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【山内首藤経俊】
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無能だが、失敗はすれど失脚もしない
母・山内尼の嘆願を憐れんだのか。
あるいは使い所があると判断したのか。
山内首藤経俊に対する処遇を考える時、比較したい人物がいます。同じ相模の武士であり、鎌倉幕府にとって重要だった梶原景時です。
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史実の梶原景時はどこまで頼朝に重用された?鎌倉殿の13人中村獅童
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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では中村獅童さんが演じ、13人の合議制メンバーにも入る重要な人物。
知略、政治力、冷静さを備え、頼朝に重用されました。
その景時と比べると、経俊の活躍はそこまで際立っているわけでもありません。
元暦元年(1184年)の志田義広、平家残党の反乱の追討に参戦。
文治元年(1185年)には頼朝が名をあげた無能な者に、経俊も含まれています。
にもかかわらず、その地位が保証され、頼朝の側近扱いをされているのです。
そして頼朝の死後、梶原景時を弾劾した中に、経俊の名も連なっており、景時は一族ごと滅ぼされてしまいました。
経俊は元久元年(1204年)、伊勢・伊賀で発生した三日平氏の乱鎮圧にあたり、失敗。
京都守護職・平賀朝雅の援軍により、なんとか鎮圧しています。
平氏の権威を恐れ、逃亡したとされた経俊は、二カ国の守護(伊勢と伊賀)を解任され、朝雅の手に移りました。
同時代の多くが粛清されていったことを考えると、さすがにこの時点で消えていくだけの運命にも思えます。
しかし運命とは本当にわかりません。
その翌年、平賀朝雅は牧氏事件(牧氏の変)により失脚し、経俊の子・通基に討たれるのです。
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息子の活躍にかこつけるように、経俊は、守護への復帰を願うものの許可はされず。
嘉禄元年(1225年)6月21日、享年89という当時としては驚異的な長寿を記録し、天寿を全うしました。
非業の死を遂げる者が多かった鎌倉政権の中で、際立った経俊の生涯。
山内一族は南北朝以降、主に中国地方の国人領主となったと記録されています。
山内首藤経俊は掴みにくい人物
山内首藤経俊の生涯がわかりにくいせいか。
配役が決まった山口馬木也さんのコメントを読むと、役作りへの戸惑いを感じます。
公式コメントは以下の通り。
山内首藤経俊の人物像を探ってみると、幼少期をともに過ごした頼朝を裏切るなど、最初は薄情な印象を持ちました。
ところが本人には大義があったわけでもなく、特に策士だということもないようで、結果的にはかなり長生きをしたようです。
収録現場では、大泉さん演じる頼朝や小栗さん演じる義時に影響されながら、場面ごとに身の置きどころを“ひらひらと”軽やかに変えていければと思っています。
もしかすると頼朝が途中で敗れていれば正しい選択だったのかもしれませんし、現代にも通じる点があると思って、探り探り演じていければと思っています。
【引用元】鎌倉殿の13人:山口馬木也が頼朝裏切る“豪族”役「ひらひらと軽やかに」 結果的に「かなり長生き」(→link)
幼少期をともに過ごした源頼朝を裏切ったところに、薄情さを感じてしまった――そう思うのが自然ですよね。
実際、挙兵を決めた頼朝の使者・安達盛長に対し、ドラマの中で山口馬木也さんが大声をあげた暴言っぷりは迫力がありました。
しかもその暴言は、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に残るほどですから相当なものですし、「本人に大義もない」という指摘も的を射た発言でしょう。
そこで少し考えたいのが「薄情さ」や「大義」です。
そもそも当時の山内首藤経俊は、大義を理解していたのか?
鎌倉武士たちは、読み書きすらできない者が多く、賢い人間は嫉妬されることすらありました。
山内首藤経俊が弾劾した梶原景時は、読み書き計算ができ、歌も詠めるインテリ。
この手の人物は、
「なんかアイツよぉ、俺らの理解できねーことしてねえ? ムカつくわー!」
と嫉妬されてしまう悲しい史実があります。
乳母子だから無事だった――という指摘もありますが、そう単純なことでもないように思われます。
同じく頼朝の乳母であった比企尼。
その一族である比企氏は、頼朝の子である源頼家の代にも密接な繋がりがありました。それが逆に北条時政に目をつけられる要因となり、結果、滅ぼされているのです。
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山内首藤経俊は、さして切れ物でもなかった。
力を持とうとしたわけでもなかった。
ゆえにヒラヒラと無事に生き延びたと言えます。乳母子という出自と、こうした無能さが重なり、彼は長生きしたのでしょう。
★
頼朝の側近として鎌倉幕府の設立時に居場所を確保しながら、今となっては、特に目指したいわけでもない、憧れもしない存在――。
そんな山内首藤経俊が無意味な人物か?というと、そうではないと思えます。
世間が規定する大義とは離れ“ひらひら”と生き延びる人物がいて、後世のドラマで注目されてもよいのではないでしょうか。
人間社会は英雄ばかりではありません。山内首藤経俊がドラマでどう描かれるか。それはそれで面白い気がするのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
関幸彦『相模武士団』(→amazon)
佐藤和彦/谷口榮『吾妻鏡事典』(→amazon)
他