中
平家の船から、とある女性が出てきました。
合戦の最中と考えればそれだけで度胸のほどがうかがえますが、さらに彼女は自らの扇を船の先先端にあった竿につけると、と源氏軍に向かって呼びかけます。
「これを射てみよ!」
海の上ですから当然不規則に揺れ動いていますし、扇ではそもそも的として小さすぎます。
なかなか射落とせるような腕前の人物は出てきませんでした。
しかし「ここでやらずに下がったとあれば源氏の名折れ!」と意気込む義経は、弓の達人を探させます。
畠山重忠に言いつけても断られ、さらに重忠が推した那須十郎という武士も「傷がひどいので^^;」と辞退してきました。
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史実の畠山重忠が迎えた悲劇の最期とは?鎌倉殿の13人中川大志
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さすがに自信がなかったんでしょうね。
そして十郎が「弟ならば」と言い出し、あの那須与一が無茶振りを引き受けることになったのです。
これぞ源平合戦の華でしょう
個人的に、ここの台詞は武士の発言としては一・二を争うカッコよさだと思います。
ちょっと長いですが全部書き下して載せますね。
南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神。
願はくば、あの扇の真ん中射させてたばせたまえ。
これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面(おもて)を向かうべからず。
今一度本国へ迎えんと思し召さば、この矢外させたもうな。
意味としては
【武家の神様である八幡神、及び地元と日本の神様にお祈りし、覚悟の程を述べる】
ということになります。
ちなみに“日光の権現”とは徳川家康のことではもちろんなく、もっと前から信仰されていた日光付近の山々の神様です。
現代から見てるとややこしいですが、時代があべこべですしね。
日頃の行いが良かったのか。
与一の放った矢は見事に扇の的を射落とし、さらに出てきた平家の武者も射抜き、この一事でもって歴史に名を残しました。
「だから、フィクションに決まってんだろwww」なんて言わない言わない。
源平の戦はこういうのが華ですのでね。
しかし女性が的を用意したということは、女性の乗っている船に容赦なく射掛けたということになりますから、当時でも「見事!」と褒め称える人と「ひどい奴だ」とドン引きする人がいたようです。そりゃそうだ。
そして再びぶつかり合いになりますが、既に海へ出てしまっている兵士が再上陸するのは至難の業です。
義経は80騎ほどの手勢でこれを防ぎ、さらに源氏の援軍が到着したため、平家は諦めて彦島という別の島へ退かざるを得なくなります。
こうして屋島の戦いは紆余曲折を経ながらも源氏の勝利に終わり、いよいよ最終決戦【壇ノ浦の戦い】へと向かうのでした。
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【参考】
国史大辞典
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon)
屋島の戦い/wikipedia